Dirigent


アバドに続いての訃報。


ドイツ人指揮者のゲルト・アルブレヒト氏死去

時事通信 2月4日(火)20時58分配信


 ゲルト・アルブレヒト氏(ドイツ指揮者)2日夜、ベルリンの自宅で死去、78歳。白血病を患っていた。

 ハンブルク州立歌劇場の音楽総監督やチェコ・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者などを経て、98〜07年に読売日本交響楽団の常任指揮者。退任後に読響初の桂冠指揮者に。13年11月のカタール・ドーハの演奏が最後となった。


日本では馴染みの深い人だったが、実際に演奏を聞いたのはチェコ・フィルハーモニーとの公演でブルックナーの最後の交響曲を指揮したときが唯一だった。


オペラが得意で珍しい作品を意欲的にとりあげていたので、シューマンの『ゲノフェーファ』もそうした試みの一つだったのかもしれない。『ゲノフェーファ』のCDはそれほど多くなく、メジャーレーベルではアーノンクールが指揮したCD(ビデオも)があるのみで、せっかくシューマンの作品を意欲的にとりあげるようになったシノーポリやアバドもこのオペラを上演する前に亡くなってしまった。


数少ない『ゲノフェーファ』のCDで最も深く、第4幕のアリアに登場したシューマン特有の集合和音を表現しきった演奏であった。




ヘッベルの『ゲノフェーファ』


50年以上絶版になっているヘッベルの戯曲『ゲノヴェーヴァ』を入手できた。昔なら古本屋を一つ一つ探さなければ見つけることはできないので、ネットの恩恵である。


吹田順助訳、昭和26年第2刷


『ゲノフェーファ』悲劇、全5幕

Christian Friedrich Hebbel (1813 - 1863)

Genoveva. Eine Tragödie in fünf Akten. Hoffmann & Campe, Hamburg, 1843.


ヘッベルは1813年生まれ、ヴァーグナーやヴェルディと同じ年である。戦前は盛んに翻訳が出版されていたようであるけれども、現在入手できるのは岩波文庫の短編集くらい。『ゲノフェーファ』は『ユーディット』に続く2作目の戯曲、1841年に完成された。


Friedrich Hebel, Karl Rahl, 1855


劇はおおむね伝説に従っている。

第1幕 宮中拍ジークフリート出征、ゴーロは妃に恋心を抱く。無茶な冒険。

第2幕 城内の生活、迷い込んだユダヤ人。

第3幕 ゴーロの乳母カタリーナとその姉マルガリータの登場、ゴーロの告白と拒絶。

第4幕 牢に入れられた妃、子を産む。陰謀は進みマルガリータは宮中拍に幻影を見せる。

第5幕 森の中で妃と子は処刑されかけるが逃れる。ゴーロは破滅する。

幕番号なしの「後のゲノフェーファ」が続く。七年後の森、狩で森に来た宮中拍と再会。


いまだ大人になりきれていない時期にあるゴーロの、抑えきれない不安定な情念に破滅していく姿と、試練のたびに美しくなっていくゲノフェーファが対照的である。


ゴーロ(ひとりにて) おれは少年時代に一つの絃樂器をもっていた。そして非常にそれが好きだった……ところがある晩、絃をかき鳴らしながら、ひとり寂しく林を迷うて行くと、ふと絃の調べが慄然とするほど、ふかくおれの心に突き通ったのだ。眼は涙に濡れ、冷たい戦慄がしきりと體の髄を通して忍び込んだ。もとよりそれは何とも言えない氣持だった。永いあいだ、おれは絶妙な死の大歓喜を人しれず吸い込んだ。しかもそのあとでおれは歯を喰い縛りながら顫へ上った。絃をたち切り、樂器をうち砕いた。それからというものはおれは決して、ほかの樂器を手に取ったことがないのだ。おれは今日、同じことをせねばならぬような氣がする!(第2幕)


ゴーロ(ひとりにて) この女にぶつかるのは、まるで樂器の絃にさわるようなものだ。返答は一つの霊妙な音調だ!苛責によってこの女はますます美しくなった。この女が死ぬ時には、恐らく最も美しいであろう。(第5幕)



最後の場面、七年を経て再会したジークフリートとゲノフェーファ、ハッピーエンドで終わらないから悲劇である。


ジークフリート 七年の月日、それは十分でなかったか?これから新しい七年が始まるのだ!その七年は最も短い七年なのだ――そなたはまだ心が定まらぬのか?

