天使の舞いおりたところ

 

天使の舞いおりたところ


(前からの続き)

タイトルになっている「天使の舞いおりるところ」について本文では特に言及がなく、あとがきの中で、


なお、本書のタイトルにふさわしいと考えて選んだ表紙カヴァーの天使は、イタリア国境に近いスイス領ブルガイスのマリーエンベルク修道院を飾る合計二二人の天使の一人である。

374ページ


というように述べている。


場所については間違いで「スイス国境に近いイタリア領ブルガイス」が正しい。下の地図で、右上に Burgeis があり、その左に Convento Monte Maria と記された所がマリーエンベルク修道院(標高1330m)がある。


修道院、チロルの夏の空は本当にこんな感じ


もともとはオーストリア帝国領だったのが、第一次大戦の敗北でイタリアに割譲することになった事情から、この地域はイタリア語どドイツ語が公用語になっている。地名のブルガイスはドイツ語、イタリア語ではブルグシオ。修道院の名前もドイツ語では Abtei Marienberg、イタリア語では Abazzia di Monte Maria となる。


Google map航空写真で下側にある Taufers/ Tubre がイタリア側の国境に最も近い町で、そこから10分ほど歩くとスイスのミュスタイルに着く。スイスはEUに加盟していないので、国境には検問所がある。


ブルガイス〜国境線、Google ma


麓のブルガイス(標高1200m)まで本数の少ないバスがあり、バス停から歩いて登る。ブルグシオ〜修道院間は地図で見る限りたいした距離はないけれども160m登ることになる。


Burgeis〜Abbazia di Monte Maria, Google map


このときは地図通りに曲がりくねった道を行くと、時間がかかると思ったので無視してまっすぐ登った。花畑の傍を通ったり途中で小さな聖堂を見つけたりした。


麓のブルガイスから


ザンクト・シュテファン教会、カロリング時代の小さな聖堂


近道のおかげで本来の入口を過ぎてしまい、修道院背面から山林を抜け降りて修道院の裏から入ることとなってしまった。普通の観光客はこんなルートはとらない。


修道院からブルガイスの村を見おろす


クリプトはガイドツアーでしか入ることができない。ちょうど、午前最後のツアーに間に合った。案内役の修道士が先導して何人かの観光客と一緒にクリプトへ入った。


クリプト内部(Wandmalerei im Vinschgauから)、実際はもっと暗い


クリプトは天井が低い


第一印象で壁画はとても色が薄い感じがした。明らかにビザンティン的な壁画だから、背景の青はもっと濃くて暗い青で描いたほうが良いのではとも思った。


修道士はライト(裸電球)で光を当てながら部分ごとに解説していく。残念ながらイタリア語だったので、断片的な単語しかわからなかったが、壁画を実際に見れば、だいたいのテーマはわかった。


地下聖堂に舞いおりた天使(手持ち撮影なのでぶれている)


「栄光の王」の他は天使ばかり、これだけ多くの天使がいる地下聖堂はとても珍しい。アルプス山中の渓谷を見下ろすこの場所は、本当に天使が舞いおりるのにふさわしい。


天上=天井の天使たち


ガイドツアーの最後に驚くようなことが起こった。

修道士はそれまで使っていたライトを消すと、一瞬闇に包まれ、やがてクリプトの一つしかない小さな窓の光を受けながら、薄いと思っていた青が濃紺になって壁から溶け出すように、空間を染めはじめた。「青」に包まれるという感覚。共に青の中にあるので壁面と空間の境界が消え、その中から天使たちが浮かび上がる。


窓の反対側にある壁画、青い闇の中で浮かび上がる


これだけは絶対に写真では再現できない、実際に体験しないとわからないことである(後にこの話を知人にしたところ、ロスコルームで似たような体験をしたことがあると言っていた)。


あえて壁画の青を薄くした理由はここにあった。もし、濃紺にしたら、完全に埋没して浮かび上がることはなくなってしまう。


『天使の舞いおりるところ』では、マリーエンベルク修道院クリプトの壁画・天井画について、では少しだけ触れている(II 西ヨーロッパの中世壁画、1ロマネスク壁画の諸相)。


