モンパルナスのアトリエとサロン

サラ・ベルナールのポスターを描いて一躍有名になったのがチェコ出身のアルフォンス・ミュシャだった。1894年末の出来事で、この頃のミュシャは冬のパリから脱出できないほど困窮していたらしい。

 

ミュシャのアトリエがあったのはモンパルナスで、この前年までゴーギャンと共用していた。ゴーギャンは1回目のタヒチ滞在から戻ったものの、家族のもとへは戻れず、モンパルナスでアパート暮らしをしていたが、描くためにはアトリエが必要だった。

 

ミュシャとの共同利用は、ゴッホの時とは違って友好的だった。ミュシャが撮影したハルモニウムを弾くゴーギャンの姿がのこっている。また、ちょうど制作にとりかかっていた『白い像の伝説』Mémoires d'un éléphant blanc(作者はジュディット・ゴーチェ)挿画のためにゴーギャンがポーズをとっている(デッサンと写真があるが、挿画に採用されなかった)。

 

アトリエの共同利用は順調だったが、ゴーギャンはブルターニュに長期でかけたりしたので期間は短かった。やはり専用アトリエが欲しかったようで、1894年1月に、歩いて5分の所にアトリエ用にちょうどよい部屋を見つけて移った。

 

移転先は 6 rue Vercingétorix, Montparnasse、ウィリアム・モラルドという作曲家の家の2階だった。

 

Salon Molards, 2階左上半分がゴーギャンのアトリエ

 

モラルドはラヴェルと同じ世代の作曲家で、妻のイーダはスウェーデン人だった。この家で Le Salon Mollard を開き、特に北欧の音楽家や画家がパリでの拠点とし、グリーグやムンクもここに来ていた。フローラン・シュミットもモラルドのサロンの常連で、ここでディーリアスと出会い、ディーリアスの作品を編曲するきっかけとなった。ディーリアスがゴーギャンの『ネヴァー・モア』を購入するきっかけになったのはこのサロンではないかと思う。

 

ゴーギャンは再びタヒチに去ってしまうが、モラルドとは手紙のやりとりが続き、1903年5月8日に亡くなる2ヶ月前にもモラルド宛の手紙を出していた。

 

Portrait de William Molard, 1894, par Gauguin

 

1903年5月19日(まだタヒチからゴーギャンの訃報はパリに届いていない)、セヴラックはシュミットに、9時にモラルドのところで会って作品を見せて欲しいと、手紙を出している。

 

セヴラックはゴーギャン大ファンだった。本人と会ったことはないと思うが、どこかで見かけるくらいはあったかもしれない。そのセヴラックの周囲にはゴーギャンと特に親しかった人が何人もいる。先述のモラルドがそうで、サロンのあった建物の一角に短期間とはいえ、ゴーギャンが制作したアトリエがあり、様々なことをモラルドから聞いたのではないかと思う。

 

ルドンもゴーギャンと親しかった。個性的すぎる性格からゴーギャンは同業画家たちをことごとく軽蔑していたが(その反動で攻撃を受けてパリにいられず、2回目のタヒチ滞在になったらしい)、ルドンだけは例外で、双方尊敬していた。ゴーギャンの訃報がパリにもたらされたのは8月であったが、ルドンは早速追悼を込めて『黒いプロフィール(ゴーギャン讃)』の制作を始めた。ゴーギャンはタヒチで、ルドンの「目」を意識した花を、タヒチには自生しないひまわりと一緒に描いた。

 

もう一人はコレクターのギュスターヴ・ファイエだった。ファイエは実際にゴーギャンに会ったことがあり、絵画の指導も受けていた。代表作の一つ『黄色いキリスト』の所有者でもあった。ファイエのメセナ活動は日本でほとんど紹介されていないが、芸術の広い範囲に及んでいて『エリオガバル』の上演もファイエなくして考えられない。

 


ベル・エポック時代の音楽

先月、浜離宮ホールでの反田恭平リサイタルのうちドイツ音楽を中心としたプログラムを聴いた。アンコールは意外にもドイツ音楽ではなくショパンとシャブリエの小品だった。

偶然にもベル・エポックと呼ばれた時代のフランス音楽についての本を2冊みつけた。


ベル・エポックの音楽家たち
フランソワ・ボルシル著、安川智子訳、水声社、2016年

ドビュッシーやラヴェルの影に隠れてしまった多くの音楽家たちについて詳しい。おおよそ時間軸に沿ったトピックスを章立てして冒頭に関連の深い写真を掲載している。「使徒行伝」と題された章はスコラ・カントルムにあてられ、その章扉に選ばれた写真は興味深い。



うろ覚えながら、この写真はスコラ・カントルム最初の卒業生の写真と記憶している。中央に座っているのがスコラの校長で厳格なヴァンサン・ダンディで、教え子たちはきちんと並んでいる。その状態をエスプリに富んだ説明をしている。