ゲノフェーファ いえ。いえ!わたしはただ、一瞬間の御猶豫をお願いいたします、ただそれだけをお願いします!

ジークフリート(急いで他の者達と遠ざかる)

ゲノフェーファ(いのりつつ) ただもう七日だけ!人間というものは、私が考えていたほど強いものではありません。ただ七日だけ!それから差し招いて下さいまし、神よ!

ジークフリート(現はれる)

ゲノフェーファ(彼の方に向かって) さあ、御一緒に参りましょう!




シューマンのオペラはルートヴィヒ・ティークの『聖女ゲノフェーファの生と死』 Leben und Tod der Heiligen Genoveva, 1820とヘッベルの戯曲をもとに、友人ライニックが台本を依頼されて作成した。しかし気に入らなかったシューマンが大きく改変した。このためか、出版譜にはライニックの名前はクレジットされていない。


ヘッベルの戯曲とシューマンの台本の違いについては別の機会に。


タイトル


これまでここにアップしてきた「ゲノフェーファ」に関することについて、HPにまとめることになった。

タイトルページの画像、Legenda Genovefa の装飾文字、オットー朝ライヒェナウ派写本から借用。



アリア


『ゲノフェーファ』4幕のアリア「最後の望みも消え」はヒロインの内面で起こる最も重要な転回であり、音楽も台本もこのアリアに向かって収束していたことがわかる。


アリアは三つの部分に分かれている。

最初はまだ身に降りかかった災難を嘆いているだけで覚醒していない状態。次第に全てを失ったことを人間存在の深淵にたって意識していく。


続いて、十字架と聖母像を見つけて祈る。全てを失わないと顕現しない「転回」がここで初めて起こる。


Was leuchtet hier aus dunklem Versteck?

Ein Kreuz, ein Muttergottesbild!


この作品で最も重要なクレド(信仰告白)


Mich geb' ich hier in Deine Hand.

すべてをあなたの手に委ねます


音楽はヴァーグナー流の劇的さは全くなく、弦と木管楽器がやさしく寄り添う(pp, dolceと指示)。

「委ねる」ことについて、マイスター・エックハルトは「神を得ようとするならば、神を捨てなければならない」と述べた。こんなに美しく「委ねる」ことを表現した作品は他にないと思う。


最後のクライマックス


Wie wird die Luft von Tönen wach, 

wie weh'n zum Herzen sie mir mild!


一人の人間に真の覚醒が起こり、そこに立ち合っていることの凄さを自覚するべきである。


「美しい響きで大気が目覚める」の音の重なり!


第4幕スコア

アリアから、 Wie wird die Luft von Tönen wach,…


Wie wird die Luft von Tönen wach

岩にも森にもその響きがこだまして


の詩句はオペラより20年前に世にでた『ファウスト』終幕場冒頭と反響しあっている。


Waldung, sie schwankt heran,

Felsen, sie lasten dran, 

風に揺らぐ森、こなたにひびき、

よりそう岩野かずかず、森を重く支え、


さらには、フランスでは珍しい、森の画家ルドンとも。


W1676 樹

森の樹、ルドン、W1676


シューマンは半音階的装飾音の大家であった。それと、彼の豊かな多声的書法とがあいまって、大胆で新しい音の出会いが生まれてくる。彼の作品では、保続音上の和音がかずかずの集合音をつくりだし、ときには多調性すれすれのところまでゆく。さらにシューマンは、ピアノでよい響きが得られるように音を配合する点で、ショパンと同程度に微妙な感覚をもっていた。和声と対位法ときわめて独創的なリズムとの三要素を同時に使いこなす腕のさえという点で、シューマンのいくつかのパッセージにみられる書法の美しさに匹敵する者を捜そうごすれば、ヴァーグナーの「四部作」を待たねばならないだろう。

