ウシ対決!

中世の画家にとって、4福音書記者の象徴のうち牛が最も身近な動物だったように思う。実際に観察しているので、写実的にもデフォルメにも自由に選択できる。

 

宮廷派

 

 

山奥派

 

「東京で牛を飼う」という歌があったが、もし牛を飼うなら「ルカ」と名付ける。

 

(牝牛だったら?)

ルカ子


OPUS EXIMIUM

つい最近『ゴデスカルクの福音書』で使用された色材を分析・同定した論文が出た。それによるとテキストや装飾に用いられた金は銅や鉛、銀の合金であった。その中で唯一の例外が「栄光の王」に使われた金で、ほぼ純金だったという。

 

 

 

また、驚くべきことに「生命の泉」に描かれたクジャクからは、エジプシャン・ブルーが検出された。

 

 

 

論文で同時に分析した、同時期のアーヘン宮廷派を中心とした写本では、ウォド(大青、セヴラックの町、サン・フェリックスの特産)、インジゴ、ラピス・ラズリが使用されていて、エジプシャン・ブルーは全く検出されなかったという。これまで知られている限りでは、エジプシャン・ブルーは古代末期から徐々に使われなくなり、初期中世には製法もわからなくなっていたというのが一般的な理解であった。

 

テキストページの紫はチィリアン・パープルを期待したいところだが、フォリウムだった。論文では部分染色の方法も再現されている。最近、非破壊でしかも小型でポータブルな分析装置ができ、『戴冠式福音書』をはじめとして重要な写本の調査ができるようになった。別の論文で、写本の紫を調べた結果、チィリアン・パープルが検出された写本はほとんどなかった。

 

 

テキストページ、ゴデスカルクの献詩

 

この写本は、同じアーヘン派写本と比べても、ほんとうに特別なものだったことがよくわかる。


地上にとどめられた本

カール大帝がお墓の中で読むために持っていった『戴冠式福音書』と違って、王妃ヒルデガルトと連名で制作を命じた『ゴデスカルクの福音書』はサン・セルナン・バシリカに奉納され、1000年以上たってナポレオンがパリに持ち去り、現在はフランス国立図書館の保管となっている。

装画ページは冒頭の6ページのみであるが、ファクシミリ本であってもものすごい存在感が放射されている。普通の画集レベルではまったく「放射」が感じられないのは仕方ないことかもしれない。

 


若い!栄光の王

 


「生命の泉」のページ

装画ページはとても有名であるけれども、続くテキストページは紫の地に全て金または銀で記述されている。長い時を経て銀が黒ずんでしまいほとんど見えないのが少し残念。

光の変化により、写本の表情がリアルタイムで変わる。暗がりでも輝く(イルミネーション)は、カロリング版「陰翳礼賛」ともなっている。

 


テキスト、装飾は全ページ違う


テキストページの中にも少し生き物がいる


福音書記者の書見台は、


用事があって出かけるところ

 

 


かぼちゃ

ヴァラフリート・ストラボの園芸詩を読んだので関連するものを調べていたら、澁澤龍彦が詩の一つを訳していたことがわかった。『ドラコニア綺譚集』のなかの『かぼちゃについて』で、そこには訳詩が掲載されていた。

 

話の流れとしては、ユイスマンスの『大伽藍』の第十章についてとりあげ、そこで小説に登場するブロン神父がかぼちゃについてワラフリート・ストラボがかぼちゃをすばらしい六脚韻で歌いあげた、というところから始まる。

 

『大伽藍』はシャルトル大聖堂を賛美する小説で、画家の先祖をもつユイスマンスが主人公デュルタルとして、細密画家的にシャルトルの建築を観察していく。

 

 

 

9世紀のヨーロッパに現代の日本人で普通にイメージするかぼちゃが存在しなかったことについては、著者もよく知っているので、「ことばの問題にはもう飽きたから、これ以上は触れない」。さらにかぼちゃ談義を進めていく。

 

ここでかブロン神父の口から出る「かぼちゃ」なる語は、フランス語のcitrouilleであるから、まあラテン語のククルビタと同じものと解しておいてよいだろう。

 

