署名

オールネィのサン・ピエール教会アプシスの主軸にある窓は彩飾写本のように装飾で囲まれている。


サン・ピエール教会の窓

興味深いのは下のフリーズで、上半身が人、下半身が蛇の怪物が絡み合うように装飾されている。この姿で最も有名なのはゲーテの短編の主人公にもなっているメリュジーヌ。サン・ピエール教会が建つ一帯はメリュジーヌ伝説が伝えられていた所で、15世紀のクードレッドの物語にも「メリュジーヌはポアトゥー地方に数多くの教会を建てた」と記されているくらいである。モデルはおそらくアリエノール・ダキテーヌ、このフリーズはメリュジーヌの署名なのかもしれない。


クードレッド、メリュジーヌ物語、15c.

サン・ジャックの道

2012年からフランスで発行されたサンチャゴ巡礼路切手シリーズ「サン・ジャック・ド・コンポステッレの道」は、4つの道からそれぞれ一つずつ教会がとりあげられていた。昨年については既に紹介したが、第2年目の「トゥールの道」(Via Turonensis)からはオールネィが選ばれた。入手できたドキュマン(公式解説書)の表紙はサン・ピエール教会西正面が描かれている。


ドキュマン表紙


だいたい同じ位置から撮影することになる


ゴシックの塔が写らないようにすると、ロマネスク時代のイメージに近づく

ドキュマンには小型シートが貼られている。オールネィは東側からみた聖堂がデザインされ、南扉口も少しだけ見えている。他はコンク、サン・ジル・デュ・ガール、ヌィイーの教会。




オールネィのサン・ピエール教会

ポアトゥー・サントンジュ地方には夥しいといってもよいくらい多くのロマネスク聖堂があり、その中でもオールネィのサン・ピエール教会はまず行ってみたい教会の筆頭にあがる。

実現したのはユーロに切り替わる前、二オールを拠点にこのあたりの教会をまわる、予定なき予定だった。初日はロンサールゆかりのシュルジェール、翌日はポアチエで一日過ごし、その次の日から2日間をオールネィだけに費やした。


Zodiaque風

二オールからタクシーを使って30分くらい、ということは北からのアプローチになる。かつての巡礼路を、ブートンヌ川に沿っていくつかの小さな聖堂を通り過ぎ、麦畑以外何もない平地を進むとサン・ピエール教会の塔がみえてきた。着いたときは雨上がり、教会の敷地に入ってもだれもいず、滞在していた間に数組の観光客がやってきてはすぐに去っていった。

典型的な墓地教会で、糸杉と墓石に囲まれている。西側は前庭となり(そこも墓石がたくさんある)、この地方独特の十字架が建っている。

ホザナ十字架

三角形の石造りの何かがある。墓碑にはみえず正体が何かわからない。西からぐるりと回り、アプシス側へと出るとそこも墓碑。


糸杉が墓地にいることを実感させる

周囲をみてまわり、いよいよ扉口へ(まだ中には入らない)。

舞台

『マレーヌ姫』は、発表後直ちに舞台に上ったのではなかったが、やがて上演されるようになった。1913年の舞台は『春の祭典』で舞台美術を担当したニコライ・リョーリフが手がけている。その舞台案の一つに面白いデッサンがあった。


ニコライ・リョーリフの舞台案
白の中庭と思われる場所で、ロマネスクの廻廊がみえる。手前の柱の人物彫刻が明らかにコマンジュの彫刻からとられている。


ニコライ・リョーリフは、実際にコマンジュまで行ったとは思えないので、たぶん写真か何かで知っていたように思われる。

Liber Miraculorum Sancte Fidis

聖フォワの奇跡の書
Sélestat Ms. 22

コンクのビジターセンターで売っていた最後の1冊。オリジナルは現在アルザスのセレスタ人文主義図書館にある。



この有名なイニシャルSを含むページよりも、



見開き最初のページにある、様々な時代の楽譜が気になる。左上は線も引かれていない11〜12世紀頃、左下はもう少し新しく、右ページはゴシック時代の記譜法になっている。