オリヴィエ・アラン、和声の歴史、111ページ、文庫クセジュ、白水社


最も重要な Handlung は事実上ここで終わる。


フィナーレの合唱、この部分が本質的に「祝祭」であること、作品の内に立ち、その深淵から現実に戻るために配慮された時間であること、を考えれば内容や長さがぴったりだったことに気がつく。



挿画の意味するところ


ゲロクロイツ、ケルン大聖堂

舞台の十字架をみて思い出した


オペラ公演の後、ネット上に感想がいくつかアップされていた。内容は玉石混淆し二極分化であった。十分享受できたという人と、できなかった人に分かれてしまったようである。以下では後者の人たちを仮にゴリアテたちと呼ぶことにする。


ゴリアテたちの感想をみると、これまでの人生で培ってきた(決して豊かとは言えない)先入観をあてはめ、一面的にしか見ないためにそうなってしまったと思える。

「メルヘン」の最上のものが、その根源的で本質的な深淵(これはゲーテが作品を以て示し、ずっと遅れて学問的にも実証されたものである)から成り立つ作品であるにもかかわらず、それをわからずにメルヘンを子供向けの低次元な様式であるかのようにとらえているとしか思えないものもあった。シューマンの作品はメルヘンの最上の部類に入るというのに。


人間の心の深奥へ光を送ること――これが芸術家の使命である!

シューマン『音楽と音楽家』、吉田秀和訳


ゴリアテたちに共通するのは、シューマンが数ある中からこの題材を選び、台本に手を入れ、憔悴してしまうほど作曲に打ち込んだというのに、それを全く受容しない(愛さない)ことである。


芸術家は、諸君に与える喜びのためにその一生を打ちこんでいるのである。彼の芸術に捧げた努力については、諸君は何一つ知らない。彼は及ぶ限り善いものを、彼の生命の花を、完成しきったものを与えているのだ。

シューマン、同上


ルドンも同じように考える。


芸術作品というものは、芸術家が差し出す感動のパン種だ。人々はそれを勝手に使う。ただしそれには愛することが必要だ。

ルドン『私自身に』、池辺一郎訳


この他には、前後に初演されたオペラ(特にヴァーグナー)と比較して、オペラらしさがない、単調、弱いというのもあった。極端なものではもっと激しい表現が欲しいともいう。シューマンの作品は、このような刺激を求める聴き方をしてはいけない。後期ロマン派のような表現過多な作品と違うところにある。


ヨーロッパというローカルな場所での伝統芸能であるオペラ(岡田先生の名言)に対して、シューマンは芸術作品として提示した。狭く保守的な基準で見てしまうと、約3時間席に座っていても、何も見ることも聴くこともない(そこにいたからといって、本当に聴いたのだろうか)。


ゴリアテたちの中に入らないまでも、ゲノフェーファに理想の女性像を求めた、という誤解もあった。


芸術家が幾日も、幾月も、幾年も、かかって思索したことを、素人の愛好者は一言で抹殺する気か?

シューマン、同上


レオンの1162年の聖書から



ヒロイン


ロートリンゲンの主要部分を領地とするブラバント大公の娘、末裔からエルザやゲルマント一族が出る。伝説ではジークフリートと結婚して間もない。出征中に一人息子シュメルツライデを産む(オペラでは登場しない)。


ゲノフェーファ伝説の伝わるラーハ湖周辺は、ラ・テーヌ期に栄えたアイフェル・フンスリュック文化のなかにあり、ライン・モーゼル川周辺からは神殿をはじめ、女神像も多く見つかっている。アイフェル最大の湖にはそれにふさわしい女神の聖所があったと思われる(フラウキルヒはその一つ)。


ヴォルムス司教ブルカルトゥスの贖罪規定書第19章『矯正者・医者』に次の一文がある。


お前はある人たちが信じようとしているように、一般に運命の三女神が存在しているとか、あるいは彼等がそうすると信じられている次のようなことを信じているか。ある人が生まれたとき、彼等は思う通りにその人間の人生を決められると考えているのだ。