修道院の回廊と薬草についてひとしきり説明した後ワラフリート・ストラボを紹介する。

 

さて、ライへナウの修道院で暮らしていたワラフリート・ストラボーは、おそらく当時のもっともすぐれた庭園文学の創始者であった。……庭は建物の東側、ポーチの近くにあって風雨から守られていたらしい。南側の壁は、はげしすぎる陽光を防いでいた。この自分の修道院のささやかな庭を、ワラフリートは満腔の愛情をこめて歌うのである。

 

ここまできて詩の一つもお目にかけないのも義理が悪いが、ラテン語から直接翻訳するのは(やってできないことはあるまいが)いささか力にあまる難事と苦慮していたところ、レミ・ド・グールモンの仏訳を見つけたようである。

 

レミ・ド・グールモン(Remy de Gourmont, 1858-1915)、貴族出身の詩人・作家、堀口大学が詩のいくつかを訳しているが、今の日本ではほぼ忘れられている、と言いたいところであるが、ルドン関連が入ると事情が違ってくる。

 

批評家でもあったグールモンはルドンの作品を高く評価していた。ルドンのほうもグールモンの批評について「この文筆家は、かつての私の初期作品について書かれたものすべてを上回ることを数行で述べている」と讃えている。

 

そのグールモンがワラフリート・ストラボの詩に着目し、訳していたという偶然も驚きである。以下は澁澤龍彦約の「かぼちゃ」である。

 

私のかぼそいかぼちゃは育ちざかり、

しなやかな若芽を支えてくれる支柱が大好きで、

榛の樹を抱きしめたり添え木に巻鬚でからみついたり。

どの蔓も二つに分岐した若芽を伸ばすので、

左右にそれぞれ二つの支柱を必要とする。

まるで若い糸姫が両側から紡錘竿の糸を引っぱっているみたい。

こうして若芽ののびる方向に沿って咲く一列の花々は、

どうやら大きな螺旋系を描くことになる。

 

この詩についての澁澤龍彦の感想は、

 

おもしろい詩だと思う。素朴ではあるが、奇想にあふれているといってもよいだろう。……ここには成長するかぼちゃを愛情ぶかく観察している詩人の目が感じられて、この詩は生き生きとしたイメージの躍動にみちているのだ。実際、植物を朝な夕な観察し、植物の習性に深甚な興味を寄せている人間でなくて、どうしてこんな詩が書けるものだろうか。どうしてこんなミニアチュールめいた擬人化の世界を思い浮かべられるものだろうか。ここには、観察に基づいていないイメージは一つもないし、紋切形に属するようなレトリックは一つもないのである。紡績竿とか螺旋形といったイメージが、とりわけ私には好ましいように感じられる。

 

詩的なセンスを持った人なので、訳も生き生きとしている。話題のかぼちゃを現代の研究者はヒョウタンであるとしている。ついでに冒頭部分について原詩や様々な訳であげてみる。

 

Cucurbita、ヴァラフリート・ストラボの薬草園、ライヒェナウ

 

ラテン語原詩

Cvcvrbita

Haud secus altipetax, semente Cucurbita uili

Assurgens parmis foliorum suscitat umbras

Ingentes: crebrisque iacit retinacula ramis.

 

ドイツ語

Kürbis

Siehe, da wächst auch der Kürbis. Aus winzigem Samen zur Höhe

Reckt er sich, streut mit den Schilden der Blütter riesige Schatten

Und entsendet mit üppigen Zweigen haltende Ranken.

 

英語(James Mitchell訳)

Gourds

Gourds also grow up high from modest seeds.

Their leaves look like shilds and cast huge shadows,

and the send out their tendrils from several different branches.

