木があって樹がない

樹をめぐる物語



樹を描いた作品の展示ということで期待したが、展覧会に物語を感じられなかった。
展示されていた大半の絵は、木をみて樹を描いていない。
その中で「ペイルルバードのポプラ」と少数の作品だけが樹を描いた。

フェルメールとレンブラント展

森アーツセンターギャラリーで開催

MOMAが所蔵するフェルメールの『水差しを持つ女』が展示されるというのに行く機会がなかなかできず、東京の会期終了近くになってようやく見ることができた。



フェルメールの作品のなかでは知名度がやや低く人気もそれに比例していると思われるのは、『牛乳を注ぐ女』と比べて薄塗りで立体感がないように見られているせいもあるのではないかと思う。しかし、独特の雰囲気があって好きな作品の一つ、ちょうど20年前にオランダで他作品と共に見ていた。

六本木での展示でまず気がついたのは、外光が一切入らない部屋で、ハロゲンライトのみの照明がされていたこと、このせいで全体が黄色っぽい色に見えてしまい、かなり色彩感を損なっていた。きっと、こういう色だと思った人も多いのではないかと思う。オランダでは自然光のもとで見ることができたので、この違いはとても大きい。つくづく、オランダの理想に近い環境で見ることができてよかった。この記憶は大切にしないといけない。

それにも関わらず、光線そのものではなく、人物の前後にまで光が充溢している空間を描きだしているのが充分に感じられた。このような空間は同時代のオランダ絵画に類例がなく、人物の性格や雰囲気からもたらされているようにもみえる。

また、窓の下から生じる影の、北方の気象と多重反射を反映したぼんやり感がここでも素晴らしい。この影が最も素晴らしいのはバッキンガム宮殿にある『音楽の稽古』だと思う。

他の画家の作品では昨年も見る機会のあったファブリティウスが2点あったのが珍しく貴重だった。

渦巻の世界


先月ボッティチェリ展で行った都美術館で、他館の美術展・企画展案内のチラシが置いてあるなかに、珍しくギャラリーの展覧会案内(葉書)があった。二重の渦巻きだけのあるオブジェのデザインで、「ORIGIN オリジン 見えないものの形」、美術家・橋場信夫さんの展覧会だった。



場所は下高井戸近くに昨年末オープンしたという Tir na nog Gallery 、渦巻きとケルト、すぐ見に行くことに決めて先日ようやく実現した。


下高井戸から歩けなくもない距離だったけれども寒いのと、トラムみたいな世田谷線が珍しいので一駅乗り継ぎ、ギャラリーはすぐ近くにあった。


展示は鉄を素材に使ったオブジェで美しく発色した錆色に様々な渦巻や組紐の文様がある。


渦巻は文様史上線と円の次に現われたといわれる起源の古いモティーフで、様々な文明に特徴的なものがある。上の渦巻は太陽の軌跡を固定した板に1年間プロットしたときにできるパターンに似ている(下の図)。これは既に先史時代の遺跡(ケルトより前)に登場している。


太陽の軌跡


古代ギリシアでもこの文様は知られ、グリプトテークでみることができた。


古代ギリシア


出雲で出土した銅鐸にもこの渦巻がある。先のオブジェもタイトルはないが、イザナギとイザナミから想を得たという。


出雲の銅鐸


渦巻きの組み合わせ、出雲


ケルトといったら、『ケルズの書』や『リンディスファーンの福音書』のXPやカーペットに現われた無数の渦巻きをすぐに思い出す。


渦巻は生成と消滅を同時に繰返していく。野外のオブジェでそうしたものをみたことがある。


次々に渦ができていく


やなじじーは時間について、流れるものではなく生成と消滅が同時に起こっていると考え、次のような図で説明した。




今の時代にありそうでなかった渦のオブジェをみたあと、下高井戸のノリエットでおやつにした。




上野のボッティチェリ



大きな美術館展のなかに数点含まれている、といったことでしかみる機会のなかったボッティチェリの作品を、回顧展として初日にみることができた。



それほど混雑はなく、観客の多くは最初に展示されていた工芸品などの解説に釘付けになっていて、主要作品の前は人垣どころか人さえいない状態だった。


これまでみたボッティチェリの作品では、『神曲』のデッサンが最も素晴らしいと思っていたが、今回も良い作品がいくつもあり、最もよかったのが小さなテンペラのこの2点。


シモンの家の宴(部分)


ノリ・メ・タンゲレ(部分)


洋梨がある!


