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権力者も餃子も泳ぐ

泳ぐ権力者  カール大帝と形象政治

ブレーデカンプ著、原研二訳、産業図書、2017年

Originale: Der schwimmende Souverän - Karl der Große und die Bildpolitik des Körpers, Horst Bredekamp, Verlag Klaus Wagenbach, 2014.

 

「権力者」と「泳ぐ」を結びつけるのは一見簡単ではなく奇異な感じさえ抱く。「政界を泳ぐ」といった比喩的な意味で使っているのならわかるけれど、読み始めてみると文字通り水のあるところで「泳ぐ」ことだった。権力者、ここではカール大帝、が泳ぐことの意味を問うことから始まる。

 

洋の東西を問わず権力者は体力勝負な面があり、たとえ瀕死の身であっても民衆の前に姿を現すことで権力基盤を維持することができたのは古代や中世ばかりではなく、現代も同じである。中世であれば、映画『エル・シッド』の後半で重傷を負ったエル・シッドが姿を見せることで民衆や兵士の不安(指導者がいなくなり、城壁に迫る敵に滅ぼされるのではないか)が解消され歓呼に変わるシーンや、瀕死の病なのに人民の面前に姿を現さなければならない東ローマ皇帝の例があった。

 

著者の目的は権力者の泳ぎパフォーマンスをから、カロリング朝という政治機構がまだ未発達の時代、カール大帝とアーヘン宮廷の側近が身体というメディアをどのように政治機構強化のために用いたかを明確にしていく。

 

アインハルトの『カール大帝伝』にもあるように、カール大帝は温泉と泳ぎが大好きだった。ブレーデカンプによるとアーヘンが宮廷所在地となったのも、単純に古くからの温泉があり、ローマ人が建設したクアパークがあったからで(そうだ、温泉へ行こう!)、それ以外の何の理由もなかったという。実際、現在の大聖堂のすぐ傍に温泉プールがあったことが記録資料や考古学的データからわかっていて、ここでカール大帝は息子たちや臣下と共に泳いだ。

 

主従が一緒に泳ぐことで分け隔てのない一体感が生まれ政治的緊密化に貢献する。同時にカール大帝の恵まれた体格(1m90cmあったという)と体力を誇示することで、臣下(皇帝になってからは諸国王も含む)とは違うことをアピールして自身をオーソライズした。

 

王(皇帝)の身体と政治の関係といえば、カントロヴィッチの『王の二つの身体』でも明らかにされていたが、政治だけでなく芸術の分野にも影響が及んでいる。

 

続く章ではコインとヘアスタイルが問題になる。カール大帝の出自であるカロリング家は、先行したメロヴィング王朝の宮宰であり、メロヴィング王が弱体化するなかで王権を得るまでに発展したが、メロヴィング王が「一度も切られたことのない」長髪であったのに対し、フランク族のカロリング王は意図的に短髪にした。ここで身体言語としての意味がカール大帝によって変えられていることに気付き、ある意味ロラン・バルトを1000年先取りしているともいえる。

 

スイスとイタリアの国境ミュスタイルにある聖ヨハネ修道院は、カール大帝が寄進して設立されたという伝承があり、実際聖堂をはじめいくつかの建築と聖堂の壁画はカロリング時代のものである(このため世界遺産に登録された)。聖堂の柱にカール大帝像と伝えられるストゥッコ像がある。制作年代は特定されていないが、カール大帝存命中に制作された可能性が有力視されている。カール大帝は典型的なフランク族の服装で(『カール大帝伝』には、式典以外は質素な服装を好んだと記述されている)、ヘアスタイルに着目すると、かなり短髪であることがわかる。

 

 

そうなると、同じ聖堂のカロリング時代の壁画や、後述の『ゴデスカルクの福音書』の「栄光の王」はどうして長髪なのだろうか。もっとも、短髪のキリストをみたことないけれども。

 

 

泳ぎとヘアスタイルについて面白いまとめ方をしている。

 

水の波と髪の波、髪のうねりは制御され、整形されねばならない。両要素は結合して、身体そのものを形象の担い手とその結合についての根源的表現が、さらに同種の生身の形象へと伝わるのである。

 

「泳ぎ」は水の支配であり、さらに動物界の支配に接続させている。自然を支配するというヨーロッパ独特の概念がここで明確になった。アーヘンにはカール大帝の命令で各地より集められたり、寄贈された動物たち(その中には、カリフ、ハールン=アル・ラシードが贈呈したアフリカ象も含まれていた)を飼育する区画が設けられ、さながら動物園のようであった。

 

