カール大帝と蛇


カロリング時代の王は固定した宮廷を持たなかったので、領内各地を巡行して税の徴集や裁判などを行なった。様々なもめ事などを抱える者は誰でも訴え出てよかった。『グリム伝説集』によると、カール大帝がチューリッヒに巡行したおり、恒例に従い裁判を行なった。すると、一匹の蛇が現われて自分の巣へと案内し、蛇の卵の上に毒蝦蟇が居座っていて困っていることを訴えた。カール大帝は被告の非を認め、毒蝦蟇に対して罰を下した。


グロースミュンスターのカール大帝


判決からしばらくたってカール大帝のもとに蛇があらわれると、素晴らしいルビーを大帝にもたらした。


宝石、蛇、王のモティーフは、ゲーテの『メールヒェン』に受け継がれているように思える。


ヴェネツィアの井戸2


かねがね井戸ツアーをしてみたいと思っている海の都ヴェネツィアに、いくつの井戸があるのかはわからない。古いものは9世紀に遡る。映画『ヴェニスに死す』にも広場に井戸があるシーンがあった。残念ながら比較的新しい時代のもののようである。


『ヴェニスに死す』、広場の井戸


『イタリアのビザンティン美術』(1911)には、以前紹介した以外にも井戸が多く掲載されている。特に9世紀の井戸の浮彫は、ランゴバルド風で興味深い。


9世紀


ランゴバルド装飾、同時期のスイス



行ってみたいと思う教会


ラーチェスから南西に2km、モルテールという集落の中心に目立たないように、少なくとも1080年位以前に遡る古い教会がある。


今まで知らなかった。三つ葉形式なのがとても珍しい。


Kapelle zum heiligen Vigilius im Anger, wikipedia


三つ葉はケルン周辺が有名であるが、場所からしてミュスタイルの三つ葉礼拝堂と関連があるように思える。そうだとすると、ビザンティン由来でイタリアを北上してきたのかもしれない。


聖十字架礼拝堂、カロリング時代、ミュスタイル


山の上から、この高さまで来る日本人はたぶんいない


いずれも礼拝堂なので小規模な建築という共通点がある。もう少し大きければ、連続して三つ並ぶようになったのかもしれない。


三つ葉と三連アプシス


2種類のアプシスが同時に見ることができるのは、ここだけかもしれない。



うそから出たこと


今年の4月1日は何ごともなく過ぎてしまった。ネット上ではこの日限定で多くの企業が4月1日ネタを出し、関連記事をまとめたサイトもある。そのまとめサイトを読んでいて、サンクトガーレンという日本のビール醸造元の名前があり、もしやと思って調べてみると、ザンクト・ガレン修道院からとられた名前だった。サンクトガーレン公式サイトによると名前の由来は、


SanktGallen修道院は西暦820年にはビール醸造を行っていた記録があり、【世界最古のビール醸造所】と言われています。

その元祖の志を忘れないために、この名前を頂きました。

サンクトガーレンweb


とあった。wikipediaで同社の項目をみると、さらに詳しく由来が記載されている。


同社の名称は、記録が残っている限りでは世界最古の修道院醸造場からとられている。その修道院はボーデン湖の南に位置するスイスの都市ザンクト・ガレン(Sankt Gallen)にあったザンクト・ガレン修道院である。ザンクト・ガレン修道院は、820年には修道院内に大きな醸造施設を持っていた。


ここで820年の記録というのは、『ザンクト・ガレンのプラン』(ザンクト・ガレン図書館、Cod. Sang. 1092)と呼ばれる修道院図面をおそらく指している。


Klosterplan


サンクトガーレン社のサイトには、このプランの一部の画像が掲載されていて、3カ所あるビール醸造室の説明がある。わかりやすいように、ファクシミリをもとにwebプラン画像の醸造室を左からみていく。


ザンクト・ガレンのプラン、サンクトガーレンのサイトから、★が醸造室


下左の建物は貴賓客専用の厨房、パン焼き室、醸造室で、中央右の丸いのがパン焼き窯、中左が最高級ビール醸造室、下左の細長い部屋は貯蔵スペースにあてられている。貴賓客は皇帝、王と側近、大公、司教などの高位聖職者など。


下左、貴賓客専用の厨房、パン焼き室、醸造室


下中、ガブリエルの塔(渦巻で表わされている)のすぐ右にあるのが巡礼者用の厨房、パン焼き室、ビール醸造室で、貴賓客用と同じく窯と作業場がある。ベネディクト会は戒律により来訪者をキリストと思ってもてなすよう定められていた(悪用されたこともある)。聖地をめぐる巡礼は早くから行なわれていたが、9世紀前半なのでサンティアゴに行く巡礼者はまだいない。なお、二対の塔のもう一方はミヒャエルの塔である。