風刺画(前章)の次は、学級写真を見てみよう。ここに写るのは完全なるシンメトリーである。フランクに続くフランキズムは、堅苦しくて規律正しく、幻覚で清教徒的な風采を帯びていたが、それを体現しているのが中心に座る人物、大司祭のヴァンサン・ダンディである。(p47)

この写真のなかで、シンメトリーを崩している人物がいる。一人横を向いているセヴラックである。

写真の中で、デオダ・ド・セヴラックはシンメトリーを崩している。秩序を乱しているのだ。カメラをじっと見つめるかわりに、右横顔を向け、別のところを眺めている。彼の短い生涯のうち七年間を過ごすことになったこのスコラからはもうはるか遠いところにいる。(p52)

その後は既に知っていることが書かれているが、少ないスペースのなかで簡潔に記述されている。

シャブリエとユイスマンスは共に内務省に勤め、机が向いあわせだったのは、この本で初めて知った興味深いことだった。

ドビュッシーやラヴェル以外にも素晴らしい音楽家がこの時代大勢いたことを本書では伝えようとし、巻末にそれらマイナーな作曲家のミニ辞典(いまだ日の目を見ぬ作曲家たち)がついている。限られた紙面のせいか、セヴラックはここに登場しているがシャブリエとボルドは登場していない(その代わり『夾竹桃のもとで』に登場する)。ラヴェルをさしおいてローマ賞を受賞したエメ・キュンクは再評価され始めているのに本文にも登場していない。それでも、この時代の音楽家を知るにはちょうどよい本である。

もう一冊もタイトルは『ベル・エポックの音楽』であるが、先の本と違いフォンフロワド修道院という小さくも大きな限定がついている。



Mario d’Angelo
La musique a la Belle Epoque
Le Manuscrit Recherche-Univers, 2013

この修道院は過去の記事に書いたような歴史があり、ファイエによる復興の直前から1914年まで、1910年のヴァカンス(エリオガバル初演もこの間にあった)を中心に、壁画を制作していたルドン、セヴラックやビニェスについて多く割かれている。フランス語なのでまだ詳しく読んでいないが、とても興味深い。

コカーニュ祭


サン・フェリックスを中心とする一帯はかつて大青(Woad)の特産地で、その原料となる植物を丸めたものを藍玉(コカーニュ)と呼んでいる。


藍玉の名前をとったFête Cocagneは、サン・フェリックスでは1972年から始まったので、そう古いお祭りではない。


Youtubeにいくつかある動画をみると、広場(セヴラックの家の前)がメイン会場で、いろいろなイベントが行なわれている。もう一つの会場は東端にある公園で、そこで踊られていたダンスに、『葡萄棚の踊り』(風車の心)の旋律が少し出ている。



サン・フェリックスに古くから伝わるさまざまなメロディーをオペラに使用しているのが、こんなところで確認できた。



モワサックのエリオガバル


オペラ『エリオガバル』はセレへの移住と関連している。セレに移って間もない頃、セヴラックは広場で演奏していたコブラ楽団の演奏を聴き、楽団とカタロニアの音楽を発見した。


演奏者から見ると、ある若者がカタルーニャの楽器にひじょうに興味を持っているのが見てとれた。彼は楽団の右に行ったり、左に行ったり、離れてみたり、近寄ってみたり、あるときなど楽器のベルの部分の下に顔を差し入れたりさえしたのだった。

デオダ・ド・セヴラック、95ページ


サルダーニャの演奏をする現代のコブラ楽団

 冒頭で『夾竹桃のもとで』に登場するメロディーが演奏されている


別の機会にセヴラックは友人とフィゲーレスのペップ・コブラ楽団を聴いていた。メロディが終わると、


……デオダの両目は潤んでおり、感動で身震いしていた。「この国、この音楽、この民俗、この光で、ぼくは絶対になにかをしなければならない……歌、踊り、異教の神、キリスト……これらすべてがそろっているなにかを……なぜならここにはそうしたすべてがあるんだ……やらなくちゃいけない!

同96ページ


数ヶ月もしないうちに、本当に実現させてしまった。


いまのところ唯一の録音になった Orfeo Laudate の公演は翌年オクシタニア音楽祭の一つとして再上演された。メンバーは前年とほぼ同じであったが、オーケストラはトゥルーズ・キャピトル管弦楽団、指揮はミシェル・プラッソン(!、この組み合わせでセヴラックの先生だったマニャールの交響曲が録音されている)。会場はモワサックの旧修道院廻廊で、オラトリオ形式であったが野外公演だった。


