系図


作曲家の武満徹が亡くなってもう20年になった。


ルドンについて語る武満徹、日曜美術館(7分7秒から)


『系図』の映像の木はルドンの木を意識しているようにみえる。



『ドゥイノの悲歌』のように、亡くなった人は子孫に繋がる。


朝になってウンベルト・エーコが亡くなったというニュースも入ってきた。



Caçolet


予期せず四谷駅にあるPaulでカスレを見つけた。


本場に比べたらあっさり


カスレの本場トローザ(トゥルーズ)で、一緒に行った知人と味見気分で一皿たのんだのが、カスレとの出会いだった。鶏肉を豆で煮込んだ超こってり料理で、一人一皿頼んでいたらあとがたいへんだった。


四谷のカスレは日本人向けに量を減らしたうえかなりあっさりとさせた味付けで、鶏肉は使っていないようだった。それでもカスレらしさを味わえた。



史上最強の宗教画


芸術新潮最新号はグリューネヴァルト、『イーゼンハイム祭壇画』を中心とした特集だった。


西洋美術のなかで、日本で最も馴染みのない分野は多翼祭壇画と写本なのではないかと思う。ニュルンベルクのゲルマン博物館には、戦渦により居所を失った祭壇画が多く展示されていて、日本で知られている祭壇画が氷山の一角のように思えてきた。描かれている内容も普通にわかるものもあれば、全くわからないものもあった。


そのなかでも知られているのが『神秘の子羊』、『十字昇架』、『イーゼンハイム祭壇画』になるだろうか。クリュニーの『一角獣』が来日を果たしても、この二つの祭壇画が日本に来ることはありそうにない。


Musée Unterlinden


祭壇画をみることができたのはちょうど10年前の今頃、ストラスブールからバーゼルの空港に行く途中、コルマールに立ち寄ったときだった。今でいう表現主義的な身振りや色彩による劇的な印象を持った。劇的といってもルーベンスのバロックの劇場的な表現とは違い、深い森を感じさせる。


特集は、いまだによくわかっていない作者とテーマに迫った内容だった。




表紙は『聖アントワーヌの誘惑』


表紙に選ばれた『聖アントワーヌの誘惑』の悪魔達、ボッスの絵よりもコンクのティンパヌムにいる悪魔の子分を連想した。




祭壇画がもともとあったイーゼンハイムはバーゼルの近く、対岸は深い森が続く。中世以来続き、ヘッセの小説にも出てくる森の神秘主義の流れがこの祭壇画にも及んでいるように思える。


弓を逆手に持っている




ヴェノスタ渓谷の彫像メンヒル


ラーチェスは細長いヴェノスタ渓谷の中でも比較的大きな町で、ナトゥールノからもごく近い。町外れにある通称ビューエル教会(正しくはビューエルの聖母教会)にメンヒルがあることを知った。まだネットは未発達で、行ってみるのが最も確実、という時代だったので、たまたま前年に近くまで行ったことが最も大きな情報源となった。


Latschの町、南から、Street view


教会のメンヒルのことは以前の記事にも少し触れているが、改めて紹介する。

ラーチェスの聖母教会は1020年に最初の建築があり、17世紀までの間に順次増改築を繰返してきた。祭壇は12世紀につくられた。


ラーチェスから程近いアルプス山中でアイスマンが発見された翌年(1992年)、祭壇の天板をはがしてみたところ、この地域でこれまでに発見されたメンヒルによく似た彫刻が施されていて、調べてみると5000年前のメンヒルであることがわかった。


メンヒルというのは、ヨーロッパ石器時代にみられた石のモニュメントで、各地で見つかっている。宗教的用途に用いられていたと考えられている。ヴェノスタと周辺から発見されたメンヒルは、豊かな彫刻が施された他の地域にない独特のもので、「彫像メンヒル」Statuenmenhir と呼ばれている。ヴェノスタには良質な大理石が豊富なり、このメンヒルも地元の大理石が使われている。


彫像メンヒルの発見場所、左上がヴェノスタ渓谷


この発見で特徴的なのは、前年発見されたアイスマンと時代が近いことである。アイスマンがアルプスに入る直前にこのメンヒルをみた(拝んだ)可能性もある。


ラーチェスのビューエル教会を調査中だった考古学者ノートドゥルフターは、新たに一個の、装飾性豊かな模様石を発見した。これも地元産の大理石でできていた。発見場所は、祭壇の板の下である。この石は地元で今なお信仰対象とされている。この教会では複数宗教が奉じられていたと考えられており、キリスト教のほかに、土着宗教の象徴としてこの模様石が安置されたのだろう。

コンラート・シュピンドラー/畔上司訳「5000年前の男」、文藝春秋、1994年、p302


また、教会の祭壇から発見されたという事実は石器時代の聖性が、信仰形態が変わってもごく最近まで継承されていたことを示している。


メンヒルをみるには、「夏期の間のみ毎週月曜日の午後3時、ガイドツアーでのみ公開」なので、ツアーに参加しなければならない。このツアーに合わせて旅行のスケジュールを組み、ガイドツアー(無料)に参加した。町役場の前から出発するツアーは、町の主要なモニュメントをまわり、最後に聖母教会に行く。最初みたのは施療院教会、お墓の格差の話や、祭壇にあるイェルク・レーデラーの三連祭壇など。レーデラーはチロル地方を中心に活躍した彫刻家であるが、日本では全く知られていないかもしれない。


Flügelaltar von Jörg Lederer (1470-1550), Spitalkirche in Latch, 1518.


