パフェの歌は聴こえるか

東京パフェ学

斧屋著、文化出版局、2015年

 

 

食べ物ガイド本は、掲載する数倍のお店を取材して食べているはずで、取材の努力には圧倒される。この『東京のパフェ学』もそのような一冊だった。

 

本のタイトルには英文で Tokyo Parfait Science と併記してある。著者がどういう意図でScienceを使ったかわからないが、内容からすると、ニーチェの Gaya Scienza に近いと理解している。

 

最近刊行されたキニャール『落馬する人々』は人類を捕食の観点から考察した文芸作品で、人類の長い歴史において食事は第一に、生きるのに必要な栄養の確保であった。

 

この本を読んだせいか、人類史のなかでのデザートの出現?というのが気になっている。生きるための栄養摂取だったのが、やがて栄養に関わらない食べ物が嗜好品として登場する。文明の発展と共に嗜好品は、お客をもてなすために出したり、神に供えるといった祝祭的性格が与えられてきた。パフェは今でこそコンビニで売るほど身近なものとなってきたが、本来は非日常性に属している。その意味で栄養摂取としての食事と対局にあり、高度な文化(冷凍技術の発展がなければ出現できない)を背景に一つの頂点をつくってきた。

 

著者はパフェを「究極のエンターテインメント」と定義している。エンターテイメントは娯楽であるから著者の考えには違和感がある。もっともパフェの解釈は人それぞれとしているので、著者が娯楽と考えてもいっこうに構わないと思う。

 

著者はパフェが大好きである。日本唯一の「パフェ評論家」の称号?を与えられたそうで、以来その称号を肩書にしている。評論家とは批評を行う者であるが批評とは何か。

 

批判はギリシア語のクリネインに由来し、区別すること、際立たせることを意味しています。区別することとしての批判は、異なっているものを異なっているものとして、それがいかなる点で異なっているかに関して見させるということを意味します。本当の批判はこのように見させることとして、卓越した意味で積極的な行為なのです。だからこそ、本当の批判は稀なのです。

(ハイデッガー、ツォリコーンゼミナール)

 

別の本で批評とは「明るみのもとに出す」、「光をあてる」ということも言っている。パフェ評論家のパフェ批判を本書から読み取ることはできるか。

 

タイトルの通り、東京と近郊で食べられるパフェが対象である。原則として1ページまたは見開きで1店1〜2パフェをとりあげ、「果物パフェ」、「パティスリーのパフェ」、「和風のパフェ」等に章立てしている。パフェやお店の写真と共に、お店の背景、パフェの特徴(使用している果物や構成など)などの情報、最後に味の特徴や感想を述べて全体を250字程度でまとめている。最後の部分が批評にあたるので順不同で取り出してみると、

 

季節が移るごとに、旬の果物に会いに行きたくなる(ホットケーキパーラーフルフル)

パフェは果物とアイス、香ばしいパイ生地のシンプルかつ飽きない構成(ベリーパーラー)

パフェもまた、おいしさを兼ね備えたひとつの美術品なのだ(パティスリー&カフェデリーモ)

次々にいろいろな素材が登場するので飽きない(よーじやカフェ)

カカオ感の強いチョコレートが、アイス、ソース、クリームと姿を変えて大人の味わいを演出(ピエール・マルコリーニ)

 

ピエール・マルコリーニ

 

一見何かを語っているようで、本質的なところで触れていない。これでは他のパフェの記述と入れ替えても通じる。残念ながら、これでは味やおいしさが伝わってこない。少なくともこの記述でわざわざ食べに行くほどの行動を起こすのは難しい。

 

秋山徳蔵の『味と舌』に次のような記述がある。

 

人間の五官のうちで、もっとも文字に現しにくいのは、嗅覚と味覚であろう。双方とも、あまりに瞬間的であり、あまりに本能的なものだからであろうか。……匂いや味ということになると、どうにも手に負えない。私は文学のことは全然知らないが、人に聞くと、風景の描写のうまい作家とか、色を鋭く表現した詩人はあっても、匂いの詩人とか、味の作家とかいわれるような人はないそうである(味のことば)。

 

その秋山徳蔵は味をどのように表現しているか、シャルリュス男爵が大好きだった洋梨の「ドワイエンヌ・デュ・コミス」について、

 

一片を口に入れる。とたんに、何とも言えない芳香と、トロリとした舌ざわりと、上品な甘さが、口いっぱいに拡がる。かす一つ残さず、アイスクリームのように溶けてしまう。実に素晴らしい逸品であった。四十年たったいまでも、まだあの味が舌に残っている。

 

詩のなかで味の表現を見つけるとすれば、次の詩句を思い出す。

 

きみたちが林檎と呼ぶものを思い切って言ってみないか。

このうっとりした甘さ、舌の上でそっとかき立てられ、

今ようやく濃さを増し、

 

めざめ、浄らかに、澄明になり、

二重の意味を持ち、陽射しに充ち、大地のようにこの世のものとなりー

ああ、この経験、歓喜ーなんという大きな!