 

 

フランス語(Remy de Gourmont訳)

Cucurbita

Mea fragilis de stirpe cucurbita surgens

Diligit apposias, sua sustentacula, furcas,

Atque amplexa suas uncis tenet unguibus alnos,

 

フランス語は簡潔、ドイツ語はやや説明的、英語は詩に雰囲気が欠けているように思える。

 

いまでは、ライヒェナウ島にもかぼちゃがある。

島の北にあるかぼちゃ専門店

 


クリムゾン・リバー2 黙示録の天使たち

原題は、Les Rivieres Pourpres 2 - Les Anges de l’Apocalypse (2004)

 

 

2004年に公開された映画(日本での公開)、同年発売されたDVDのトレイラーにはロマネスクの回廊と塔が映し出されていたのが見るきっかけとなった。

 

映画評をみるとさんざんな低評価で、突込みどころ満載の作品という位置付けになっている。映画で気になったのは修道院の回廊や塔ではなく、映画後半の展開だった。

 

悪の組織が財宝をどうやら探し当てたらしく、それを主人公(ニーマンス警視、ジャン・レノ)が阻止すべく隠し場所に向かう。そこで次のようか会話が交わされる。ここでNはニーマンス警視、Mはマリーで捜査に派遣された宗教学の専門家という設定。以下のような科白が交わされる。

 

M:カール大帝の孫がこの修道院(Abbaye de Lavaudieu)を建てました。

  ルイ1世の甥にあたるイタリア王が818年イタリアを追われた

  その時ヴァチカンの貴重な秘密の財宝を持って逃げた

 

N:その財宝は?

 

M:唯一の味方ロタール1世の元に

 

N:2世の父か

 

M:そうよ

 

M:先週ロタール2世の「封印」が盗まれた

 

N:封印って?

 

M:鍵の一種よ

 

N:何の鍵?

 

M:ロタール2世の財宝が眠る墓よ

  警察に資料が

 

N:どんな財宝だ?

 

M:今も秘密のまま

  キリスト教徒にとって「最も貴重な財宝」とか

 

突然カロリング朝の皇帝が登場した。甥のイタリア王というのは、ベルンハルトでイタリアを追われたのは次のような理由による。

817年に皇帝ルートヴィヒ1世は帝国を3分割することとしたが、無視されたベルンハルトは反乱を起こした(817年12月)。すぐに鎮圧された。反乱を起こしたものの皇帝の素早い反応に驚き、釈明しようとシャロンに行きそこで捕らえられてアーヘンに連行された。同時代の記録(ニタルト)によると、

 

ピピン(810年没)の子で、自分(ルートヴィヒ敬虔王)の甥にあたるベルナルト(ベルンハルト)にはイタリア王国を譲渡した。このベルナルトは、それから少し経ってかれに背き、リヨン地方(伯領)の総督ベルトムンドによって捕えられ、眼球を潰されて命を落とした。

カロリング帝国の統一と分割、岩村清太訳、知泉書館、2016年

 

人物の関係がよくわからないので、カロリング系図をつくってみると、イタリア王ベルンハルトが年も近いロタール1世を頼った(設定にした)のがわかる。

 

 

カロリング朝系図、赤矢印は皇帝位の継承

 

映画ではベルンハルトがヴァチカンの財宝をロタール1世にもたらし、ロタール2世(ロタンギリア王)が墓所に隠したことになっている。なお、ロタール2世の墓所はイタリアのピアツェンツァでロレーヌにはない。

 

気になったというのが、ロタール2世の地下墓所の祭壇に仕掛けがされていて、その仕掛けというのが祭壇に写本が嵌め込まれた設定になっている。その写本を取り出すとどうなるかは映画をみればわかるが、ロタール2世は869年に亡くなっているので、カロリング朝後期の制作ということになる。

 

写本は一瞬だけみえるシーンがある。

 

 

映画のシーンから、一瞬だけ映された写本ページ

 

見る限りページの左右(folio v.とr.)で、右半分に角を持った動物の顔とその左下から見上げるような人物がいる。映画が「黙示録」なので、この写本が黙示録であると仮定すると「七頭の龍」らしい。

 

