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ノヴェレ Die Novelle

ゲーテの短編『ノヴェレ』について紹介することになり、久しぶりに読み返した。今回読んだのはポプラ社の百年文庫に収録された(もともとは人文書院版全集に収録)内藤濯訳である。この文庫にはムシルとアナトール・フランスの短編も入っている。

 

百年文庫「城」

ポプラ社、2010年

 

 

 

『ノヴェレ』はもともと『ヘルマンとドロテーア』の対作品となる叙事詩として『狩』というタイトルで構想された(1797年3月23日)。ホメーロス風ヘクサーメターの叙事詩が『狩』に適した形式であるか疑問が生じ、長期中断を経て1826年10月に再開、1827年2月に散文として完成、1828年に出版された。

 

1827年1月18日

私はいま散文でみごとに書きあげた。

対話

 

1827年1月18日

この短編の筋の進行を比喩であらわすとすると根から一本の緑の植物が芽生えてゆくところを想像してみるとよい、その植物はしばらくの間しっかりした茎からつやつやした緑の葉を四方八方へのばして、最後に花をつける。花は思いがけなく意外なものだったかもしれないが、まさに咲くべくして咲いたのだ。そればかりではない。そもそも緑の葉は花のためにあったので、花が咲かなければ骨折り損というものだ。

 

押えつけたり、克服したりすることのできないものは、力によって無理にねじ伏せるよりは、愛情や敬虔な感情の助けをかりて制御した方がよいということを示すのが、この小説の課題だったのだ。そうして、子供と獅子の姿にあらわされるこの美しい結末が、私を刺激してこの作品の完成に向わせたのだ。

対話

 

1827年1月29日

この短編小説にどんな題をつけたらよいか、ということであった。あれこれ題名をあげてみたがどうもしっくりこない。「どうかね」とゲーテはいった、「われわれは、これに『ノヴェレ』という題をつけようではないか。そもそもノヴェレとは、にわかに起こった前代未聞の出来事にほかならないからなのだ。これが本来の概念だ。

対話

 

1829年1月10日

(『ノヴェレ』は)私の存在のもっとも深いところから生れてきた。

書簡

 

トリノで狂気に陥る2ヶ月前、ニーチェは子供の頃に読んだ『ノヴェレ』の印象を書き残していた。

 

それは『獅子の短編』によるもので、奇妙なことに私がゲーテという存在を知った最初だった。それは一挙に「ゲーテ」という私の観念、私の嗜好をきめてしまった。澄みきった秋の味わい、物もなが熟れていき、 ―ひたすら心待ちに待っている気配、至上の霊的なものさえ漂うような十月の日ざし。金色で甘美で、やわらかな或るもの、決して(ゲーテがよく喩えられるような)大理石ではない、― そうしたものを私はゲーテ的と呼ぶのだ。

1888年11月

 

 

舞台

神聖ローマ帝国からナポレオンによる占領を経て、ヴィーン体制(1815)により成立したドイツの領邦国家の一つで、侯爵が統治する候国 Fürstentum。ここでは先代からドイツ的で理想的な国家運営がされている。

 

時期

秋はかなり深いものの、収穫が終わり狩がまだできる時期。おそらく10月頃で、ドイツ人はこの時期を「ゴールデンオクトーバー」と呼び、春に次いでこの季節の到来を喜ぶ。

 

10月

 

「にわかに起こった前代未聞の出来事」

現代の感覚からすると想像が困難な「機織りの音が騒音」と言われた時代には、町に起こった突然の火事、目の前に突然現われる猛獣は十分に「にわかに起こった前代未聞の出来事」となりうる。

 

しかし、本当の「前代未聞の出来事」は外的な事件でなく人間の内面に起こったことで、だからこそ「私の存在のもっとも深いところ」から生まれた。そのヒントになる記述が2カ所ある。

 

真昼どきになると、牧羊神が眠るので、その眠りをさまさないように、全自然が息をこらすのだと、古代の人たちは言ったが、その真昼どきの常として、あたり一帯はのどかに静まりかえっていた。(122)

 

「大いなる正午」、真昼どきは午前でも午後でもない特異的な瞬間である(これとよく似た瞬間が夏至の日になる一瞬)。世界のどこにも属さないこのような時間だから、外的な事件をきっかけとして人間のなかに存在不安ともいえる深淵が現われる。

 

侯爵は、さきほどからわが身を脅かしていた禍いの全貌が、今やっと呑みこめたような思いで、よりそうている奥方の方を見やった。(149)

 

この一節は事件を終息させるためにどういう方法をとるのか、という侯爵の問いに見世物興行主が子供に歌と詩で解決しますと実演し、皆が感動した後に出てくる。聡明な侯爵であれば、事件の報告がされた時点で全貌を把握できるのに、今やっと理解できたのはそれが外面的な危機ではなく内面に起こった存在不安の危機だったからである。

 

ライオンを宥めるために子供が歌う歌は、ダニエルの物語を下敷にしている。4連あり、第1連の単語を入れ替えながら意味を大きく変えず、新たにしていくのがまるで変奏曲を聴いているかのようである。翻訳も難しいに違いない。

 

第1連はダニエルの奇蹟を歌う。預言者はつつましい心で歌い、洞穴の獰猛なライオンを宥める。天使は預言者をはげます。ライオンはその歌に心を打たれ、おとなしくなる。

 

第2連は進行中の状況、子供がライオンを前にダニエルのようにつつましい心で歌う。ダニエルのときと違うのは、天使は子供の周りにいるが、何もしない「もう務めはおわったのです」。

 

第3連はライオンを宥めることができた愛の力を讃える。

 

第4連はつつましい心と歌の調べが猛獣をおとなしく従わせたと歌う。

 

預言者ダニエルは神と交流できた時代であったが、フランス革命後を生きる子供(現代人)には神からの関与はない。現代人はつつましい心と歌(詩と音楽)の力だけで難局を乗り切らなければならないし、そうすることができる、というのがゲーテの考えであった。ここで「前代未聞の出来事」の本質が何であったのか、侯爵がこの歌を聴いたあと、はじめて事件の全貌がのみこめたのかがわかってくる。

 

『ノヴェレ』の数年後、ついに完成された『ファウスト』の「神秘の合唱」には「書き得ぬことが、ここにて成就された」と歌われる。『ファウスト』に先だって『ノヴェレ』のなかで成就された。

 

ドイツ語の副読本として、朝日出版社から『ノヴェレ』が出ていた。

Johann Wolfgang von Goethe Novelle、木村直司編、Asahi Verlag、1984.

 

ドイツ語原書はAmazonの電子書籍が無料、Gutenberg projectにも収録されている。

 

YouTubeには朗読が複数アップロードされている。朗読は1時間弱、日本語訳はだいたい30分以内で読むことができる。

 


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  • 2017.05.07 Sunday
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