下中、巡礼者用の厨房、パン焼き室、醸造室


下右、廻廊に面して南側にあるのが修道士用のパン焼き室と醸造室である。厨房は別の建物になっている。パン焼き窯は右の部屋、左側が醸造室、その下が濾過室である。ちゃんとビールを濾過していた。


下右、修道士用、最も広いスペースをとっている


説明文には次のように記されている。


hic fratribus conficiatur ceruisa ここで兄弟たちのビールが醸造される

hic coletur celia ここでビールを漉す


この建物の南側(下の画像では右になる)に粉挽所と脱穀所があり、隣接して水車が4基備え付けられている。


水車(右の○)


修道院長専用の厨房は別にあった。ビール醸造関連室をみていく。一目見て樽が並んでいるのがわかるように、貯蔵室である。大小2種類あり、大きいほうがビールか。2階建てで上の階は倉庫になっている。


貯蔵室


修道士用バン焼き室・醸造室の西側にある三つの部屋からなる建物は左から醸造のための製桶室、轆轤細工室、穀物倉庫が続く。


製桶室、轆轤細工室、穀物倉


様々なハーブを加えていたかもしれない。そうしたハーブは隅の薬草園で育てられていた。9世紀にここの修道院長だったヴァラフリート・ストラボはこの薬草園をとても気に入っていた。


プランをもとに再現された薬草園


西側からみた立体化したプラン、醸造所もみえる


『ザンクト・ガレンのプラン』にはこのようにビール醸造を示す記録が記されているが、大きな問題がある。このプランはザンクト・ガレン修道院の実際の図面ではないのである。この図からわかるのは、ベネディクト会系修道院でビール醸造が行なわれていた可能性がある、という程度で、ザンクト・ガレン修道院でビール醸造を行なった証拠としては不十分である。


その理由は、このプランの由来に遡る必要がある。『ザンクト・ガレンのプラン』は様々な点で数世紀にわたって注目され、多くの研究がされているが、このプランはライヒェナウのザンクト・マリア・ザンクト・マルクス修道院(マリーエン修道院)で制作されたと考えられている。


親愛なるゴッツベルトよ、我は御身が修道院建築の精神を会得されるようにと、このささやかなる図面を贈るものである。


『プラン』の銘文から、この設計図はライヒェナウの修道院長ハイトーが、ザンクト・ガレン修道院長ゴッツベルトに贈ったことがわかり、ライヒェナウにあったと推測されている原図からの手描きコピー(原図説もある)である。ハイトーはアーヘン宮廷で指導者の一人とされ、ライヒェナウ修道院長とバーゼル司教を兼任していた。


ザンクト・ガレンでは当時修道院の新築を計画していた。その頃修道院の古い慣習を改革しようとする動きがベネディクト会を中心にあり(アニアーネ改革)、このプランは改革の精神を具現したものと考えられている。


ザンクト・ガレンは18世紀にそれまであった聖堂をバロック様式に建て替え、19世紀に世俗化された後、現在は司教座が置かれている。建て替え前の図や、発掘調査から『プラン』は実際にほとんど反映されていなかったことがわかっている。


ザンクト・ガレン、1642年、wikipedia


ザンクト・ガレン、2014年、Google earth


改築前後のプラン、同じ場所でほぼ同じ規模


ザンクト・ガレン修道院聖堂と周辺のカロリング朝時代(830年〜)の遺構を航空写真と重ねてみる。ここからもビール醸造所の痕跡はわからない。


カロリング朝時代のバシリカ


817年の教会会議で修道士が飲んでよいビールの量が取り決められている。ということは、既に修道院では広くビールが醸造されているということになる。


サンクトガーレンビールファンにとっては残念かもしれないが、820年の資料でザンクト・ガレンが「世界最古のビール醸造所」と言うことはできない。



ザンクト・ガレンのセクエンツィア


作者のわかる最も古いセクエンツィアはザンクト・ガレン修道院のノートケル・バルブルスによるものとされているが、『讃歌集』序文(翻訳されている)に記されているとおり、ジュミエージュの修道士がザンクト・ガレンに伝え、それをノートケルが1音―1シラブル対応の原則をつくって改良した。ノートケルの他に最も優れた音楽家トゥオティロやラトペルトが『讃歌』に加わっている。セクエンツィアの旋律は既成のものが使われているので、音楽について研究者によってはあまり評価していない。


ノートカー――彼は詩人でしかなかったのであるが

「グレゴリオ聖歌」45ページ、ジャン・ド・ヴァロワ、水嶋良雄、白水社、1999年


その古いセクエンツィアがこの15年の間に相次いでCDとして出てきた。



Musique et poesie a Saint-Gall

Sequences et tropes du IXe siecle

Ensemble Gilles Binchois/ Dominique Vellard

Enregistrement Eglise de Romainmotier, 1996.