阿部謹也『西洋中世の罪と罰』197ページ


運命の三女神というとノルンたちを思い出すが、それ以上にアイフェル地方で信仰されていた、ケルト=ゲルマンが習合したデアエ・マトレス(母神)と呼ばれる三柱神だったと思われる。


Drei Heilige Frauen にはゲノフェーファが含まれているのを知ってびっくり。


デアエ・マトレス、ボン近郊で出土、2世紀 (wikipedia)


ケルト社会は首長やドルイドを中心とする男権社会であったが、裏返しとして地母神的な女神が信仰されていた。


男性=権力が合理化した昼の世界に、この両者(女神と動物)は不合理な闇の世界の名づけえない力でゆさぶりをかけてくる。

ガリア(ここではライン・モーゼル)の神々はまさに闇に棲む「女」と「動物」の聖性を豊かに表象しているといわねばならない。


ガリアの首領と戦士たちにとって、動物を含む大自然の生命力を司る役割は、地母的な女神に託されていた……「女神」の像や名を刻んだ碑が、ライン河やモーゼル河、ユトランド半島の海岸地帯といった北方から、ローマに接する南方のガリア、あるいはブリタニアにまでわたる広範囲からみとめられるのみならず、その女神たちは河、水源、海、森、平地という自然のさまざまな生命的な場所(トポス)に深く結びついているということだ。

鶴岡真弓、ケルト美術への招待、ちくま新書、1995年


まさに、ゲノフェーファはジークフリート・ゴローの騎士社会に対してゆさぶりをかけている(オペラでは革命も暗示されていた)。オペラの演出では無邪気なゆさぶりが強調されていた。


考えてみると、ゲノフェーファはこれといったアクションを起こさない。起こす必要がないのである。車軸のように彼女の周りで運命が変転しても、かつて崇拝されたケルトの女神のように終始一貫してゆれることはない。同じケルト的雰囲気を持つメリザンドは運命に対して従順ながらも、ゲノフェーファよりは活動的であった。


伝説では森の中に母子が棲まい、動物が二人を助ける。母子の組み合わせは「デア・ヌトリクス」と呼ばれるケルトで最も広く信仰された女神であり、後には聖母子としての表現に影響したかもしれない。その意味で、あの小さなフラウキルヒは三重に「フラウ」キルヒであった(フラウ=女神、聖母、ゲノフェーファ)。


フラウキルヒでは奇跡が多く起こったので中世には人気の巡礼地だった。かつてのケルト女神は聖女として復活した。フラウキルヒに限らず同様の例は多い。


森の中のゲノフェーファ、モーリッツ・フォン・シュヴィント


ゲノフェーファとゴローの間に「親和力」は働かなかった。


近代ヨーロッパを経ると別の側面が現れる。オペラの題材として早すぎると言われた心理的側面である。「終始一貫してゆれることはない」ゲノフェーファにも、内的成長ははっきりある。ただし、心理的といっても20世紀以降の精神を扱う心理学ではなく、もっと根源的な魂についての心理をシューマンは意図した。精神と魂の違いがわからないと、作品もわからなくなってしまう。


ゲノフェーファの森



ゴローと神話のとりとめない断片


ハイスターバッハのカエサリウスの『奇跡をめぐる対話』にはメルヘンを思わせる話も収録されていることが阿部謹也の『西洋中世の罪と罰 亡霊の社会史』に出ていた。ヘッセが気に入るわけである。


カエサリウスの記述で特に注目すべき点は、メルヘン的なものがあることである。そのなかの一例をあげてみよう。第10章の66話に次のような話がある。


名前は忘れてしまったが、ある荘園の近くで一匹の狼が一人前になった娘を襲い、歯で腕をはさんでさらっていった。娘を引きずりながら、娘が叫び声をあげると狼は娘を強くつかみ、静かになると歯をゆるめた。こうして、狼は森のなかに娘を連れて行き、もう一匹の狼の前に出た。その狼の喉に骨が刺さっていたのである。それはたいへん痛んだので、もう一匹の狼は歯で娘の手をつかんで、骨の刺さった狼の大きく開いた顎のなかに入れさせ、そこに刺さっていた骨を抜き取らせた。こうして治った狼は、もう一匹の狼と一緒に娘を元の荘園に戻したのである。