黙示録写本として映画版写本をみるとおかしいことに気がつく。まず、ロタール2世の時代にしては、テキストの字体が新しすぎる。現存している当時の黙示録写本(ベアトゥス本は除く)、トリーアやヴァレンシエンヌ写本をイメージすると、右半分にみえる「七頭の龍」はとても違和感があり、13世紀以降のフランスの写本のようにみえる。それなら映画のために元にした画像があるのではないかと思い、様式から見当をつけて探してみると、大英図書館所蔵の写本に(わりとあっけなく)いきあたった。

 

 

La Somme le Roi

Frere Laurent d'Orléans, ca. 1295

British Library, Additional 54180, fol. 14v

 

1295年頃に制作された写本で、全ページがデータベースで公開されている。

 

 

このページは14v、つまり左側のページで映画とは逆であるが、「7頭の龍」と左下の人物、背景のデザインはそっくりである。なお、全ページをみてみたけれども映画版写本の左側に相当する挿画(悪魔の誘惑?)はなかったので、別の写本からとってきたようである。

 

9世紀の墓所に13世紀の写本がある理由はわからないが、映画版『薔薇の名前』で小道具として準備された写本は考証も行き届いていただけに落差が大きい。

 

結局は映画の突込みネタが一つ増えただけかも。

 

もう1箇所ページが映っているシーンがあり、四足獣の絵がみえる。

 

 

 

最後は水没してばらばらになる。

 

 

 

 

Abbaye de Lavaudieu オーヴェルーニュ地方、オート・ロワール県ラヴォーデューにあるサンタンドレ修道院。史実では1057年、聖ロベール・ド・テュランドにより設立されたベネディクト会修道院。映画のロケはここで行われた。

 


カール大帝と蛇


カロリング時代の王は固定した宮廷を持たなかったので、領内各地を巡行して税の徴集や裁判などを行なった。様々なもめ事などを抱える者は誰でも訴え出てよかった。『グリム伝説集』によると、カール大帝がチューリッヒに巡行したおり、恒例に従い裁判を行なった。すると、一匹の蛇が現われて自分の巣へと案内し、蛇の卵の上に毒蝦蟇が居座っていて困っていることを訴えた。カール大帝は被告の非を認め、毒蝦蟇に対して罰を下した。


グロースミュンスターのカール大帝


判決からしばらくたってカール大帝のもとに蛇があらわれると、素晴らしいルビーを大帝にもたらした。


宝石、蛇、王のモティーフは、ゲーテの『メールヒェン』に受け継がれているように思える。


ヴェネツィアの井戸2


かねがね井戸ツアーをしてみたいと思っている海の都ヴェネツィアに、いくつの井戸があるのかはわからない。古いものは9世紀に遡る。映画『ヴェニスに死す』にも広場に井戸があるシーンがあった。残念ながら比較的新しい時代のもののようである。


『ヴェニスに死す』、広場の井戸


『イタリアのビザンティン美術』(1911)には、以前紹介した以外にも井戸が多く掲載されている。特に9世紀の井戸の浮彫は、ランゴバルド風で興味深い。


9世紀


ランゴバルド装飾、同時期のスイス



行ってみたいと思う教会


ラーチェスから南西に2km、モルテールという集落の中心に目立たないように、少なくとも1080年位以前に遡る古い教会がある。


今まで知らなかった。三つ葉形式なのがとても珍しい。


Kapelle zum heiligen Vigilius im Anger, wikipedia


三つ葉はケルン周辺が有名であるが、場所からしてミュスタイルの三つ葉礼拝堂と関連があるように思える。そうだとすると、ビザンティン由来でイタリアを北上してきたのかもしれない。


聖十字架礼拝堂、カロリング時代、ミュスタイル


山の上から、この高さまで来る日本人はたぶんいない


いずれも礼拝堂なので小規模な建築という共通点がある。もう少し大きければ、連続して三つ並ぶようになったのかもしれない。


三つ葉と三連アプシス


2種類のアプシスが同時に見ることができるのは、ここだけかもしれない。



うそから出たこと


今年の4月1日は何ごともなく過ぎてしまった。ネット上ではこの日限定で多くの企業が4月1日ネタを出し、関連記事をまとめたサイトもある。そのまとめサイトを読んでいて、サンクトガーレンという日本のビール醸造元の名前があり、もしやと思って調べてみると、ザンクト・ガレン修道院からとられた名前だった。サンクトガーレン公式サイトによると名前の由来は、