ここで『エリオガバル』が上演されていた


モワサックでセヴラックのオペラ!、想像しただけでも素晴らしい。以前書いたように、カニグーのサン・マルタンの翌日フォンフロワドを訪れ、翌日はトゥルーズ、その次の日はモワサックを訪れた。当時セヴラックの名前は知っていたが、作品はまだ聴く機会がなく、どこに住んでいたかなど全く知る由もなかった。いずれもセヴラックに関連の深い所なので、偶然にしても驚きだった。



オペラ・エリオガバル


オペラ『アルチュス王』(アーサー王)は、ショーソン唯一のオペラで、初演は不慮の事故で亡くなった後だった。2005年にTELARCから全曲のCDが発売された。そのブックレットに次のような興味深い一文がある。


The charming Severac, a composer of ravishing piano pieces and songs very much in the manner of Debussy but with a profile of their own, wrote an opera on the subject of Heliogabalus, whose curiosity value alone would seem to make it a candidate for the CD resuscitation.

John Ashbery


セヴラックのオペラ『エリオガバル』は、他人のオペラのCDの解説で敢えて言及されるほど録音が望まれているのに、一向にその気配がない。


昨年末に、セヴラックについて調べている過程で『エリオガバル』の録音があるらしいことがわかった。更に調べてみると1972年にバルセロナで『エリオガバル』が上演され、そのときのライブが放送局で録音されてCDになっていることがわかった。早速取り寄せて先日到着、ついに念願の『エリオガバル』を聴くことができた。



Héliogabale Tragédie lyrique en 3 actes

Libret pour Emile Sicard


Orfeo Laudate

Orchestre del Gran Teatre del Liceu de Barcelona

Cobla Ciutat de Barcelona

Dir. Angel Colomer i del Romero

Juli. 1972.


放送用録音をラジオを通じて録音したらしく、モノラルでヒスノイズが大きい。いくつかのトラックで冒頭が僅かに欠けている。音はよくない(最悪ではない)が、個性的な音楽が悪条件を凌駕して全く気にならなかった。


バルセロナのリセウ劇場(ということは初演のような野外ではない)でのオラトリオ形式の演奏で、セヴラック生誕100年を記念して上演された。


3幕のオペラで録音はどうやら完全な全曲ではなく、歌唱はカタロニア語。もとはフランス語であるが、セヴラックなら歓迎したように思える。2枚組CD-ROMには解説もトラックナンバーも全く記載されていなかったが、別ルートでトラックの内容だけはわかった。


第1幕、収録されているのは「エリオガバル」婚礼の場面を中心としている。この皇帝は生涯5回結婚していた。音楽は『風車の心』の延長にあるが、オーケストレーションはさらに洗練され、何よりもセヴラックらしい音楽に満ちている。


第2幕、前幕と対照的にカタコンベに潜む迫害を受けているキリスト教徒たちの聖歌、そういえば作曲中にスコラ・カントルムのダンディに聖歌について問い合わせていた。ソロにとても美しい瞬間がある。オルガンの出番がかなりあり、この部分は優れたオルガニスト/オルガン音楽作曲家だったセヴラックの最上のオルガン作品かもしれない。


第3幕、オペラ史の最後に出現した最も特異な音楽、ここで「コブラ」が舞台上に登場し大活躍する。祝祭という点ならバイロイトを超え、インパクトの強さは『春の祭典』以上に思える。全く性格の違う演奏家集団「コブラ」とピットのオーケストラが同時に演奏したときの素晴らしさ!


パリ公演(1911年)を聴いたフォーレの反応は次のようだった(カントルーブによる)。


最初は「素晴らしい!すべてが自然で、音楽的だ!そしてすべてが単純だ!」とつぶやいていただけだったのが、第二幕のカタコンブの場面では目が爛々と輝き、ついに第三幕のコブラ演奏が始まると、その熱狂は収まりがつかなくなり、演奏が終わると、熱狂する他の聴衆たちとともに立ち上がり、地団駄を踏みながら「アンコール!アンコール!」と叫びつづけたという。

椎名亮輔、デオダ・ド・セヴラック、58ページ、ARTES、2011年


このオペラには熱狂という言葉がとてもあっている。



エリオガバル


ギボンが『ローマ帝国衰亡史』で「最悪の(ローマ)皇帝」と断言した皇帝ヘリオガバルスはシリア出身で、治世の業績といえるものは全くない。その放縦ぶりが芸術家のインスピレーションに訴えるのか、古くからテーマとなっている。


セヴラックがフォンフロワド修道院に滞在した1910年8月、オペラ『エリオガバル』(ヘリオガバルスのフランス語読み)を完成、ベジエの野外劇場で初演し観客1万5000人を動員し大成功に終わった。翌年はパリでも上演され、フォーレも大興奮するほど素晴らしかったという。


ベジエの野外劇場は闘牛場として建てられ、夏には音楽祭が催されていた。フォーレの『ペネロープ』やサン=サーンスのオペラがここで上演され、セヴラックも新作の上演を依頼され『エリオガバル』が初演された。


ベジエでの写真がいくつか残っている。


初演の舞台の絵葉書


練習をみているところか。右から二人目がセヴラック、左端はフォンフロワドの所有者ギュスターヴ・ファイエ、その横がリッカルド・ビニェス(髭でわかる)。ルドンの姿がないが、初演には来ていたと思われる。


フォンフロワドから駆けつけた


舞台準備?