『ゲッセマネの祈り』、北方中世を思わせる構図にイタリアの色彩。下側で眠ってしまっている弟子たちの聖性を喪失させているのが辛辣でユーモアがある。オリーブの木の剪定ぶりが興味深い。



リッピ親子の作品も多くみることができてよかった。子のほうの、今回展示はなかった『ベルナルドゥスの幻視』はルネサンス時代のなかでも好きな作品の一つであるが、今回のうちではトンド・コルシーニのような大作よりも小さなデッサンにフィリッピーノの良さがでている。


フレスコの『聖アウグスティヌス』など数点の作品は、既にフィレンツェ・ルネサンス展(1991年、世田谷美術館)などでみたものだった。


図録


黄金伝説展


年末までに行けずに今年に持ち越となった黄金伝説展を、文字通り新春の上野公園でようやくみることができた。


春のような陽気の上野公園


古代地中海世界の、精細な細工が施された宝飾品やブルガリアで出土した最古の金工芸品など、個々には素晴らしい展示品がある。また、宝石や貴石と組み合わせた宝飾品も起源をみるようで興味深い。しかし黄金という金属の世界中の古代文明のなかでの地中海世界の位置付けがはっきりしない(図録には書いてあるかもしれないが買わなかった)。「黄金伝説」も、ギリシア神話のなかには他に様々な神話があるし、ギリシア以外の伝説もあるはずであるが、どうして金羊毛をとりあげたのか。その関連でギリシア神話を描いた近世、近代の絵画展示もされていて、浮きすぎているルノアールには驚いた。クリムトも展覧会にあった作品を展示できなかったのか不思議である。


古代キリスト教時代に継承されていた金工芸も触れていてほしかった。



今にして思うと、割れ物と彫刻主体のグリプトテークには、金工芸品も素晴らしいものが多かった(以下グリプトテークの展示)。





ケルト美術


先月から大英博物館で開催されている Celts: art and identity の図録が届いた。購入したのはソフトカバーで、紀伊國屋書店のオンラインから。アマゾンでも取り扱っている。


 紀伊國屋書店 (¥5415)


 Amazon (¥4951)


 自前のコレクションで深い内容の展覧会が企画できてしまうのがすごい。



展覧会は日本でも開催しててほしい。


本文のレイアウトも宝飾の本のよう



「アンギアーリの戦い」展 ぐったり



とても期待して、会期終了間際になって富士美術館で開催中の「アンギアーリの戦い」展をみた。美術館は八王子駅からさらにバスで20分、川を渡り山をくぐって、都内とは思えないような場所にある。



展示はフィレンツェ史、壁画制作の背景にあたる。フィレンツェの画家が描いた2枚の戦闘画は中世末期風、1枚はピサを描いていて、斜塔の傾きがかなり強調されていた。


レオナルドの『アンギアーリの戦い』、ほぼ同時代の模写と思われる。制作のための小さなデッサンと、様々な模写。ヴァザーリによれば、オリジナルは絵の具が流れてしまっている。


ミケランジェロの『カッシーナの戦い』のデッサンはトルナイの本によると20点ほどのこっている。このうち数点でも見られればと期待していたのだけれど、豆本サイズに描かれたデッサンのみしか展示されなかった。下の有名なデッサンもなし。


「カッシーナの戦い」のためのデッサン(左右とも)


15〜16世紀の間にヨーロッパの絵画表現は大きく変わった。


1432 Ghent-Altar, Van Eyck

1440 Köln Altar, Stefan Lochner

1464 Het laatste avondmaal, Dirk Bouts

1477 Primavera, Sandro Botticelli

1484 La Dame à la licorne

1498 Apokalypsis cum Figuris, Albrecht Dürer

1506 Der Isenheimer Altar, Grünewald

1504 Battaglia di Anghiari, Leonard da Vinci (52)

1504 Battaglia di Caschina, Michelangelo Buonarroti (29)

1512 Madonna Sistina, Raffaello Santi


『ニュルンベルク年代記』(1493年)の出版の直後に『絵入り黙示録』(1498年)が出版されたときの劇的な変化と同じく、先のフィレンツェの画家からレオナルドの表現は劇的に変化した。『アンギアーリの戦い』の特徴は、憤怒の表情と動的なポーズにある。展覧会ではこれらの変化がどのように起こったか、必然だったのかなどの説明がほとんどされていない。