リルケ、オルフォイスに寄せるソネット

 

資生堂パーラー(2018年秋限定)

 

 

パフェの写真は問題がある。写真自体は素晴らしいのに印刷が追いつかず、平板な仕上がりとなってしまったため、おいしさを伝えきれていない。

 

SNSで話題になっている上馬教会のツィートに、「パフェは完全の意味です。パフェのように完全であれ」という一言があった。味を文書や画像で伝えるとてつもない難しさはあるが、本書のような書籍の刊行は大歓迎で、評論家の苦労や努力を素直に享受してパフェを楽しむのがよいと思う。

 

ホテルニューグランド横浜

 

 

 


1月27日

モーツァルトの日、K617を聴く。

 

Orgue de vierre

 

聖ヴォルフガングの聖務日課の音楽も一緒に。


有料のオーケストラPR誌

クラシック音楽全史

 

 

「ビジネスに効く世界の教養」という副題がついている。

 

著者は東フィル広報部の責任者、最新情報(2019.1/5)では「元東フィル広報部」となっていた。

音楽系の出版社ではなく、ビジネスや経済に強いダイヤモンド社から刊行された。同じシリーズに『教養としてのワイン 世界のビジネスエリートが身につける』がある。

対象読者は「クラシック音楽にそれほど詳しくない、演奏会に一度も行ったことがないビジネスパーソン」。

 

本書は刊行後東京新聞や読売新聞でとりあげられるなど評判になり、Amazonでの評価も高めである。

 

クラシック音楽全史(打ち込んだら「クラシック音楽全死」と変換されてしまった)といいながら、実質オーケストラ史だった。ショパンは年表以外全く触れていないようにオーケストラ以外の作品はスルーされ、オーケストラであっても東フィルのレパートリー外(例えば古楽やコンテンポラル)は無視されている。それならオーケストラ史と副題につければよいのに「全史」とするので過大な期待を持ってしまう。

 

「全史」=オーケストラ史になった理由は、著者が東フィルの広報部に所属している(刊行時)からと推測する。オーケストラしか意識にないうえ、化石ものの独墺中心史観にたっているのでその他の国の音楽(東フィルがリムスキー=コルサコフやラヴェルでいい演奏をしているのに)ほぼ触れないという徹底ぶりである。

 

本書は序章でまず、次のことについて説明するとしている。

 

ドレミの音階や、メディアとしての楽譜がどのように誕生し、音楽がどのようにしてひろがっていったのか。そこまで遡って、まとめています。(ivページ)

 

インターヴァル(音階)の説明はピュタゴラス音律の超簡単な説明だけだった。オーケストラをオーケストラたらしめている平均律、マイナス面は大きくマーラーでさえ嘆いていたが、巨大なオーケストラを運用可能にした貢献は大きい、については全く説明がない。

 

ドレミの誕生といえば昨年グイド・ダレッツォの『ミクロログス』の画期的な翻訳が本書の刊行以前に出版されたのに、最後まで読んでも遡った説明はなかった。

 

 

序章 リベラルアーツとしての音楽 数学、哲学と並び位置付づられたクラシック音楽の起源(副題)

 

最近「ビジネスツールとしてのリベラルアーツ」的な本が流行っているのに合わせたのか、本書も「リベラルアーツ」から入っていく。

 

美術史は印象派から始まる、というジョークがあるが、本書でもクラシック音楽は18世紀以降、それ以前はそうでないと区別している。

 

本書はリベラルアーツを表面的にしか扱っていないので、大きな矛盾があることに気がついていない。本書の読者にリベラルアーツとしての教養を持つことの重要性を訴える一方で、当の作曲家や演奏家で十分リベラルアーツを取得した人が一体どれだけいるというのだろうか。

 

12世紀までなら作曲家は修道院や大聖堂附属学校に所属していたから問題はない。以下の人たちは音楽以外の七学芸の著作がある。

ボエティウス(ただし音楽作品はのこっていない)

グイド・ダレッツォ

ライヒェナウ修道士のヘルマヌス

クリュニー修道院長ペトルス・ウェネラリビス

ビンゲンのヒルデガルトなど。

 

しかし現在の「グレゴリオ聖歌からがクラシック」という潮流に逆らって、この時代はクラシック音楽の時代ではないとしているのは皮肉である。

 