『天使の舞いおりるところ』の上の図版はモノクロ、ここでは Stampfer, Romanische Wandmalerei im Vinschgau, 2002 のカラー図版からとった。


白色の筋を重ねて額、長い鼻梁、頬骨などの凸出部を強調するためのハイライトが描きこまれ、さらに頬と顎の中心などには赤い斑点を置く(図7)。

112ページ


図7 キリスト頭部 マリーエンベルク修道院クリプト ブルガイス


同系の濃色を二重、三重にしだいに細かく繰り返して襞を塗り、あるいはこれにもハイライトを混えて複雑な効果を狙う。衣文の線、ことに風に翻る衣の裾(図10)は、十二世紀末にいたると、激しく誇張されたバロック的曲線を描き、鋭いジグザグの線をきざむ。

112ページ


図10 天使の下半身 マリーエンベルク ブルガイス


図10の全体


ボーダー状の雲はパステル風な明るさ


雪のような星に囲まれて


外側からみたクリプト部分



天使の舞いおりるところ(辻佐保子、岩波書店)


アルプスに連なる山奥に「天使の舞いおりるところ」はある。古びた協会の壁面で、天使たちは訪れる人々の心に平安を与えていたのだ(帯より)。


昨年末に亡くなられた美術史家、辻佐保子さんが書いた一般向けの本。この後に出版された『ビザンティン美術の表象世界』はすぐに買っていたけれども、本書には今まで気がつかなかった。書店にはもう売っていないので図書館で借りてきた。


内容はライフワークとしておられた写本挿画と壁画、東方のキリスト教芸術、その他について。

写本挿画は、ざっと盛衰を概観したあと、著者による『コットン・ゲネシス』の解読に進む。この写本はサン・マルコ大聖堂のモザイクとの関連でよく知られているが、火災のため断片しかのこっていない。のこった部分も煙や水をかぶって色が落ちたり変色したりしていて、限られた部分しかわからなかった。著者はひたすらそれらを見て、関連する裏付けを行った結果、見えなかった部分が解読できるようになった。カラーページにこの断片が掲載されているけれど、本当になんだかわからない状態である。素晴らしい業績であるが、その裏での努力はたいへんなものだったと思う。


その後は国内発売されたファクシミリ写本について、その中でも「『エヒテルナッハの黄金福音書』をめぐって」はニュルンベルクで実物(装幀板)を見、観峰美術館での展示や、日本橋に本店があった頃の丸善でファクシミリを手にとって(といっても、とても重いのでテーブルにおいて)じっくりみたりしたので思い出深い。


この大型福音書写本は、アングロ・サクソンの布教者聖ウィルブロルドにより、七世紀末に設立されたエヒテルナッハ(現リュセンブルク領)の大修道院において1030年頃制作されたものであり、中世写本芸術の歴史の中でおそらく最も輝かしい成果を遺したオットー王朝(ザリエル王朝)ドイツの超一級の作品の一つに数えられる。(48ページ)


こちらはシュパイアー大聖堂で展示されていたファクシミリ


この写本については織物風装飾についてと装幀板を少し紹介したことがある(このblogのバックもこの写本のモティーフからデザインしてある)。


Codex Aureus Epternacensis, fol. 114r


以前は欲しいと思っていたファクシミリだったけれども、とても高いのと、もっと分解能の高い印刷本(A. Grebe, 2007)が出たので今はそちらをみている。


中世の壁画ではロンバルディア(ランゴバルト)の壁画を訪ねた「天使の舞いおりるところ」が収録されている。本のカヴァーにもなっている壁画もこの地域で、マリエンベルク修道院地下聖堂の壁画(天井画)である。