幸いなことに、歩ける範囲にモニュメントは少なく、教区教会を見た後、聖母教会に向った。


ぶどう畑とビューエル教会、Streetview


南から、Streetview


Bühelkirche


小さな教会なので、扉から入るとすぐに祭壇がみえる。この祭壇の天板としてメンヒルが使われていた(現在は取り出されている)。


祭壇、12世紀


発見前の状態


取り出されたメンヒルは同じ部屋のなかにもう一つ部屋をつくってあり、そこで展示されていた。日本でも縄文土器などは10000年前からあるし、神社のご神体などはもっと遡ると思うが、ヨーロッパで石器時代から特別なものとして信仰の対象になり続けてきたことに、驚く。

メンヒルは表と裏両方に彫刻(線刻)がされ、5000年たった今でも容易に何を彫刻したのかわかる部分があるのは、これもたいへんな驚きだった。





『ブレンダンとケルズの秘密』パンガ・バン


久しぶりに『ブレンダンとケルズの秘密』、登場した動物(ガチョウもいた)のなかにエイダンが連れてきたパンガ・バン Pangur Bán (白いまるまるとした、という意味)という名前の猫がいた。


Pangur Bán


いかにも島嶼体の響きがある名前であるが、歴史上実在した猫の名前からとっている。

9世紀、アイルランドから大陸に渡り、ライヒェナウ島に定住した修道士がいた。彼は讃歌や文法などの練習帳に古アイルランド語で一篇の詩を書き留めた(Reichenauer Schulheft)。


Reichenauer Schulheft


 私と私の猫パンガ・バン

 どちらも仕事を好む

 猫は大喜びでネズミを捕り

 私は一晩中座って文字を狩る


このblogにかなりの頻度で登場するライヒェナウ島はボーデン湖にあり、島に設立されたマリーエン修道院はザンクト・ガレンとならんで初期中世の文化の中心地であった。このため世界遺産に登録されている。この島に修道院を設立したのはピルミニウス(ピルミン)で、カール・マルテルの強い援助があった。ピルミンは大陸の生まれながら強いケルトのキリスト教文化の影響を受けていた。後に制作された写本にみるように、ケルト文化の影響をかなり受けていた修道院なので、アイルランド出身の修道士も定住したのかもしれない。


9世紀というと、カール大帝の治世末期にあたり、カロリングルネサンスの代表的詩人だったヴァラフリート・ストラボもこの時期の修道院長であった。


パンガ・バンがいたせいか、ライヒェナウ島には猫が多かった。残念ながら白い猫は見かけなかった。




『ケルズの書』には猫が沢山登場する。その中にパンガ・バンも描かれていたかもしれない。


『ケルズの書』Xρページの猫、右の猫がパンガ・バン?




ちょうど


畑の中に建つ聖プロコロ教会を訪れて10年。



10年前はほとんど知られていなかったのに、今では日本のツァーも立ち寄るらしい。

牧歌的雰囲気を味わえてよかった。



Vierge


Basilique de Saint Sernin


Arc de Triomphe


駐車場のむこうに建つもの。


これは何?


続きを読む >>

栄光の王


12世紀に活躍し、最高のトルバドールといわれたギラウト・ボルネィユのアルバ、『レイス・グロリオス』は「栄光の王」への呼びかけから始まる。


リムーザン生まれて南仏一帯で活躍したトルバドールにとって「栄光の王」は馴染みのあるものだった。この地域で大彫刻が復活したとき、まず選ばれたのが「栄光の王」だったからである。


ボルネィユはモワサックの厳格な「栄光の王」に呼びかけているように思える。そのほうが詩に深みを与え、とても生きたものになる。


「栄光の王」のアップは意外にもなかった


「栄光の王」Majestas Domini は、かなり早い時期から図像化され、6世紀の『ラブラ福音書』に見出されるものもその一つとされている。


ラブラ福音書


「栄光の王」は黙示録の次の一節による。


私はたちまち霊に満たされた。するとそこ、天に玉座が据えられていて、その玉座に座っている者がいた。

座っている者の相貌は、碧玉と紅玉髄のようであった。そして、その玉座のまわりを、エメラルド色した虹が取り巻いていた。

また、玉座のまわりには二十四の王座があって、その王座には白い着物を身にまとい、頭には金の冠を被った二十四人の長老たちが座っていた

第一の生き物はライオンに似ており、第二の生き物は若い雄牛に似ており、第三の生き物は人間のような顔を持っており、そして第四の生き物は飛んでいる鷲に似ていた。

それら四匹の生き物は、それらの各々が六つの翼を持っており、まわりじゅう、しかも内側まで、目で覆われている…

ヨハネの黙示録4−2〜8

新約聖書翻訳委員会訳、岩波書店


南仏で一挙に彫刻として登場する前、カロリング時代には流行の兆しというか準備がされている。


トゥオティロ、象牙浮彫


象牙浮彫、メッス派


栄光の王、ミュスタイル


ソワッソンのサン・メダール福音書



関連


何かが加わると、互いに無関係と思えるものが一挙に関連性のもとにおかれる。





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