後の時代、ケプラー(1571〜1630)は取得していたかもしれないが、同時期のモンテヴェルディ(1567〜1643)はあやしい。

更に後の時代、バッハが七学芸全て身につけていたという話は聞かない。身につけていたらトマス学校で教えているはずだが、音楽とラテン語を教えていただけであった。

モーツァルトも同様。

ベートーヴェンになると、夜空をみながら「宇宙の音楽」を想像する。

シュトラウス、ワルツ『天体の音楽』

マーラー、『第8交響曲』で「宇宙の音楽」を盛り込もうとしたがラテン語は読めなかった。

 

なので、リベラルアーツとクラシック音楽の関係性が本書で明確でなく、現代に近づくに従ってわからなくなっている。

 

本文に入ると「クラシック音楽」とは何か、いきなり大上段に構えクラシックの語源を説明する。

 

「クラシック(Classic)」という語の語源は、ラテン語の「classis(階級)」から派生した 「classicus(第1階級に属する)」です。「一流の」「最高水準の」という意味が込められています。そして、もう一つの意味は、有事の際に街の防衛のため艦隊を提供できる市民のことを指します。つまり「困難に際して心身の命を守るのもクラシック」ということです。4ページ

 

後半はたいへんなこじつけだが、「クラシック」はヴィンケルマン がギリシア古典期の彫刻に対して用いたのが最初で、きちんとした理念に裏付けられての命名である。しかし音楽ではこうした理念的考察はされていない。「クラシック」の名称が用いられたのは20世紀に入ってからで、それもビジネス上の理由からである。

 

この言葉は、1930年代からレコード会社が使い始めた。そうしてジャンル分けをすれば、買い手が自分の欲しいレコードを見つけやすいだろうと考えたわけだ。

ハワード・グッドール/夏目大訳「音楽の進化史」河出書房新社、2014年、358ページ

 

本書がビジネス目線を大事にしているのであれば、後者の事実はクラシック市場拡大に貢献した実績として純粋に評価できると思うのだが、単に敷居を高くしているようにしかみえない。

 

こじつけ部分について、classicusの第1義は艦隊の編成分けであった。ラヴェンナの郊外にサンタポリナーレ・イン・クラッセという教会があり、アプシスのモザイクで知られている。今では内陸になっているが当時ローマ帝国の軍港で、まさにクラッセからここからきている。

 

第1章 音楽から見るキリスト教と技術の発展

事実関係の間違いやミスが多い。かつてチェリビダッケは『幻想交響曲』についてこう言った。「ピアノがあれば、この曲の和声上の間違いをたちどころに30箇所は指摘できる」(もちろん本書が幻想交響曲であるというのではない)。それらは飛ばしても、参照元資料から抜き書きして並べただけのような記述を続けていくのは、想定読者に対して不親切すぎる。「下行」、「旋法」、「ローマ式典礼」といきなり出してもまず理解できない。

 

続く章も展開が荒すぎる。

 

そのなかで、モンテヴェルディとリュリについての章は、この種の本として言及しているのが珍しい。特にリュリは、いかに当時文化の中心がパリ(ヴェルサイユ)で、ルイIV世の宮廷からみたらザクセンの楽長など知っていたとしても田舎の楽長程度の認識だったのかもしれない。

 

 

19世紀以降クラシック音楽全盛期となる。王侯貴族のパトロンがいなくなって自立しなければならなくなった作曲家については本書にも書かれているが、力を失った宗教の代替が音楽に期待され、芸術家(作曲家、次いで演奏家)至上主義に陥ったことについては触れていない。現代はこの弊害だけが残っている。

 

ずっと進んで第5章、ここでフランスのドビュッシー(フランス人作曲家はリュリ以来)の登場、しかし問題あり。

本書には綴じ込みで年表がついていて、そこでドビュッシーは後期ロマン派に分類されている。

本文第5章ではロマン派ではなく音楽の印象派として紹介されている。それもマラルメの詩から作曲された『「牧神の午後」への前奏曲』の解説の中においてである。

なお、ドビュッシー本人は印象派呼ばわりされるのをとても嫌っていた。

 

本書の刊行がドビュッシーのメモリアル・イヤーだった、という理由だけで加えられたのではないかと思うほど、前後の文脈に合っていない印象だった。

 

演奏家の多くがコンサート案内のチラシに「仕事の疲れを癒す」と書き、日常を忘れることを演奏に託している。せっかく日常を忘れるため聴きにきているのに、ビジネスが追いかけてくるように仕向けているのはどうかと思う。

 

本書が対象とする読者が本書を購入して読み、それをネタにビジネスシーンで利用したとする。相手が同レベルだったら同じ本を読んでいる可能性が高く、そうなるとネタの出し合いに終始する。

 

相手が高いレベルだったら、相手との距離が縮まるかもしれないが、下手に出すと底の浅さが露呈して一挙に距離が遠くなるかもしれない。

 