harmonia mundi


教会暦に沿った順序で配列され、ラトペルトやトゥオティロの作品(トロープスなど)を含む。スイスのロマンモティエ教会で収録。この教会は第2クリュニーと関連付けられている。10世紀末の建築なので、ノートケルと同時代の音響を求めて選んだようである。



Notker Balbulus

Sequenzen, Tropen & Gregorianischer Choral aus dem Kloster St. Gallen

Ordo virtutum/ Stefan Morent

Aufnahme Zisterzienserkloster Bebenhausen, 2010

Christophorus


ヘルマヌス・コントラクトゥスの作品をはじめてCDに収録した Ordo virtutum による。教会暦に沿った配列。最後に聖ガルスの讃歌を加えた。こちらのほうはセクエンツィアに使用されたオリジナル旋律を同時に収録している。ベーベンハウゼン教会は13世紀のシトー会聖堂。 


単独のセクエンツィアであれば、Chant wars にも Natus ante saecula が収録されていた。




ミスタイルの聖ペーデル教会4


聖ペーデル教会の歴史については、教会で売っていたブックレット St. Peter Mistail GR, Schweizerische Kunstführer, 1997. がよくまとまっている。wikipedia.deの Sankt Peter Mistailも基本的にこの本の記述を使っているので、歴史に限らず詳しいことを知りたいときは、wikipedia の記事を見るのがよい(というわけで、ここに書くのは省略)。


教会のポストカード


多少補足すると、教会の創建は不明であるが、ザンクト・ガレン修道院の傘下だった時期がある。修道院の庇護から離れた後は教区教会とならず、小さな巡礼教会として存続していた。


wikipediaの写真、2007年、やっぱりのどか



忘れてた


ハチミツ売場のパラソルの位置。





ミスタイルの聖ペーデル教会3


教会の特徴は三連アプシスにある。三連アプシスは東ローマ由来で初期中世のイタリアに多い。多くは改築で取り壊されてしまったが、ミスタイルは辺鄙な山の中にあったために壊されずにすんだ。


上から


下から


近くにあるミュスタイルの聖ヨハネ修道院聖堂はより大規模で同じくザールキルヒェなので、よく比較される。


聖ヨハネ修道院聖堂


こちらも近い場所にあり、カロリング時代に建てられたマッレスのサン・ベネデット教会、外からみると矩形に終わっているが、内部には三連アプシスがある。


サン・ベネデット教会、マッレス


聖堂のプランをみると、三連アプシスの特徴がよくわかる。800年頃と推測される部分は教会のほとんどを占めている。



聖堂プラン



教会の小さな塔


屋根は上からみるとスレートのように思えたが、木の皮を葺いていた。木は豊富にあるので、とても合っている。



ロマネスクのような彫刻は一切ない簡素な扉口から入る。




ミスタイルの聖ペーデル教会2


木々の間からアプシスが見え、続いて教会の周囲も見えてくると、一方は崖でその下にレーティッシュ線が走り、さらにその下を川が流れている。残りの3方向は高台で、教会のある場所だけ低く平らになっている。教会の隣には農家と納屋か作業小屋らしき建物が建っている。


教会とその周り、これが全て


この小さな土地から感じられるのんびり感は歴史的な教会があるとはとても思えないが、その後南チロルで似たような環境にある教会を次々と訪れることとなった。


塔がなければ農家の納屋にみえる


教会に近づいていくと農家のものらしい風車が回り、その先にパラソルが一つ。パラソルの下のテーブルには自家製のおいしそうなハチミツが並べられている。値札がついているので売り物であるが、売り主はどこにもいない。その代わりにカモが何羽かまわりで日向ぼっこに忙しく、店番をする気はないらしい。


教会の前


それ以前に、ここまでハチミツを買いにお客が来るのか疑問。


店番は任せられない



ミスタイルの聖ペーデル教会1


産経新聞webによると、最悪の事故を免れたことについて鉄道関係者は、「守護の天使」が電車に乗っていたのだろう、と地元メディアに言ったという。


グラウビュンデン州ティーフェンカステルの北西約2kmの Alora川に面した崖上(事故現場の真上)にある。とても小さな教会であるが、カロリング時代に建てられ、当時の姿を最も良好に伝える作例として知られている。


この教会でゆっくり過ごしたかったので最寄りのティーフェンカステルに泊まった。ホテルからしばらく行くと線路の下のトンネルをくぐって、細い道に出る。


この橋から小道に入りしばらく線路に沿って歩く。


この先にカロリング教会がある?


やがて線路から離れ、牧草地を迂回する。こういう道をのんびり歩いて教会を目指すのはツアーではできない。



視界が開け、遠くにティーフェンカステルの教会と駅がみえる。


眺望が開けるとうきうきする


花畑もある


道が途切れたかと思うと下方に、木々の間から独特の三連アプシスがみえてきた。


みえた



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