この地下聖堂は聖プロコロ教会を訪ねた折に立ち寄ることができた。


ルドン展図録


ルドン展の図録、『グラン・ブーケ』は収録されず別冊になっている(一緒に購入すると100円割引)。表紙の作品はドムシー男爵旧蔵のスフィンクス(W2615)。



紙質は良いけれども、画質は昨年のグラン・パレの図録のほうが高解像度印刷されていて、こちらは少し見劣りする(グラン・パレの図録は50ユーロ、こちらは2200円)。



解説文では、ユゴーとルドンの関係について論じたものが目新しいが、今後直接的な関係を裏付ける一次資料の発見が待たれるところ。目玉おやじの一節は本文との関連がなく、ここでは不要に思える。


過去何回か開催されてルドン展をみてきて共通しているのは、画家にとってとても大切だった、音楽とのつながりを明らかにしたものがないこと。2002年の岐阜での展覧会中にイヴェントとしてロビーでコンサートを開いたくらいだった。次回(没後100年の2016年か?)にはそれを期待したいところである。


グラン・ブーケ


1998年に出版されたルドン作品全集の記載によると、『グラン・ブーケ』はこの時点で下の一枚の写真でしか知られていなかった。『グラン・ブーケ』を除く装飾画は全てオルセー美術館に収蔵されていた。とびきりの作品なので所有者も最後まで手放そうとしなかったのかもしれない。


左右が逆、Catalogue Raisonne IVから, W2535


一枚だけ展示された部屋に入ると、溢れるような花の最大の祝福をもって迎え入れられた。現実と幻想の花、ところどころにある黒は、「黒」の時代の作品を思わせる。



絵の寸法について、デビューした頃に次のように日記に書いている。


最大の巨匠も、寸法の問題で過大に陥ることがあり、それに気がつかないでいるように見えることがある。彼らの力が、行き過ぎを引き起こして、思想を納めるべき枠をはみ出してしまうのである。その場合最も陥りやすい誇張は、画面の寸法を拡げすぎることである。絵の主題の表現に合った寸法を見出す前に、あるいは見出した後で、どうかすると同時に、その寸法以上に出てしまう、その中に我慢していることができない。天才が大きすぎて、質の劣る果実を実らせるのである。

私自身に、1879年


その例として、デューラー(巨大な版画があった)、レンブラント、そして若いころに親しく教えを受けたブレスダンを挙げている。それだけに、この作品では十分な推敲(習作を描くのではなく)を思考の中で行っていたように思える。


この後もドムシー男爵は大型の作品を注文する(100×81cm)。ルドンはこの後に控えている大型作品のための習作と考えていた。


Bouquet et fleurs, 1909, W1635



ルドン展


国内の大きなルドン展としては2007年、渋谷以来のルドン展になる。

その間に地方で小規模なルドン展がいくつかと、『聖ヨハネの黙示録』に絞った展覧会が開かれていた。


御茶の水駅で見かけたポスターは、『グラン・ブーケ』の大きさだけを強調していて、画家がみたら怒りそう。


御茶の水駅のポスター(19日にはなくなっていた)


開催会場の三菱一号館美術館も今回が初めて。行った日は雨とも霰ともつかない冬のパリのような冷え冷えした天気のなかだった。


日本だから煉瓦の建物は目立つ


展示されたのは、『グラン・ブーケ』を除くと全て岐阜県美術館の充実したコレクションから選ばれたもの。内容は「ルドンの黒」、「色彩のルドン」、「ルドンの周辺」の3部構成で、それらとは独立して『グラン・ブーケ』となっている。


「ルドンの黒」

リトグラフ、エッチング、デッサン。ゴーギャンの言うように「黒の中に全ての色彩がある」。


公的デビューとされている(20代でサロンへ出品して入選しているので、厳密にいうとそれがデビューともいえる)1879年の『夢の中で』、扉絵はリルケのオルフォイスを呼び出さんばかりである。



ギリシアの浮彫のようなデッサン、文字通りのマスターピース。


Profil de femme avec douronne de lauriers, W141


Profil gauche dans un encadrement floral, W727


「色彩のルドン」

10年ぶりにみた『ポール・ゴビヤールの肖像』は、やはり素晴らしい。ゴビヤール本人でもここまで内面を描き出せない気がする。この肖像画はゴビヤールの死後、妹(ポール・ヴァレリー夫人)が相続した。