本書が出版された背景は、100年にわたる緩い低迷の後、ジェットコースターのような衰退に陥っているクラシック音楽業界の現実があるように思える。

 

クラシック音楽の先進国オランダでさえオーケストラへの助成金は大幅に削減またはカットされるくらいだから、日本では更に厳しいことは容易に推測される。クラシック音楽自体20世紀初頭には音楽上の行き詰まりが起こり、20世紀後半までに巨匠と呼ばれるような演奏家がいなくなった。それに加えて21世紀に入るとクラシックに限らず音楽自体のあり方も聴き方も変わってしまった。旧来の価値観にあった音楽や業界は、衰亡したとも死んだとも言われている。分かり易い例がコンサートのレパートリーで、21世紀に入るのに、ほぼ19世紀の作品で占められている。

 

このような状況でも、業界維持のため市場開拓が必要となる。これまでの客層の延長で集客は見込めず、新たな層が必要である。そのため選ばれたのが、クラシック音楽を「教養」と結びつけ、その「教養」に飛びつきそうなビジネスパーソン層で、この層をターゲットにすれば収益が見込める。そんなマーケティング戦略が本書から垣間みえてくる。

 

「全史」といいながら、オーケストラ以外の音楽や演奏家には何の恩恵もないし、クラシックに限らず音楽をビジネスツールのために使って欲しくないというのが正直な感想である。

 

教養というのなら、本書については『レリオ』からの引用が合っている。

 

君たちに何もいうことはない、知っている者には不要で知らない者には無用だから。

je n’ai rien à vous dire; mes avis seraient inutiles à ceux qui en ont le sentiment, plus inutiles encore à ceux qui ne l’ont pas... 

 

あるいは(以下、曲を本に置き換えて)、

 

大きくなったら、流行曲など弾かないように。時間は貴重なものだ。今あるだけの良い曲を一通り知ろうと思っただけでも、百人分ぐらい生きなくてはならない。

 

本書でレファレンスに挙げているシューマンの『音楽と音楽家』の箴言である。

 

『第9』にまつわるエピソードならこんなのがある。

 

ヴァーグナーがベートーヴェンの『第9』に未来の音楽の方向性を見出して賞賛し、積極的に演奏していたことはよく知られている。バイロイトでも音楽祭で必ず演奏するようにもなった。本書にあるように、ヴァーグナーは革命に燃えていた時期があり、その頃アナーキストのミヒャエル・バクーニンと親しかった。バクーニンはヴァーグナーによる『第9』を聴いてとても感動した(ヴァーグナー版『第9』は楽劇なみにこってりしたオーケストレーションだったらしい)。バクーニンの目指すアナーキズムは全ての文書破壊を行う。それは公文書だけでなく文化に関わる全ての文書を念頭においていた。しかし『第9』に感動したバクーニンは、『第9』の楽譜だけは破壊から除外することにした。

 

このほうが、音楽の偉大さや社会への影響を示す好例に思う。

 


いちごのミネストローネ

猪のいる「いちごの里」で初めて食べて以来、一度だけトゥルーズで食べたきりの「いちごのスープ」を日本でついに見つけて食べることができた。

 

いちごの里のいちごのスープ

 

こちらはトゥルーズで食べたもの

 

場所は銀座シックスにあるカフェディオールバイピエール・エルメ、おやつ前に入り(入口探しに手間取った)迷わず注文した。

カフェでの名前はスープではなくミネストローネである。飲み物は珍しいノワゼットでヘーゼルナッツとミルクの組み合わせ。最初に出たのは、ウェルカムガトーということでフィナンシェだった。次にミネストローネが登場。

 

Minestronne de Fraise

 

いちごのミネストローネにレモン風味のライムアイスが添えられている。

 

ミネストローネはこれまで体験したことのない味、ピエール・エルメのお菓子ではこういう体験が前にもあった。最高級いちごに甘みと同時に酸味のあるソースが効いている。日本ではこれ以上のものはないだろうという味。

 

しかしいちごの里のスープと比べると、いちごの里のほうが勝っている。ミネストローネを食べながら理由を探ってみると(まるでプルーストみたいだけれど目的が違う)、いちごの質にあるのではないかと思われた。

 

ミネストローネのいちごは画像のように、中がかなり白い。一方、スープのいちごは中まで赤く熟している。フランス有数のいちご地帯であるコレーズ地方のいちごと日本産高級いちごでは熟度に差があるらしい。それに加えてヨーロッパでは果物も野菜も、特に何もしなくてもよく育つ。特に夏場は日照条件の影響が大きい。日本の土壌でヨーロッパと同じ味にするにはかなりの改良が必要で、そのまま値段に反映されてしまう。一粒5万円といういちごも登場するほどであるが、それでも味の点では追いつけないのではないかと思われる。

 