最後の数ページには、最初のページとは違う記譜法で書かれた楽譜がある。


これらの音楽を是非聴いてみたいと思うけれど、復元されているのだろうか。

Joca


放っておきなさい。聖フォワ様がおふざけになっているのよ、いつものように。

何やら騒ぎが起こっている。実は奇跡が起こったのだけれど少し離れていて事情がわからない、といった状況でルエルグ伯妃がたしなめるため言ったのが上の言葉だった。

いたずら好きの聖フォワが、ふざけているのでした。

聖堂の重要な場所は夜でも灯火で照らされていた。ということはランプが消えないように修道士が寝ずの番をしていたということである。とはいえ、夜通しなのでうとうと眠くなってくる。そんなとき、聖フォワが代わりにランプを見守ってくれている。

ランプが消えると、それを知らせてくれる。けれども修道士が眠いのに起きてランプに近寄ると、神秘的な手が修道士の鼻先で火を灯し直す(それならわざわざ起こさずに灯してくれればいいのに)。

数多くいる聖人のなかで、いたずらをする聖人というのはたいへん珍しいという。いたずら好きという視点でティンパヌムの聖フォワをみると、何だかいたずら好きな目をしていて、次はどんないたずらをしようか企んでいるようにもみえる。


聖フォアの小さな生涯

ドミニク・マリー・ドゼ/小笠原祐子訳
フリープレス、2004年



聖フォワに関する本というと、ロマネスク関係を除くと杉冨士雄「『聖女フォワの歌』とその研究」(1966年)くらいしか出ていないと思っていたら、小さな素晴らしい本が出ていた。それも2004年6月の刊行、この年の8月には長岡市で開催された中世美術部門だけの「ルーヴル美術館展」にサント・フォワ修道院由来の彫刻が展示されていたし、何よりも7月にこの修道院を訪れたので、そのときに読んでいればと思うと残念だった。

著者はプレモントレ会修道士。プレモントレ修道会はあまり知られていないが、クサンテンのノルベルトゥスが創設した比較的新しい修道会で、もとベネディクト会修道院だったサント・フォワ修道院は1873年にプレモントレ会傘下となっている。

プレモントレ会のイメージは厳格で、最初にみたマクデブルクのリープブラウエン修道院そのままだった。現在は世俗化され、聖堂はコンサートホール Konzerthalle となっているが、ノルベルトゥスがマクデブルク大司教になった3年後に大聖堂の隣にあった修道院をプレモントレ会とし、スラヴ宣教の拠点となった重要な修道院だった。


旧プレモントレ会修道院聖堂、マクデブルク

それだけにサント・フォワ修道院がプレモントレ会傘下と知って驚いた。


こんなに違うファサード

聖人伝以外に情報のない聖フォワについて、歴史的な事実から生涯を再構成し、後半は有名な『奇跡の書』の内容を紹介している。

『奇跡の書』のファクシミリはコンクのショップで最後の1冊を見つけて購入したが、この本のことも出ていた。

それは、『聖フォアの奇跡の本』の中世の写本の美しいファクシミリで、……その古写本は、1094年ころにアルザス地方の町セレスタで書き写されたもので、1994年にその町の有名な人文主義図書館の配慮で複製されたのです。

双塔のない聖堂

『カルメン』の原作者プロスペール・メリメは、優れた歴史記念物監督官としてフランス革命後放置されていた修道院や聖堂をヴィオレ・ル・デュクをはじめとする修復家と共に崩壊から救った。建築や美術品についての報告書はとても興味あるが、「メリメ全集」には全く収録されていない。

メリメがコンクの村を訪れたのは1837年のこと、聖堂と残されていた宝物の重要さに気付き、直ちに修復するよう政府に要請した。村を訪れる3年前に製作された版画に村の様子が描かれているが、メリメが目にしたのはこの状態だったと思われる。


1834年

中央にサント・フォワ教会があり、左手の特徴的な塔も現存している。他の小さな建物も多くは今でもそのままに近い状態にあると思われるが、現在と大きく違うのは、教会に双塔がないことである。


2004年


2011年、streetview

双塔がないままだったら、かなり違った印象になっていた。

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