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うそから出たこと


今年の4月1日は何ごともなく過ぎてしまった。ネット上ではこの日限定で多くの企業が4月1日ネタを出し、関連記事をまとめたサイトもある。そのまとめサイトを読んでいて、サンクトガーレンという日本のビール醸造元の名前があり、もしやと思って調べてみると、ザンクト・ガレン修道院からとられた名前だった。サンクトガーレン公式サイトによると名前の由来は、


SanktGallen修道院は西暦820年にはビール醸造を行っていた記録があり、【世界最古のビール醸造所】と言われています。

その元祖の志を忘れないために、この名前を頂きました。

サンクトガーレンweb


とあった。wikipediaで同社の項目をみると、さらに詳しく由来が記載されている。


同社の名称は、記録が残っている限りでは世界最古の修道院醸造場からとられている。その修道院はボーデン湖の南に位置するスイスの都市ザンクト・ガレン(Sankt Gallen)にあったザンクト・ガレン修道院である。ザンクト・ガレン修道院は、820年には修道院内に大きな醸造施設を持っていた。


ここで820年の記録というのは、『ザンクト・ガレンのプラン』(ザンクト・ガレン図書館、Cod. Sang. 1092)と呼ばれる修道院図面をおそらく指している。


Klosterplan


サンクトガーレン社のサイトには、このプランの一部の画像が掲載されていて、3カ所あるビール醸造室の説明がある。わかりやすいように、ファクシミリをもとにwebプラン画像の醸造室を左からみていく。


ザンクト・ガレンのプラン、サンクトガーレンのサイトから、★が醸造室


下左の建物は貴賓客専用の厨房、パン焼き室、醸造室で、中央右の丸いのがパン焼き窯、中左が最高級ビール醸造室、下左の細長い部屋は貯蔵スペースにあてられている。貴賓客は皇帝、王と側近、大公、司教などの高位聖職者など。


下左、貴賓客専用の厨房、パン焼き室、醸造室


下中、ガブリエルの塔(渦巻で表わされている)のすぐ右にあるのが巡礼者用の厨房、パン焼き室、ビール醸造室で、貴賓客用と同じく窯と作業場がある。ベネディクト会は戒律により来訪者をキリストと思ってもてなすよう定められていた(悪用されたこともある)。聖地をめぐる巡礼は早くから行なわれていたが、9世紀前半なのでサンティアゴに行く巡礼者はまだいない。なお、二対の塔のもう一方はミヒャエルの塔である。



下中、巡礼者用の厨房、パン焼き室、醸造室


下右、廻廊に面して南側にあるのが修道士用のパン焼き室と醸造室である。厨房は別の建物になっている。パン焼き窯は右の部屋、左側が醸造室、その下が濾過室である。ちゃんとビールを濾過していた。


下右、修道士用、最も広いスペースをとっている


説明文には次のように記されている。


hic fratribus conficiatur ceruisa ここで兄弟たちのビールが醸造される

hic coletur celia ここでビールを漉す


この建物の南側(下の画像では右になる)に粉挽所と脱穀所があり、隣接して水車が4基備え付けられている。


水車(右の○)


修道院長専用の厨房は別にあった。ビール醸造関連室をみていく。一目見て樽が並んでいるのがわかるように、貯蔵室である。大小2種類あり、大きいほうがビールか。2階建てで上の階は倉庫になっている。


貯蔵室


修道士用バン焼き室・醸造室の西側にある三つの部屋からなる建物は左から醸造のための製桶室、轆轤細工室、穀物倉庫が続く。


製桶室、轆轤細工室、穀物倉


様々なハーブを加えていたかもしれない。そうしたハーブは隅の薬草園で育てられていた。9世紀にここの修道院長だったヴァラフリート・ストラボはこの薬草園をとても気に入っていた。


プランをもとに再現された薬草園


西側からみた立体化したプラン、醸造所もみえる


『ザンクト・ガレンのプラン』にはこのようにビール醸造を示す記録が記されているが、大きな問題がある。このプランはザンクト・ガレン修道院の実際の図面ではないのである。この図からわかるのは、ベネディクト会系修道院でビール醸造が行なわれていた可能性がある、という程度で、ザンクト・ガレン修道院でビール醸造を行なった証拠としては不十分である。


その理由は、このプランの由来に遡る必要がある。『ザンクト・ガレンのプラン』は様々な点で数世紀にわたって注目され、多くの研究がされているが、このプランはライヒェナウのザンクト・マリア・ザンクト・マルクス修道院(マリーエン修道院)で制作されたと考えられている。


親愛なるゴッツベルトよ、我は御身が修道院建築の精神を会得されるようにと、このささやかなる図面を贈るものである。


『プラン』の銘文から、この設計図はライヒェナウの修道院長ハイトーが、ザンクト・ガレン修道院長ゴッツベルトに贈ったことがわかり、ライヒェナウにあったと推測されている原図からの手描きコピー(原図説もある)である。ハイトーはアーヘン宮廷で指導者の一人とされ、ライヒェナウ修道院長とバーゼル司教を兼任していた。


ザンクト・ガレンでは当時修道院の新築を計画していた。その頃修道院の古い慣習を改革しようとする動きがベネディクト会を中心にあり(アニアーネ改革)、このプランは改革の精神を具現したものと考えられている。


ザンクト・ガレンは18世紀にそれまであった聖堂をバロック様式に建て替え、19世紀に世俗化された後、現在は司教座が置かれている。建て替え前の図や、発掘調査から『プラン』は実際にほとんど反映されていなかったことがわかっている。


ザンクト・ガレン、1642年、wikipedia


ザンクト・ガレン、2014年、Google earth


改築前後のプラン、同じ場所でほぼ同じ規模


ザンクト・ガレン修道院聖堂と周辺のカロリング朝時代(830年〜)の遺構を航空写真と重ねてみる。ここからもビール醸造所の痕跡はわからない。


カロリング朝時代のバシリカ


817年の教会会議で修道士が飲んでよいビールの量が取り決められている。ということは、既に修道院では広くビールが醸造されているということになる。


サンクトガーレンビールファンにとっては残念かもしれないが、820年の資料でザンクト・ガレンが「世界最古のビール醸造所」と言うことはできない。



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  • 2017.10.17 Tuesday
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