この違いを知ったのは、イタリアでの体験だった。ちょうど収穫期に入る頃にヴェネツィアからミュンヘンに向かう途中、一面に葡萄畑が続く旧道沿いにあったワイン農家を訪れ、そこで発酵前の葡萄エキスを頂いた。 単に葡萄から絞っただけなのに日本のブドウジュースよりも濃厚なこともあり、その甘さはまるで葡萄が受けた陽光をそのまま甘さにしたような、太陽の祝福を受けた味だった。

 

ミネストローネはソースにいろいろ加えてあるらしく、いってみれば複雑な和声であるのに対し、スープは単純な旋律で素材そのものに歌わせている。もし、日本産いちごでなく、いちごの里のいちごをミネストローネに使っていたら、もっと素晴らしい味になるだろうと思われた。

 

一緒に選んだノワゼットもこれまで体験したことのない味だった。どちらかというとさっぱりしたいちごのミネストローネにはちょうど合うが、甘めのケーキだとくどくなるかもしれない。

 

ノワゼット

 


新年

あけましておめでとうございます。

 

いちごの里の猪


権力者も餃子も泳ぐ

泳ぐ権力者  カール大帝と形象政治

ブレーデカンプ著、原研二訳、産業図書、2017年

Originale: Der schwimmende Souverän - Karl der Große und die Bildpolitik des Körpers, Horst Bredekamp, Verlag Klaus Wagenbach, 2014.

 

「権力者」と「泳ぐ」を結びつけるのは一見簡単ではなく奇異な感じさえ抱く。「政界を泳ぐ」といった比喩的な意味で使っているのならわかるけれど、読み始めてみると文字通り水のあるところで「泳ぐ」ことだった。権力者、ここではカール大帝、が泳ぐことの意味を問うことから始まる。

 

洋の東西を問わず権力者は体力勝負な面があり、たとえ瀕死の身であっても民衆の前に姿を現すことで権力基盤を維持することができたのは古代や中世ばかりではなく、現代も同じである。中世であれば、映画『エル・シッド』の後半で重傷を負ったエル・シッドが姿を見せることで民衆や兵士の不安(指導者がいなくなり、城壁に迫る敵に滅ぼされるのではないか)が解消され歓呼に変わるシーンや、瀕死の病なのに人民の面前に姿を現さなければならない東ローマ皇帝の例があった。

 

著者の目的は権力者の泳ぎパフォーマンスをから、カロリング朝という政治機構がまだ未発達の時代、カール大帝とアーヘン宮廷の側近が身体というメディアをどのように政治機構強化のために用いたかを明確にしていく。

 

アインハルトの『カール大帝伝』にもあるように、カール大帝は温泉と泳ぎが大好きだった。ブレーデカンプによるとアーヘンが宮廷所在地となったのも、単純に古くからの温泉があり、ローマ人が建設したクアパークがあったからで(そうだ、温泉へ行こう!)、それ以外の何の理由もなかったという。実際、現在の大聖堂のすぐ傍に温泉プールがあったことが記録資料や考古学的データからわかっていて、ここでカール大帝は息子たちや臣下と共に泳いだ。

 

主従が一緒に泳ぐことで分け隔てのない一体感が生まれ政治的緊密化に貢献する。同時にカール大帝の恵まれた体格(1m90cmあったという)と体力を誇示することで、臣下(皇帝になってからは諸国王も含む)とは違うことをアピールして自身をオーソライズした。

 

王(皇帝)の身体と政治の関係といえば、カントロヴィッチの『王の二つの身体』でも明らかにされていたが、政治だけでなく芸術の分野にも影響が及んでいる。

 

続く章ではコインとヘアスタイルが問題になる。カール大帝の出自であるカロリング家は、先行したメロヴィング王朝の宮宰であり、メロヴィング王が弱体化するなかで王権を得るまでに発展したが、メロヴィング王が「一度も切られたことのない」長髪であったのに対し、フランク族のカロリング王は意図的に短髪にした。ここで身体言語としての意味がカール大帝によって変えられていることに気付き、ある意味ロラン・バルトを1000年先取りしているともいえる。

 

スイスとイタリアの国境ミュスタイルにある聖ヨハネ修道院は、カール大帝が寄進して設立されたという伝承があり、実際聖堂をはじめいくつかの建築と聖堂の壁画はカロリング時代のものである(このため世界遺産に登録された)。聖堂の柱にカール大帝像と伝えられるストゥッコ像がある。制作年代は特定されていないが、カール大帝存命中に制作された可能性が有力視されている。カール大帝は典型的なフランク族の服装で(『カール大帝伝』には、式典以外は質素な服装を好んだと記述されている)、ヘアスタイルに着目すると、かなり短髪であることがわかる。

 

 