『騎馬兵の戦い』のエネルギー、ルドンは普仏戦争に従軍して戦いも経験していた。フォンフロワドに滞在した70歳頃の作品。


Combat equestre, W1050, 1910


「作者のためのエチュード」として「黒」の時代から描き続け、人目にもさらされなかった風景画。左側の木はペイルルバードの木かもしれない。


Paysage, W1859


「ルドンの周辺」

見えないものを見るという点に関して、誰もルドンに及ばない。こんなふうに書くと霊能者のように思われてしまうかもしれないけれど、それとは違った、もっと本質・根源的な深さにおいてである。


深淵のまわり

何かしら近くにある 哄笑と恐怖の渦のなかで

ひらひらと舞って 深き淵のまわりに

                  深き淵を覆うことも

                           逃れることもなく

                  そしてその無垢なる指標を揺する

                                    あたかも

(清水徹訳)


Ca. 1912, W858



香水(文庫クセジュ)


ジャン=クロード・エレナ著、芳野まい訳、白水社、2010年



エルメスの専属調香師でそれ以前にも多くの香水を世に出したエレナによる香水について。これまでも調香師の書いた本は出ていたが、文化的な関わりについてはあまり書かれていなかった。調香師というと、普通の人よりも数倍の香りを嗅ぎ分け、しかも記憶する特殊な能力を持っているイメージだったが、現代はそれに加えて科学的知識も必要になっている。本書でも抽出法や分析法は最新の技術を使っていることがわかる。


香水の処法とは、匂いを重ねることではない。かたちを与えること、すなわち、匂いのあいだの関係をつくりながら、組み立てて構成していくこと。(67ページ)


調香はコレスポンダンス、コントラスト、ヴァリアンテ、過剰さの働きを表現するものである。

素材のあらゆる組み合わせから生まれた調香によって、リズムやメロディーを探しながら、嗅覚のとらえるかたちをつくっていく。(81ページ)


「コレスポンダンス」を挙げているのはボードレールを意識しているように思える。エレナがフランスの知的な芸術家らしいと思うのは(その点でボードレールの末裔である)、「時間」の章である。


冒頭にはプルーストの有名な言葉「1時間は、ただの1時間であるだけではない。それはさまざまな香りと、音と、計画と、天候とに満たされた器だ」(見出された時)を引用している(「器」は『スワン家のほう』の「ヴィヴォーヌ川に沈めたガラス瓶に対応するものだろう)。


ヴィヴォーヌ川(ロワール川)、イリエ=コンブレー


まず調合でのタイミングのノウハウ、香りの経時的変化など調香の過程での時間についてざっと解説して(時間と香水)、「創造の時間」に入る。香水のアイディアやきっかけは、自由時間にやってきたという。創造の時間は、あるときは数日、あるときは数ヶ月かかった。感じる時間について、


香水を感じる、香水を嗅ぐ、それは連続する瞬間を感じることだ。この作用を使って遊び、あるいはその裏をかく、それが香水を調香する調香師の仕事なのである。(98ページ)


エルメスでの創造は


時間を無駄にし、探し、捨て、とって置いたり忘れたりして、自分の職業を生きる。(102ページ)


マーケティングについて一章を割いている。

1970年代にマーケティングの手法が採用されはじめ、品質が保障され競争力を強めることができた。エレナもこの手法を使用しつつも、創造にはつながらないと考えている。


さまざまな分析のパラメーターのなかから、どのパラメーターにするかは、ブランドのターゲット市場の望むプロフィールに合う理想的なダイアグラムの香水をつくりあげなくてはならない。調香師は、さまざまなパラメーターに従って匂いを選び、あるいは省きながら「カーソル」機能を使って、調香していく。(105ぺーじ)


けれどもその結果、


こうして調香師は、製品開発するうえでの繊細な個人的判断と創造的方法からは遠ざかることとなった。

(このような)「良い」香水は、すぐその製品とわかり、驚きはもたらさない。瞬時に、同化するように受け入れられる。


「良い香水はほとんどつねに、ありきたりの考え、デジャ・ヴュやステレオタイプによってつくりあげられ」るので、「創造」からいよいよ遠ざかり、消費者はかえって幻滅した。


