マッレス


南チロルの古い町。割れている円塔は勝手ながらかち割り塔と名付けた。


かち割り塔と教区教会の塔


かち割り塔の手前に洋梨の大木、赤い洋梨をたくさんつけていた。


かち割り塔

町はずれからまず目に飛び込んできたのが聖マルティヌス教会のイタリア風な塔だった。


町はずれから


教会扉口前には人なつこい羊がいた。マルティヌスのマントは羊毛だったのかもしれない。




小さな町に塔がいっぱい


見える範囲に4つの塔がある。

左端はカロリング時代の聖堂。

三番目の円塔はてっぺんから割れている。

右端にみえる塔の教会は人なつこい羊がいる。


マッレスの塔


模範的な家族


こんなに小さなうちから洋梨に多大の関心を示す、前途有望な子供。親も誇らしげに洋梨を持っている。



星座、北極星


マラルメ没後100年を記念する切手がフランスから発行されていた(額面はサンチーム、ユーロ前の通貨単位)。ナダール撮影による有名な写真をもとに、Veret-Lemarinierが原画を制作した。


没後100年の切手

Dessin par Jean-Paul Véret-Lemarinier, Gravé par Pierre Albuisson


ナダールによる撮影


デザインで興味深いのは左上の部分である。蒼穹を背景に白い点として描かれた、一見して見過ごされるか印刷ムラと思われるかのどちらかになる可能性が高いこの小さな染みは星座である。


                       北斗 また 極星

                         でもあろうあたり

          星座  

                    が寒むざむと

                   忘却と廃滅の光をまたたくの

                        を別にしては


骰子一擲、秋山澄夫訳


詩をよく読んで理解しているのがすごい。さすがフランスのデザイナー。


タヒチに行く前のゴーギャンはマラルメの火曜会に出席していた。『牧神の午後』や詩人の肖像画を制作しているくらいだから、詩作品を読むばかりでなく、詩人の詩想にも詳しかったと思われる。


そのゴーギャンがルドンに「星を一つ」と言ったのは、マラルメの北極星を意識したのかもしれない。


林檎をめぐって


林檎の絵というと多くの作品をのこしたセザンヌがよく知られているが、同時代の他の画家も描いている。ルドンにも作品がある。


Deux pommes, Redon, W1370


ルドンは林檎を例に絵画について述べているが、矛盾するような文章にぶつかった。


それより私はピサロとともに、絵を描くという仕事は、テーブルの端にある林檎を見ることを知っている者の技術だといいたい。ただの林檎を描くのは、ばかばかしく思われる。しかしこのように単純な与えられたものを美の領域にまで高めるには、そこに完全な絵があることが必要であろう。堅固で、しなやかで、豊かな物質感をたたえ、しかも暗示的で、そこに人間の現存をあらわすという贅沢さ、大きささえ加わって、絵のまわりに思想の雰囲気がただよわなければならない。

ピサロは、他には何もなしに林檎だけを描いた。

私自身に、133ページ、1905年頃



「ピサロは間違っている」と彼は言った。「絵画はテーブルの隅にあるリンゴではない」

ファイエ、ルドンの想い出、1900年以降


どちらが本当なのだろうか


Pommes et poires dans un panier rond, Camille Pissarro, 1872


Pommes et poires dans un panier rond, Camille Pissaro, 1872


サン・トロンの林檎




いまごろのドイツ、日本よりも色が多様な気がする。




トロルの家


寒い冬が終わってゲロルシュタイナーが解禁になった。久しぶりに買ってみるとムーミンのストラップがついてきた。ムーミンはフィンランドでは?ドイツにはムーミンなみの知名度があるキャラクターはいなさそうな気がする。


ムーミン(ストラップ)


オムレツかそれともミートソースか





ムーミンではないけれどもトロルがいそうな家はみたことがある。


トロルのいそうな家、ボルグン


日本にもあった、白川郷



チューリップ


今年の花は開花が遅く、チューリップも連休になってやっと開いた。球根を買ってから時間がたってしまい何色を買ったのかすっかり忘れてしまったが、最後に開いたのは燃えるような赤色だった。



ずっと前に行ったモントリオール植物園は5月末日なのに、ちょうど満開を迎えていた。この年のカナダもなぜか寒い日が続いたと地元の人は説明していた。



カナダのチューリップの中にはオランダから毎年贈られるものがある。ユリアナ前女王はナチスの侵攻でカナダに亡命したが、出産を控えて大きな問題が生じた。王族はオランダで生まれなくてはならないという法律があったためで、カナダ政府は産婦人科病棟を一時的にオランダ領とする措置をとって無事王女を出産した。戦後、女王から感謝の意をこめて、毎年チューリップが贈られるようになり、女王が亡くなった今も続いている。


Binnenhof, Den Haag



敷石につまずかなくても井戸にぶつかる


最初に行った海外がヴェネツィアで、マルコ・ポーロ空港からバス(この町では船のこと)でいきなりヴェネツィア共和国時代に表玄関だったサン・マルコ広場に上陸した。現代はもしこの町に鉄道や自動車で訪れようとすると、本土からのびる長い橋を通って裏口から入らなければならない。


それ以来行ってないが、今度行く時はぜひ町なかの「井戸めぐり」をしたいと思っている。正確には井筒で、古いものは9世紀のものからあり、一部は博物館に移されている。彫刻が施されていて、時代を反映したランゴバルト、ビザンティン、ロマネスクと様々である。以下は1911年刊の「イタリアのビザンティン芸術」から、コロタイプ印刷の上質な図版。


井戸

9世紀


井戸

11世紀


井戸

12世紀


ハープ


ハープという言葉は意外にもドイツ語由来であるという。 Martin van Schaik によると、ポワチエ司教ウェナンス・フォルトゥナトゥス(c.530-601)の著作の中にローマ人が讃えるリラのことをゲルマン人はharpaと呼んでいたと伝えているそうである。


1977年のクライドルフ展ポスターに使われた作品、タイトル不明


絵の中で手にしているハープは通常のタイプと違って直線的なフォルムで、中世初期まで使われていた。


ヴィヴァンの聖書, 845/6年


ヴォルムスの聖書, 12c.


サント・フォワ教会, コンク, 1130頃


聖ヨハネ修道院壁画, ミュスタイル, 1160頃


ゴシックに入る頃から直線的なハープは廃れ、曲線型がとって代わるようになる。


Abadia Nostra-Dama de la Daurade, c.1170



中世のハープは演奏者が普通の人でないことを示している。クライドルフが描いた中世のハープを奏でる少女は花や虫を呼び出しているのかもしれない。


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