先行するレオナルドの壁画をみながらのミケランジェロの制作が、先達をどのように意識して行なったのか、どうして水浴の後ろ向き群像という形になったのか、このあたりは古くから議論されて決着をみていないが、新発見によりどうなったのか、そういった説明もない。


壁画が公開されると、同業画家の間でたいへん評判となり、模写に訪れる画家が絶えなかったが、マキアヴェリなど依頼側、または敵として登場しているミラノの反応はどうだったのだろうか。


作品がとても限られていることはわかっているが、それでももう少し何とかならなかったのだろうかと思う。


グラン・パレのルドン展でドムシー邸の部屋が再現されたように、この展覧会でも五百人の間と壁画を立体的に再現するべきだった。


明らかに『アンギアーリの戦い』に興味ないとわかる来訪者集団の異様な雰囲気、猛暑などが重なって早々に退散することにした。


収穫だったのは、ルーベンスの模写(ずっと見たかった作品)、マキアヴェリの肖像、中世末期の雰囲気濃厚な戦闘画、帰りに買った芸術新潮。


建物は立派な美術館



彼女は吠え、僕らは遊ぶ


図録は美術関係のなかでは小型で、過去のクレー展図録もなぜか小型のサイズが多い。『洋梨礼賛』が紹介ポスターに使われているくらいなので、図録の表紙になっているだろうと期待したが、別の作品だった。


図録


図録のデザインには『彼女は吠え、僕らは遊ぶ』が使われている。クレーの作品のなかでも有名なので、過去に日本で出版された画集にも収録されている。


sie brüllt, wir spielen 1928、ベルン美術館に展示されていた頃


線に還元された犬たちは、カンディンスキーがヴァイオリン演奏について述べた「手が弓にかける圧力は、手が鉛筆にかける圧力に完全に対応している」(ラインズ)ように音楽そのものであり、カリグラフィー的な文字のようにもみえる。後に病気で手が不自由になって微細な線描ができなくなると、東洋の書道のような文字になっていく。


音楽の演奏そのものは跡をのこさないが、紙の上の演奏は線となってのこる。遊び=演奏=spielenであるから、作品のなかには二重の遊びが隠れている。


図録の表紙に『洋梨礼賛』がなかったように、展覧会グッズにも『洋梨礼賛』を使ったものはなかった。Bunkamuraのクレー展のときはTシャツがあったのに、その点だけが残念だった。



聖女、窓から


宇都宮美術館で開催しているクレー展の最後の章「愚か者の助力」でのなかで展示された一点、『聖女、窓より』、窓のむこうにいる聖女の構図はルドンの作品を思わせる。


Heilige, aus einem Fenster, 1940


La Sainte devant la ville, W333


聖女は「向こうの世界」に属している。窓は「こちらの世界」との境界にある。東ローマで聖像論争が起こったとき、イコンは「窓」とすることで決着した。


ルドンの聖女は自身のなかに沈思しているが、クレーの聖女は「こちらの世界」に大きく関心を寄せている。誰かがこちらから向こうに移る際に、助けようと待っているかのようである。



逃げ去る


クレーの作品でよく知られているのに、これまでみる機会がなかったものに『赤のフーガ』がある。今回はじめてこの作品をみることができた。


赤のフーガ、1921年


言うまでもなくフーガは音楽の形式の一つで、最初の様式的発展には、教会の長い残響によって自然と起こるエコー(1度の平行カノンとも言える)がもとになっているのではないかと思っている。『赤のフーガ』でのフーガは音楽の用語を借りると、テーマの変奏、転調、移調のほかにも和声(ここでは色彩)にも及んだ、厳格で自由な展開をしている。おもしろいと思うのは、音楽ではしばしば追いかけっこしているように思えるのが、ここでは語源どおり全てが一方向に逃げ去っているようにみえる。


クレーと同じくらいヴァイオリンを弾きこなし、音楽が重要な源泉だったルドンも、デューラーの線描にフーガを見いだしていたのも偶然ではない。




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