アニック・グタールのカミーユさんもこのことについて触れていた。たいていのブランドは消費者のリサーチから始めて「マーケティング」を行うが、私たちはつくりたいものをつくる、と。


エレナもこのような「マーケティング」の行き詰まりに対する新しい動きとして、まっさきにアニック・グタールを挙げている。ただ、この方法は流通がかなり制限されるのが欠点である。


芸術作品のような「時間の外に」生きる香水をつくるには「パイオニアたれ。センセーショナルよりもエモーショナルを。自分の枠、コード、いつも言葉の外に出ろ」という。


文化的背景を十分に理解したうえでの翻訳は読みやすく、素晴らしい本であった。



第9交響曲のマリンバ


マーラーの音楽を昔はよく聴いたけれど、12世紀以前の音楽を聴くようになって以来、聴けなくなってしまった。その前はよく聴いていて、完成した最後の交響曲(Nr. 9)もシノーポリやベルティーニのツィクルスなどで聴いたことがあった。


そのマーラーが指揮をしたこともあるニューヨーク・フィルハーモニックに関するニュース記事から。


NYフィルの公演中に携帯の着信音、指揮者が演奏中断

1月13日(金)10時51分配信

観客席で携帯電話が鳴ったのは、10日夜に同オーケストラがマンハッタンで行った公演でマーラーの交響曲第9番を演奏している最中だった。会場にいた観客がツイッターやブログで伝えた話を総合すると、交響曲は最後のクライマックスを過ぎて「音楽と静寂が入り混じる」極めて繊細な場面。タイミングは最悪だったという。


鳴っていたのはステージ左型の最前列に座っていた高齢の男性の携帯電話だったが、この男性は身じろぎもせず、マリンバの音の着信音は3〜4分あまりも鳴り続けたという。


音に気付いた指揮者のアラン・ギルバート氏は手を止めて演奏を中断。会場には着信音だけが響き渡った。ギルバート氏は持ち主に向かって「終わりましたか?」と尋ねたが、返事がなかったため「結構です、待ちましょう」と言い、指揮棒を譜面台の上に置いた。着信音はさらに何度か続いた後、ようやく鳴りやんだという。

音に気付いた指揮者のアラン・ギルバート氏は手を止めて演奏を中断。会場には着信音だけが響き渡った。ギルバート氏は持ち主に向かって「終わりましたか?」と尋ねたが、返事がなかったため「結構です、待ちましょう」と言い、指揮棒を譜面台の上に置いた。着信音はさらに何度か続いた後、ようやく鳴りやんだという。

苛立った観客からは「1000ドルの罰金だ」「そいつを追い出せ」と叫ぶ声も上がったが、大半の観客の「シーッ」といさめる声に制された。

ギルバート氏は「通常であれば、このような妨害があっても止めない方がいいのですが、今回はひどすぎました」と断った後に、オーケストラの方を向き、「118番」と指示して演奏を再開。観客からは拍手が上がった。


「交響曲は最後のクライマックスを過ぎて「音楽と静寂が入り混じる」極めて繊細な場面」はコーダの部分、楽譜上の指示は Adagissimo(きわめて遅く)。ここから終結までの27小節は弦楽のみ(チェロは2群に分割し、更にソロが加わる)、第一ヴァイオリン以外は弱音器をつける。ppで始まり、最後はppppを経てpppで終わる。バーンスタインの演奏ではこの27小節に5分以上かけている。



記事では「118番から」(練習番号でこの番号はないから180小節から?)再開したとなっているので、コーダ全体の3〜4分鳴りつづけたということになる。再開部分は残りの5小節のみ。


再開された部分〜終結


楽譜では最後の音に Ersterbend (息を引き取るように)と指示がある。このようにコーダの部分は弱音が最も重要である。ここでは聴くほうも弱音に集中し、演奏が終わっても静寂を壊さないように、すぐには拍手しない。