「コブラ」のメンバーと(ベジエではない)


野外オペラで、「コブラ」(カタロニアの民族音楽を独特な楽器で演奏するグループ)が登場しているということで、どんな作品かとても興味があるが、滅多に上演されることがないので聴く機会がない。もう一つのオペラ『風車の心』は録音があり、しかも日本で一昨年公演された。野外ということと特殊な演奏が必要なことが上演の壁になっているように思える。




光の歌


昨年山野楽器で見つけたブランシュ・セルヴァの作品集、たぶん世界初録音になる。

ピアノ作品だけでなく、声楽やヴァイオリンの作品もある。ヴァイオリン作品は親しかったホアン・マッシアのために作曲したのだろうか。



6曲目の Mes de Maria (マリアの月)という声楽曲は A la memoria d’en Deodat de Severac という副題があり、歌詞に沿って鐘を模した音型がピアノ伴奏のリズムを形成していたり、別の作品では様々な土地の鐘の音に基づいているなど、鐘の音に特別な愛着を持ち、大切にしたセヴラックの影響が窺える。


スコラ・カントルムでピアノを弾くヴァンサン・ダンディ

左にセルヴァとセヴラックが写っている



槌は主を失う


ピエール・ブーレーズが5日に亡くなった、という記事を見つけて驚いた。1925年生まれ、90歳を越えていたので遠からずとは思っていたが、活躍期間も長かったのでこの先ずっと生きているのではないかと(もちろん錯覚)思えるほどだった。先週まで読んでいたバレンボイムの本にはブーレーズとの共演のことが出ていたし、今日も偶然電車の中で開いた本のなかに、ブーレーズの興味深い記述があったのを読んだばかりだった。


20年前、東京で開催された「ピエール・ブーレーズ・フェスティバル」は作曲家の作品を中心とした近・現代の作品が集中的に演奏され、そのうちいくつかを聴くことができた。オープニング(1995年5月18日)はポリーニの御前?演奏で、シェーンベルクとヴェーベルン、そして第2ソナタ。ヴェーベルンの変奏曲を実演で聴いたのはこのときが初めてで、宝石のような和音の輝きに驚いた。


フェスティバルのメインと思ったのは、5月23日の公演、ディズニーランドの隣での『レポン』の自作自演と『二重の影の対話で、特に『レポン』は、ディズニーランド(の隣)という立地と作品のミスマッチぶりと、立体空間的な音(作曲家はヴェネツィアのサン・マルコなどを念頭に置いていた)と、生演奏のリアル音響とリアルタイム音楽(生演奏をその場で録音して重ねる、3次元的に再生する等)のコンポジションが面白かった。



最後に聴いたのは、最終日の6月1日、新ヴィーン楽派の作品で、あっという間に終わるヴェーベルンの『オーケストラのための5つの小品』(作品10)、ものすごい集中力で演奏したバレンボイムの『幻想曲』(シェーンベルク)、クレーメルが演奏したベルクの『室内協奏曲』、このときバレンボイムとクレーメルの演奏を初めて聴くことができた。



バブルが弾けてはいても、まだ余力のあった時代で初めて実現できたような企画だった。



樽と缶の踊り


Petites pièces (1907) のなかの小品、『樽と缶の踊り』 Danse du tonneau et du bidon が気になる。


bidon(左)と tonneau(右)


別の方法から別のもの


セヴラックが生まれたときから聴き、作品にも大気のように存在しているサン・フェリックス教会の鐘、その音(動画)を探すことになったものの、単純に Saint Felix Lauragais + Cloche + Eglise と検索してもヒットせず、別の方法で何とか見つけることができた。


町の祭を紹介したフランスのテレビ局制作の動画に 早朝の鐘の音と教会のオルガン(これも探していた)が収録されている。




鐘を探している間に別のものが見つかった。音友版楽譜で「畑屋敷」となっている “Mas” 、ラングドック地方の農場のことであるが、単に農場と訳すと伝えきれないものが多々ある(それで「畑屋敷」になったのだと思う)。


Mireioから、Mas、Gustave Fayet


Masの動画は売り出している不動産の紹介で、サン・フェリックスにある。


サン・フェリックスの農場(Mas)、売出中


次も探している過程でおもいがけなくみつけたもの。2010年のセヴラック音楽祭で、サン・フェリックス教会を会場にして歌われた Dio vi salvi Regina (コルシカ島のトラディショナル音楽)の動画。






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