そうなると、同じ聖堂のカロリング時代の壁画や、後述の『ゴデスカルクの福音書』の「栄光の王」はどうして長髪なのだろうか。もっとも、短髪のキリストをみたことないけれども。

 

 

泳ぎとヘアスタイルについて面白いまとめ方をしている。

 

水の波と髪の波、髪のうねりは制御され、整形されねばならない。両要素は結合して、身体そのものを形象の担い手とその結合についての根源的表現が、さらに同種の生身の形象へと伝わるのである。

 

「泳ぎ」は水の支配であり、さらに動物界の支配に接続させている。自然を支配するというヨーロッパ独特の概念がここで明確になった。アーヘンにはカール大帝の命令で各地より集められたり、寄贈された動物たち(その中には、カリフ、ハールン=アル・ラシードが贈呈したアフリカ象も含まれていた)を飼育する区画が設けられ、さながら動物園のようであった。

 

その動物園の記録を著者は『ゴデスカルクの福音書』挿画に見出している。『ゴデスカルクの福音書』はカール大帝と妃により781年に発注され、783年に完成した。

 

 

781年から783年の間カール大帝の命により制作された著述家ゴデスカルクの福音書には、湯治場の絵が載っており、それにはこうした2羽の孔雀が、温泉を囲む柱に支えられた丸い園亭の装飾を形成している。その他の鳥や右下に描かれる鹿と協力してパラダイス気分を盛り上げていて、ヴァラフリドがアーヘンの野生園を眺めながら、ときに感じたのもまた、これである。

 

この挿画は、美術史家ならふつう「生命の泉」と説明する。生命の泉はヨーロッパでこの『ゴデスカルクの福音書』が初出であるが、東方のもっと古い例に遡り、例えばGarima Gospels(最近の分析では530-660年頃制作)にも見出される。著者は当然美術史家の解釈を知ったうえで、イメージのなかに別の解釈を読み込む。それが行き過ぎかどうかは読む人により判断が分かれるかもしれない。

 

「生命の泉」でもっとも有名なのは、カール大帝の宮廷で制作された『ソワッソンのサン・メダール福音書』の挿画である。本書では言及されていないが、上記の文脈に沿っていくと、特に泉の背景にある建造物がアーヘンのテルメ(温泉)の建築構造が反映されているかもしれない(ただし著者はこの写本に触れていない)。「生命の泉」は「若さの泉」、「青春の泉」とも呼ばれ、ヨーロッパでは人気の画題となり、何度か流行している。

 

 

「生命の泉」は洗礼と関わり、アーヘンの地で「泳ぎ」の形象と隣接することになる。

 

『ゴデスカルクの福音書』写本についてはさらに考察を進める。

カール大帝のカロリング王朝では、国家記号学が「流体」であり、その体系はカール大帝の泳ぐ身体から始まっている。水は記号学を構成し統治形態の構造要素となる。ここで写本に目を向けると、先の「生命の泉」に対向するページから、紫に染められた背景に金または(今日ではすっかり退色してしまったが)銀文字で聖書のテキストが記述される。

 

 

このイメージを著者は、

 

湯治場の図に続くゴデスカルクの福音書の挿画こそ、この流れの秀逸な展開である。……文字は金色と、今では黒く酸化した銀色で施され、赤金の地は、羊皮紙を泳ぐように浮かび上がる。

ゴデスカルクの福音書の完成は、本文と図版の校閲を担ったアーヘン宮廷派の劈頭を飾るのだが、この福音書は光と水に両極を定め、その両極の間で、いわばずぶ濡れの羊皮紙、色、メタリックな文字、光へと<海進>(トランスグレッシオン)する文字、これらの<流出>(エマナツィオン)が起こる。液体性格を具えた彩色写本の描写手段は、異なるメディアが互いに浸潤し合う卓越した例となるのだ。

 

これまでの伝統的な歴史学またはアナール派とも違い、ヴァールブルク派の手法を継承したものという。個人的な嗜好ともとられる泳ぎに着目して展開していくプロセスがとてもユニークで説得力がある。こじつけあるいは行き過ぎの面もあるかもしれないが、欠点としては小さい。

 


上野のフェルメール展

国内で開催されたフェルメール展で最多の8点(11月)が展示されるというので上野まで行くことになった。以前、デン・ハーグでの展覧会をみたことがあり、その時との違いがいろいろと考えさせられた。2018年の東京展と、1996年のデン・ハーグ展(オランダ)と比較してみる。

 

会期

東京 2018年10月5日〜2019年2月3日

オランダ 1996年3月1日〜1996年6月30日

 

オランダ展に先立ち、ワシントンのナショナルギャラリーで開催、歴史的大雪と公務員のストで一時開催が危ぶまれていた。ワシントンでは『牛乳を注ぐ女』と『恋文』は展示されなかった。

 