SanktGallen修道院は西暦820年にはビール醸造を行っていた記録があり、【世界最古のビール醸造所】と言われています。

その元祖の志を忘れないために、この名前を頂きました。

サンクトガーレンweb


とあった。wikipediaで同社の項目をみると、さらに詳しく由来が記載されている。


同社の名称は、記録が残っている限りでは世界最古の修道院醸造場からとられている。その修道院はボーデン湖の南に位置するスイスの都市ザンクト・ガレン(Sankt Gallen)にあったザンクト・ガレン修道院である。ザンクト・ガレン修道院は、820年には修道院内に大きな醸造施設を持っていた。


ここで820年の記録というのは、『ザンクト・ガレンのプラン』(ザンクト・ガレン図書館、Cod. Sang. 1092)と呼ばれる修道院図面をおそらく指している。


Klosterplan


サンクトガーレン社のサイトには、このプランの一部の画像が掲載されていて、3カ所あるビール醸造室の説明がある。わかりやすいように、ファクシミリをもとにwebプラン画像の醸造室を左からみていく。


ザンクト・ガレンのプラン、サンクトガーレンのサイトから、★が醸造室


下左の建物は貴賓客専用の厨房、パン焼き室、醸造室で、中央右の丸いのがパン焼き窯、中左が最高級ビール醸造室、下左の細長い部屋は貯蔵スペースにあてられている。貴賓客は皇帝、王と側近、大公、司教などの高位聖職者など。


下左、貴賓客専用の厨房、パン焼き室、醸造室


下中、ガブリエルの塔(渦巻で表わされている)のすぐ右にあるのが巡礼者用の厨房、パン焼き室、ビール醸造室で、貴賓客用と同じく窯と作業場がある。ベネディクト会は戒律により来訪者をキリストと思ってもてなすよう定められていた(悪用されたこともある)。聖地をめぐる巡礼は早くから行なわれていたが、9世紀前半なのでサンティアゴに行く巡礼者はまだいない。なお、二対の塔のもう一方はミヒャエルの塔である。



下中、巡礼者用の厨房、パン焼き室、醸造室


下右、廻廊に面して南側にあるのが修道士用のパン焼き室と醸造室である。厨房は別の建物になっている。パン焼き窯は右の部屋、左側が醸造室、その下が濾過室である。ちゃんとビールを濾過していた。


下右、修道士用、最も広いスペースをとっている


説明文には次のように記されている。


hic fratribus conficiatur ceruisa ここで兄弟たちのビールが醸造される

hic coletur celia ここでビールを漉す


この建物の南側(下の画像では右になる)に粉挽所と脱穀所があり、隣接して水車が4基備え付けられている。


水車(右の○)


修道院長専用の厨房は別にあった。ビール醸造関連室をみていく。一目見て樽が並んでいるのがわかるように、貯蔵室である。大小2種類あり、大きいほうがビールか。2階建てで上の階は倉庫になっている。


貯蔵室


修道士用バン焼き室・醸造室の西側にある三つの部屋からなる建物は左から醸造のための製桶室、轆轤細工室、穀物倉庫が続く。


製桶室、轆轤細工室、穀物倉


様々なハーブを加えていたかもしれない。そうしたハーブは隅の薬草園で育てられていた。9世紀にここの修道院長だったヴァラフリート・ストラボはこの薬草園をとても気に入っていた。


プランをもとに再現された薬草園


西側からみた立体化したプラン、醸造所もみえる


『ザンクト・ガレンのプラン』にはこのようにビール醸造を示す記録が記されているが、大きな問題がある。このプランはザンクト・ガレン修道院の実際の図面ではないのである。この図からわかるのは、ベネディクト会系修道院でビール醸造が行なわれていた可能性がある、という程度で、ザンクト・ガレン修道院でビール醸造を行なった証拠としては不十分である。