携帯電話なのに「マリンバの音の着信音は3〜4分あまりも鳴り続けた」というのが不思議だったけれど、続く記事で事情がわかった(大方のblogは最初の記事だけで判断しているので変な結論を導いている)。


続く記事(配信はNY−共同)


演奏中断の男性謝罪 マナーモードでもアラーム 

2012/1/14 9:11

米名門オーケストラ、ニューヨーク・フィルハーモニックのコンサートで携帯電話のアラーム音を切らず、演奏中断のハプニングを引き起こした男性が「本当にひどいことをしてしまった」と指揮者らに謝罪した。13日付の米紙ニューヨーク・タイムズが伝えた。男性は後悔の念で2日間眠れなかったという。

 大のクラシック好きという60〜70歳前後の男性は、2つの会社を経営するビジネスマン。使い始めたばかりのiPhone(アイフォーン)をマナーモードに設定していたが、演奏中に目覚まし時計機能のアラーム音が鳴り始めた。

 指揮者アラン・ギルバート氏は演奏を中断。男性が周囲の聴衆にならい、携帯を触ったところ会場に響いていた音も止まったが、自分の携帯が原因だったことは帰宅時になって分かったという。

 男性は12日、ギルバート氏に電話で謝罪し、同氏も受け入れた。男性は「楽団員や聴衆が私を許してくれますように」と語った。


着信音ではなく、目覚ましのアラームだったから長時間鳴り続けたらしい。不運が重なった事故といってもいい内容だけれど、指揮者がクライバーだったら、二度とアメリカに来なくなるかもしれない。ここまで極端なことはなくても、演奏会で時計のアラームが聴こえたりすることはよくあった。


地震でも演奏は続けられるのだから、中断するということは演奏者にとってもたいへんなこと。元旦のニューイヤーコンサート中に起きた地震にも演奏をやめることはない。一方で、演奏の予期せぬ中断には何度か遭遇している。グルベローヴァが『岩の上の羊飼い』を歌ったとき、持っていた楽譜を落として散乱させてしまい、もう一度やり直したり、別の歌手は歌詞を間違えてしまい、最初から歌い直したこともあった。遭遇しなかったけれどもカラヤンの振り間違いが原因で演奏中止になった事件はよく知られている。


ニューヨーク・フィルでのトラブル(居合わさなくてよかった)よりも、演奏中にノート・パソコンや携帯電話を開いて(明るいから目立つ)、実況中継?している姿のほうが違和感ある。


「マーラーは混乱した人間だった。足と腕のついたさなだ虫さながら」(チェリビダッケ)



『ブレンダンとケルズの秘密』アシュリン



アイルランドに現われた種族は、『侵略の書』(その中の「トァン・マッカラルの話」、10世紀)によると、次のような順序だった。


「セラの息子パローロンに率いられた24組の男女」、ノアの洪水から300年後

「ネヴェと四組の男女」、4030組まで増えた後、突然全滅して姿を消した

「ダナの息子たち」、ケルト人に滅ぼされたが、ケルトの神々として伝えられた

「ミレシアの息子たち」、おそらくケルト人とされ、紀元前265年頃から登場

田中仁彦、ケルト神話と中世騎士物語、1995年


その後アイルランドに来たのは、

東方からの修道士

ヴァイキング


DVD特典ブックレット The secret of Kells origins によると、アシュリン(アイシュリン)は「ダナの息子たち」Tuath De Danann の最後の生き残りだという。


I have lived through many ages, through the eyes of salmon, deer, and wolf.