開館時間

東京 9:30〜20:30

オランダ 9:00〜18:00(会期後半は0:00まで延長)

 

みた日

東京 2018年11月29日(木)

オランダ 1996年3月20日(日)

 

場所

東京 上野(半径500kmに約1億人)

オランダ デン・ハーグ(半径500kmに約2億人)

 

会場

東京 上野の森美術館

オランダ マウリッツハイス美術館

 

フェルメール展会場(1996年)

 

会場の規模は上野の森美術館のほうが大きい。マウリッツハイス美術館はオランダ建国の功労者マウリッツの私邸を美術館として公開、フェルメールやレンブラントのコレクションで知られる。この展覧会のために特設のスペースを作った。入場は美術館裏口から、運河の上に仮設のテントを設け、廊下を渡って本館に入る。

 

会場入り口の仮設渡り廊下(テント)

 

 

チケットと入場規制

東京 2500円(前売り)、タイムスロープ制

オランダ 1200円(前売り)、タイムスロープ制

 

オランダ展のチケットは当時のヨーロッパの美術展としては高めであるが、23点集まっているのだから納得の価格。それと比べると東京展のチケットは22年の開きはあるにしても高い。両展覧会とも当日券が若干用意されている。

入場はどちらもタイムスロープ制を採用しているが、実際に入れた時間は大きく違った。

東京展は11時〜のチケットで11時ちょうどに約100mくらいの列に並び、入れたのは30分後。

オランダ展は11時〜のチケットで11時ちょうどに入口に着き、すぐに入れた。チケットは前日に泊まったホテルで入手。どちらも入ったら閉館までいられる。

 

展示作品

東京 8点(11月現在)

オランダ 23点

 

20世紀に開催された展覧会でもトップの内容。『絵画芸術の寓意』は当時修復中のため展示できず、今回東京展で展示されている『リュートの調弦』もこのときは損傷が激しいという理由で展示されなかった。その代わりバッキンガム宮殿所蔵のため滅多に見ることができない『音楽の稽古』が展示された。

 

展示室

東京 8点の作品を1室で展示

オランダ テーマごとに4室に分けて展示

 

資料

東京 入口でブックレットを配布、日本語のみ

オランダ 入口でブックレットを配布、4ヶ国語それぞれ用意されていた

 

どちらの資料も簡易なもので、文章のみ。

 

照明

東京 ハロゲンランプ、自然光なし

オランダ 自然光(窓は紫外線遮断処理)が基本

 

作品の照明が最も違う印象だった。東京展はハロゲンランプのせいか、赤色が強調され、色バランスを崩しているようにみえる。明るさを落としているので暗部はより暗くなる。以前の展覧会でみられた保護ガラスの反射はかなり抑えられている。

オランダ展は会場が小さいので十分な自然光が入る。何と言っても電車で10分のデルフトと同じ光でみることができた。

 

展示の状態

東京 作品から約1m離れて柵があり、それ以上は近づけない

オランダ 作品との距離に制限なし

 

これも大きく違っていた点、1m離れていると細部がわからない。画家だったら、マチエールを確認したいと思うのにできない。特に『赤い帽子の女』のような小品には遠すぎる。オランダ展ではじっくり細部をみることができた。

 

動線

東京 展示順路の最後、部屋に入ると順路が特に指定されていないので、ランダムな順番でみることができる。これだけの規模の展覧会で順番を設けないのは評価されてよい。

オランダ 緩い規制があり、第1室から順番にみるようになっている。3月時点では最後までいって再び戻ることができたが、展覧会後期は一方通行となった。

 

時期が展覧会前期だったせいか、余裕があり、何度も行ったり来たりできたのが幸いだった。

 

関連展示

東京 別室にオランダの同時期の絵画作品を展示、一室をビデオ上映にあてていた(見なかったので内容不明)。

オランダ 地下の部屋で展覧会開催時点での科学的調査結果を紹介、特に展覧会にあわせて修復された『デルフトの眺望』と『真珠の耳飾りの少女』について。

 

オランダでは国を挙げて本気で開催したので、関連企画展の充実ぶりがすごかった。

デン・ハーグ

Dutch Society in the Time of Vermeer

Den Haags Historisch Museum(フェルメール展会場入口の向かいの建物)

1. March - 2. June 1996

当時のオランダ社会についての図版、公文書に残されているフェルメールのサイン、作品に登場した小物等を展示している。

図録は"Dutch society in the age of Vermeer"(f39.50), ISBN 90-400-9823-9

 

The World of Learning (Cartography and scholarship in the 17th cent.)