助修士 子供のころ狼にさらわれ、大人に鳴るまで育てられた若者を見たことがあります。その男は走るときも腕を使い、吠えていました。

修道士 動物に撮ってはそれでも大変なことだろう……


これも奇跡を伝える話なのであろう。おそらくメルヘンの素材となるこの種の話が、ラテン語で書かれたのは、この部分が初出ではないだろうか。

阿部謹也『西洋中世の罪と罰』112ページ



宮中伯の家臣で最後に処刑されてしまったゴローは東アイフェル(コープレンツ/ラーハ湖/トリーア圏内)で共感をもって今でも生きている。

コープレンツ近郊で1940年に発見されたケルト時代の遺跡はストーンヘンジに似たモニュメントで紀元前1200年に遡るとされる。この遺跡は「ゴローリング」と名付けられた。モニュメントとゴローの関係はいまのところ不明であるが、遺跡に命名するほどゴローが親しまれていることは確かである。


ゴローリング復元図、wikipediaから


ゴローは伝説によると四頭の牛で八つ裂きにされたことになっている。フラウキルヒの祭壇には処刑されるゴローの場面の彫刻がある。


ゴローの処刑(フラウキルヒの祭壇彫刻、17世紀、wikipedia)


処刑されたとされる場所は四つ辻で、ゴロークロイツ(ゴローの十字架)と名付けられた玄武岩の石柱が立っている(盗難にあったため現在はコピーが置かれ、オリジナルはフラウキルヒにある)。


ゴロークロイツの立つ場所(中央の木立)、四つ辻になっている

右に行くとゲノフェーファブルンネン、フラウキルヒ、Google map


ゴロークロイツ(フラウキルヒ、wikipedia)


ゴロークロイツはこの地域に立つ道標(古くはローマ人がアイフェル産の丈夫な玄武岩を使って帝国内に立てた)の一つで、銘文には1472年8月14日に建立とある。当初はゴローと関係なかった道標がいつしかそう呼ばれたらしい。モニュメント全体にアイフェル方言の中世ドイツ語で『サルヴェ・レジーナ』が刻まれていることが興味深い。ヘルマヌス・コントラクトゥスのアンティフォナはまさに、「鐘の音と『サルヴェ・レジーナ』は至る所で響きわたる」(ルター、1522年降誕節の説教)。




ゲノフェーファの登場人物:マルガレーテ


実在のライン宮中伯ジークフリートは嫡子を遺さず亡くなった先代ハインリヒ2世の養子であるが、宮中伯位を継承したときに旧家臣を追い出したのかもしれない。


有名な聖女とは特に関係はないが、マルガレーテはオルトルート(ローエングリン)のように異教の魔術を扱う(魔術が効かないというのはとても珍しい)。


10世紀末のヴォルムス司教ブルカルドゥスの『矯正者』は当時の習俗の宝庫で、その教令を読むと田舎ではキリスト教の浸透はまだ少なく異教の習慣が根強く残っていたことがわかる。マルガレーテも体制に認められればヒルデガルト(ビンゲン)のようになったかもしれない。


マルガレーテの躓きは主人である宮中伯との確執から始まったようである。どのような事情で娘を溺死させたかわからないが、かなり近世までヨーロッパにも間引きの悲しい習慣が残っていた。ヘンゼルとグレーテルはその最も有名な例である。


悪に徹しきれなかったのは、そうした負い目(というより善良な心)があったから。マクベス夫人でさえ「手を洗う」という所作は悪に徹しきれなかったことを示している。そんなマルガレーテをシューマンは突き放すことなく見守る。


ドラーゴの警告に出たサラマンダーや地の虫は彫刻や写本でよくお目にかかる。


サラマンダー(マリア・ラーハの彫刻)


地中から出てきた虫(ボーリュウの彫刻)


ロマネスク彫刻のなかで最も気味の悪い生き物


こんなのになってしまうぞ、と言われたら改心するしかない。


地獄で炎の責め苦に遭う罪人たち(コンクのティンパヌム)