アイシュリンの科白



語り手(トァン)が唯一神の一族と呼ぶトゥアハ・デ・ダナーン(母神ダーナから生まれた一族)こそ、全知全能の神ダグザや光の神ルーク、雄弁と霊感の神オグマや戦いの女神モリガンなどによって構成されるアイルランドのケルト神の一族だった。この一族は、次の来入者に破れると海の彼方や地下世界に逃れて妖精(シー)になったと語られている。

鶴岡真弓、ケルト/装飾的思考、183ページ


その後、17世紀には詩人にインスピレーションを授ける妖精とされた。アイルランドではdreamやvisionと同義だそうである(wikipedia)。シャヴァンヌも詩人にインスピレーションと栄光をもたらすアシュリンを描いていた。


Pierre Cécile Puvis de Chavannes, An Aisling 1883


ケルトの伝説には様々な動物に変身する話が多い(例えば『エーディンへの求婚』のエーディン、人間→毛虫→紫の蝶→(食べられて)人間→白鳥と転生する。トァン・マッカラルも牡鹿→猪→海鷲→鮭→人間と変身を繰り返す)。


「ダナ」はケルトの大地母神だから直系のアシュリンが変身(転生)する能力を持っているのも不思議ではない。『ブレンダン』のアシュリンは大地母神の二つの属性(生成と破壊)のうち、生成の部分だけを受け継いだらしい。


アイシュリンの両親はその後アイルランドにやってきた「闇」の勢力と戦い、滅ぼされてしまった。アシュリンがブレンダンに協力するのは、アイルランドにもたらされたキリスト教が「闇」を「光」に再び変える可能性を秘めていたからであった(ブックレットから)。


アイルランドに到来したキリスト教は東方由来だったのが幸いだった。カトリックであれば土着の信仰は根絶やしにしようとする。一方、東方キリスト教は既存の信仰に寛容で、習合さえする場合もあった。


ケルトの聖人たち、左から聖コルンバヌス(コルムキル)、聖パトリック、聖ブリギッタ


そして、アイルランドから大陸に逆布教することで、アイルランド=ケルトの文化が各地の修道院に伝えられた。コルンバヌス(ボッビオ)、ガルス(ザンクト・ガレン)、ボニファティウス(ゲルマニア)、ヴィリブロルド(エヒテルナッハ)、ピルミニウス(ライヒェナウ)はその代表的な修道院であった。それぞれのスクリプトリウムにはケルト写本が所蔵され(実際ザンクト・ガレンにはCod. sang. 51のように今もある)、新たに制作されていった彩飾写本にも採りいれられた。


アイルランドで制作、ザンクト・ガレンにある写本、Cod. Sang. 51, ca. 750


アイルランドの宣教師たちは、携えた写本を通じてアシュリンの「インスピレーション」も伝えていったのかもしれない。


フランシス・ジャムの 『夜の歌』


フランシス・ジャムはルドンのファンで、1895年に自作の詩集(Vers ?)を献呈、1900年3月にパリのアルチュール・フォンテーヌ邸で初めて会った。フォンテーヌも富裕なパトロンで、合唱団を組織してドビュッシーに指導を任せたりしている。


この頃はオルテスに住んでいたから、ルドンがサン・ジョルジュやロワイヤンでヴァカンスを過ごしたときに会う機会は多かったようである。わかっている範囲では1904年にサン・ジョルジュのルドンの別荘(賃貸)に滞在している。


その前年にはセヴラックが滞在していたことは既に書いた。


ジャムの『夜の歌』Les Nuits qui me chantent (1928) には、『デオダ・ド・セヴラックとの夜』という夜のボルドーを歩いたときのことを詠った散文詩が収録されている。おそらくは、1900年前後のことだったのかもしれない。


あのパスカルの感じた、無限の空間の、怖ろしい寂寥に私たちは襲はれる、けれどもそれも、寧ろ私たちの世界の外の、果てしない調和の啓示に他ならない。一人の音樂家にとって、また一人の詩人にとっては。

夜の歌、デオダ・ド・セヴラックとの夜、三好達治訳、岩波文庫


そして、一人の画家にとっても。


「この無限の空間の永遠の沈黙は私を恐怖させる」

Le Silence eternel de ces espaces infinis m'effraie, Pascal, 1878, W584.


―神さま。

この言葉、それをセヴラックよ、星を纏めた夜の翼に載せて、私は君に送らう、君が天國で、それをいつも、君のヴィオロンを手にする毎に、奏でてくれるやうに。


L'Art Celeste, Odilon Redon, 1894.



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