Museum van het Boek-museum(場所がわからなかったので未見)

1. March - 2. June 1996

 

The Men of Emmaus

9. April - 7. July 1996

Museum Bredius(フェルメール展会場入口前の広場の反対側、まだ開催されていなかった)

フェルメールの贋作で有名な”メーヘレン事件”の中心人物、ハン・ファン・メーヘレンの「贋作」以外も含めた作品展

 

その他関連コンサートも開催。小さな美術館が私的に企画したものもあった。

後に知ったところではロッテルダムでグリューナウェイの講演もあったそうである。

 

デルフト

市制750周年と重なってとても力を入れている。

 

Delft Masters - Contemporaries of Vermeer

Museum Het Prinsenhof

1. March - 2. June 1996

フェルメールと同時代、同場所を中心に活躍した画家たちの作品展。これだけでもかなり見応えがある。会場のプリンセンホフは修道院でオラニエ公ウィレムが隠棲し、暗殺された場所である。

 

Vermeer Interior

1. March - 2. June 1996

Museum Lambert van Meerten(日本では「タイル博物館」の名で有名)

 フェルメールの作品に出てくる室内を複数の作品から再現。上映されているビデオは短時間ながらも興味深い。この他作品に登場する小物も展示。プリンセンホフから北へ旧教会を過ぎたあたりにあり、古いデルフト焼きがコレクションされている。内部は撮影禁止であった。

 

混み具合

東京 平日だったせいか入口以外はそれほどでもない

オランダ 会期前半でも激混み(後半はもっと混んだらしい)

 

東京展で気になったのは、当の絵を前にして解説を読む人たち。一生に一度の体験(しかも唯一)かもしれないのに何で解説を読む?それと音声ガイド、作品体験の妨害と思わないのだろうか、不思議である。

 

展覧会文化の違いのせいか、オランダ展では日本以上に激混みだったにも関わらず、みたい作品の前に長い間いることができ、周囲の人も気にしていなかった。自然光のもと至近距離まで近づけたので、細部もじっくり観察できた。驚いたのは、車椅子の来訪者がきたとき、周囲にいた人たちがさっと場所をあけたことだった。日本ではありえない。

 

展覧会グッズ

公式CD

東京 なし

オランダ 当時の美術展には珍しく公式CDが発売されている。展覧会のために特別制作したものではなく、既発売のCDから選ばれた。展覧会のシールが貼られているが、カバーはフェルメールの作品でないのが惜しい。

The Golden Dream 17th-Century Music from the Low Countries.

Musique des Pays-Bas au XVIIe Siecle

The Dewberry Consort

1993, USA, harmonia mundi 907123

 

 

記念切手

東京 なし

オランダ 切手3枚と小型シート

 

その他グッズ

東京 グッズはマニュアル化されたのか、どの展覧会も同じようなもの(トートバック、クリアファイル、マグネット等)で絵柄だけが違う。

オランダ ワインがたくさん並んでいた。『牛乳を注ぐ女』に描かれたパンは市内のパン屋で買えた。

 

泊まったホテルでは「フェルメールディナー」というのがあり、頼んでみたらきのこ料理をパレットに乗せたものが出てきた。なぜきのこなのか不明。


          ■■                 ■■■

同時代の音楽論同士でツーショット

 

 

 


                   ■ ■           ■■       ■

ヨハネ讃歌とランゴバルト史。

どちらも日本語で読めるありがたい時代。

 

 


   ■   ■  ■    ■■

画商ヴォラールが企画した『賽の一振り』は、作者の死の直前まで独特なレイアウトを中心に校正が行われ、ルドンの石版画も準備が進んでいた。復元されたヴォラール版がアメリカのタイポグラフィーを得意とするLucia Marquandから刊行された。フランス語版と英語版の2冊構成となっている。

 

 

 

 

空間の中の詩句

 

ヴォラール版復元の試みはこれが初めてでなく、フランスのLa Table Ronde(TR)から2007年に、Ypsilon(YP)から2010年に出版されていた。TR版は自筆原稿のファクシミリを含むが、やや小さな判型、YP版とLM版はほぼ同じ大きさ(LM版のほうが全長で5mm長い)、厚い紙を使用していてLM版は若干クリーム色になっている。TR版は行路社から日本語版が出ている。

 

 

左がYpsilon版

 

書体は作者により指示されていたので、YP版とほぼ同じであるが、行間や文字間が若干異なっている。

 

 

左がYpsilon版

 

 

「主」の登場、下がYpsilon版

 

LM版は末尾にルドンの石版画が収録されている。直前になって輸送中の事故で石版が失われ、4枚の予定が3枚となり、欠けた1枚の部分を新版では見開きで空けられている。ルドンの構想ではテキストと対立しないように着色した紙の使用を考えていたが、それは再現されていない。Ypsilon版では、子供を描いた石版画を表紙においている。

 

 

 

TR版には初出のコスモポリタン誌や校正原稿のファクシミリを収録している。縮小されているのが惜しい。

 


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