ゲノフェーファの登場人物:ゴロー


「馬に乗り、手に鷹を載せたまま大地のかなたへ飛んで行った」ゴローは永遠にアイフェルの森を彷徨っているかもしれない。ヴィクトル・ユゴーは「ライン紀行」の中に、夜中に物凄い速さで空をかけていった馬の話を載せていた。


ハイスターバッハのカエサリウスが記録した奇跡譚はヘッセも愛読して、その中のいくつかをドイツ語に訳した(そのまた一部が日本語に訳されている)。その中にゴローとそっくりの若者の話が収録されている(以下、『ヘッセの中世説話集』、林部圭一訳、白水社)。


ある若い騎士が、さる富裕な騎士の家で暮らしていた。つまり、富裕な騎士は若い騎士の主人であった。若い騎士は、若い盛りであったが、それにもまして純潔の徳でも秀でていた。しかし、妬み深い悪魔のせいで、若い騎士は、主人の妻にたいしてはげしい横恋慕を感じるようになってしまった。一年間苦しんだ後、夫人に打ち明け、拒絶された。


若い騎士は、ある隠者のもとに出かけていって告白し助言を乞うた。隠者は「今年中ずっと、できれば毎日最後の日まで、教会で百回、わが主なる聖母さま、聖処女マリアさまに、天使の歌をうたってさしあげ、同じく百回ひざまずいてご挨拶申し上げるのだ。そうすればマリアさまがそなたの願いをかなえてくださるだろう」と答えた。


若者はこの定められた礼拝を、じつに素直に、聖母さまのためにおこなった。一年最後の日になっていつもどおりお祈りをして教会から出ると、人間とは思えないほどたいそう美しい女性がいた。彼女は若者に「あなたの妻になりましょう。これこれの日にわたしの息子の前で結婚式を挙げることにしましょう」。


若者は、その人が聖母さまであることがわかり、それからというもの、くだんの誘惑から完全に解放された。


そして、定められた日、若者は断末魔の苦しみに陥り、息を引き取った。そして約束の結婚式を挙げるために、天国の住まいに入っていった。


ゴローの後半生はどちらだったか?


聖母子像(マリア・ラーハ、17世紀)


「息子の前」での結婚、マリア・ラーハ


「ゴローの十字架」

伝説でゴローが処刑されたという場所に立つ(wikipedia.de)


ゲノフェーファの登場人物:ドラーゴ


思えばラーハ湖の火山が12923年前に噴火を起こしていなければ、アウインも、修道院も、ゲノフェーファ伝説も、ゲーテの失意もなかった。


ゲノフェーファ伝説の舞台(ペレンツ)


ラーハ湖畔、森の中の岩場、宮中伯の城近く


第2幕で殺されたドラーゴ(実直な家令という感じの役作り)が次の幕の後半で幽霊となって現れる。


日本人が普通に持つ幽霊のイメージは、死んでも死にきれないくらいの恨みを持って出てくること多い。ヨーロッパの幽霊は違う。「ハムレット」のように、現世の人間に何らかのメッセージを伝えるための使者という役割を持つか、オランダ人やクンドリーのように何らかの罪で最後の審判まで彷徨う宿命となった例が多い。


幽霊伝承は民間では太古からあったと思われるが、キリスト教は天国と地獄しかないので幽霊という概念は元来持たなかった。アウグスティヌスも現実的に幻影である、と言っている。けれども土着の信仰が根強かったために、ついには幽霊を認め「煉獄」(罪を犯したまま贖罪をせずに死んだ者がとどまる場所)を作って折合をつけるようにした。煉獄はボニファティウスの書簡にも記載されているが、ライヒェナウで原型(ヴァラフリート・ストラボの『ウェッティオの幻視』)が現れ、やがて概念が確立を経てダンテに至る。


幽霊譚は12世紀頃に修道士により記録され始めた。前にも出たハイスターバッハのカエサリウス(偶然にもラーハ湖近く)は31話の幽霊譚を、クリュニーのペトルス・ウェネラビリスは11話の幽霊譚を熱心に記録を残していた。カエサリウスによると幽霊の多くは煉獄からやってきたことになっている。突然の死に見舞われたドラーゴも煉獄からやってきたと思われる。


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