その理由は、このプランの由来に遡る必要がある。『ザンクト・ガレンのプラン』は様々な点で数世紀にわたって注目され、多くの研究がされているが、このプランはライヒェナウのザンクト・マリア・ザンクト・マルクス修道院(マリーエン修道院)で制作されたと考えられている。


親愛なるゴッツベルトよ、我は御身が修道院建築の精神を会得されるようにと、このささやかなる図面を贈るものである。


『プラン』の銘文から、この設計図はライヒェナウの修道院長ハイトーが、ザンクト・ガレン修道院長ゴッツベルトに贈ったことがわかり、ライヒェナウにあったと推測されている原図からの手描きコピー(原図説もある)である。ハイトーはアーヘン宮廷で指導者の一人とされ、ライヒェナウ修道院長とバーゼル司教を兼任していた。


ザンクト・ガレンでは当時修道院の新築を計画していた。その頃修道院の古い慣習を改革しようとする動きがベネディクト会を中心にあり(アニアーネ改革)、このプランは改革の精神を具現したものと考えられている。


ザンクト・ガレンは18世紀にそれまであった聖堂をバロック様式に建て替え、19世紀に世俗化された後、現在は司教座が置かれている。建て替え前の図や、発掘調査から『プラン』は実際にほとんど反映されていなかったことがわかっている。


ザンクト・ガレン、1642年、wikipedia


ザンクト・ガレン、2014年、Google earth


改築前後のプラン、同じ場所でほぼ同じ規模


ザンクト・ガレン修道院聖堂と周辺のカロリング朝時代(830年〜)の遺構を航空写真と重ねてみる。ここからもビール醸造所の痕跡はわからない。


カロリング朝時代のバシリカ


817年の教会会議で修道士が飲んでよいビールの量が取り決められている。ということは、既に修道院では広くビールが醸造されているということになる。


サンクトガーレンビールファンにとっては残念かもしれないが、820年の資料でザンクト・ガレンが「世界最古のビール醸造所」と言うことはできない。



ザンクト・ガレンのセクエンツィア


作者のわかる最も古いセクエンツィアはザンクト・ガレン修道院のノートケル・バルブルスによるものとされているが、『讃歌集』序文(翻訳されている)に記されているとおり、ジュミエージュの修道士がザンクト・ガレンに伝え、それをノートケルが1音―1シラブル対応の原則をつくって改良した。ノートケルの他に最も優れた音楽家トゥオティロやラトペルトが『讃歌』に加わっている。セクエンツィアの旋律は既成のものが使われているので、音楽について研究者によってはあまり評価していない。


ノートカー――彼は詩人でしかなかったのであるが

「グレゴリオ聖歌」45ページ、ジャン・ド・ヴァロワ、水嶋良雄、白水社、1999年


その古いセクエンツィアがこの15年の間に相次いでCDとして出てきた。



Musique et poesie a Saint-Gall

Sequences et tropes du IXe siecle

Ensemble Gilles Binchois/ Dominique Vellard

Enregistrement Eglise de Romainmotier, 1996.

harmonia mundi


教会暦に沿った順序で配列され、ラトペルトやトゥオティロの作品(トロープスなど)を含む。スイスのロマンモティエ教会で収録。この教会は第2クリュニーと関連付けられている。10世紀末の建築なので、ノートケルと同時代の音響を求めて選んだようである。



Notker Balbulus

Sequenzen, Tropen & Gregorianischer Choral aus dem Kloster St. Gallen

Ordo virtutum/ Stefan Morent

Aufnahme Zisterzienserkloster Bebenhausen, 2010

Christophorus


ヘルマヌス・コントラクトゥスの作品をはじめてCDに収録した Ordo virtutum による。教会暦に沿った配列。最後に聖ガルスの讃歌を加えた。こちらのほうはセクエンツィアに使用されたオリジナル旋律を同時に収録している。ベーベンハウゼン教会は13世紀のシトー会聖堂。 


単独のセクエンツィアであれば、Chant wars にも Natus ante saecula が収録されていた。




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