その動物園の記録を著者は『ゴデスカルクの福音書』挿画に見出している。『ゴデスカルクの福音書』はカール大帝と妃により781年に発注され、783年に完成した。

 

 

781年から783年の間カール大帝の命により制作された著述家ゴデスカルクの福音書には、湯治場の絵が載っており、それにはこうした2羽の孔雀が、温泉を囲む柱に支えられた丸い園亭の装飾を形成している。その他の鳥や右下に描かれる鹿と協力してパラダイス気分を盛り上げていて、ヴァラフリドがアーヘンの野生園を眺めながら、ときに感じたのもまた、これである。

 

この挿画は、美術史家ならふつう「生命の泉」と説明する。生命の泉はヨーロッパでこの『ゴデスカルクの福音書』が初出であるが、東方のもっと古い例に遡り、例えばGarima Gospels(最近の分析では530-660年頃制作)にも見出される。著者は当然美術史家の解釈を知ったうえで、イメージのなかに別の解釈を読み込む。それが行き過ぎかどうかは読む人により判断が分かれるかもしれない。

 

「生命の泉」でもっとも有名なのは、カール大帝の宮廷で制作された『ソワッソンのサン・メダール福音書』の挿画である。本書では言及されていないが、上記の文脈に沿っていくと、特に泉の背景にある建造物がアーヘンのテルメ(温泉)の建築構造が反映されているかもしれない(ただし著者はこの写本に触れていない)。「生命の泉」は「若さの泉」、「青春の泉」とも呼ばれ、ヨーロッパでは人気の画題となり、何度か流行している。

 

 

「生命の泉」は洗礼と関わり、アーヘンの地で「泳ぎ」の形象と隣接することになる。

 

『ゴデスカルクの福音書』写本についてはさらに考察を進める。

カール大帝のカロリング王朝では、国家記号学が「流体」であり、その体系はカール大帝の泳ぐ身体から始まっている。水は記号学を構成し統治形態の構造要素となる。ここで写本に目を向けると、先の「生命の泉」に対向するページから、紫に染められた背景に金または(今日ではすっかり退色してしまったが)銀文字で聖書のテキストが記述される。

 

 

このイメージを著者は、

 

湯治場の図に続くゴデスカルクの福音書の挿画こそ、この流れの秀逸な展開である。……文字は金色と、今では黒く酸化した銀色で施され、赤金の地は、羊皮紙を泳ぐように浮かび上がる。

ゴデスカルクの福音書の完成は、本文と図版の校閲を担ったアーヘン宮廷派の劈頭を飾るのだが、この福音書は光と水に両極を定め、その両極の間で、いわばずぶ濡れの羊皮紙、色、メタリックな文字、光へと<海進>(トランスグレッシオン)する文字、これらの<流出>(エマナツィオン)が起こる。液体性格を具えた彩色写本の描写手段は、異なるメディアが互いに浸潤し合う卓越した例となるのだ。

 

これまでの伝統的な歴史学またはアナール派とも違い、ヴァールブルク派の手法を継承したものという。個人的な嗜好ともとられる泳ぎに着目して展開していくプロセスがとてもユニークで説得力がある。こじつけあるいは行き過ぎの面もあるかもしれないが、欠点としては小さい。

 


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  • 2019.03.23 Saturday
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コメント
新年おめでとうございます。
カール大帝についての記事、興味深く拝読させていただきました。念願であったアーヘン訪問昨年やっとかなえることができて、今ホームページ作成中ですので非常に勉強になりました。
カール大帝がアーヘンに宮廷を置いた理由の一つが温泉にあることは知っておりましたが、泳ぎが好き、とまでは思いいたりませんでした。『泳ぐ権力者』早速注文しました。
体格は具体的には知りませんでしたが、ウィーンで見た宝冠がとても大きかったので、肩まで抜けおちるのではないか、とおもった記憶があります。(掲げるだけで実際はかぶらなかったのかもしれません)
ところで短髪についてですが、ラヴェンナのサン・ヴィターレ聖堂のアプシスの若いひげの無いキリストは短髪にしか見えません。ラヴェンナの他の若いキリストはどれも長髪。もしかしてサン・ヴィターレは修復で毛先のほうが消えた?どうなのでしょう。恐縮ながらURL欄に写真を載せた私の該当ページを記させていただきました。
  • yk
  • 2019/01/03 11:02 AM
yk様、あけましておめでとうございます。
リンクを見ることができなかったのですが、家にある古い本(1923年刊、モノクロのコロタイプ写真)で見ると、短髪とまではいかないで首の後ろで束ねているような印象を受けました。短いといえば、ずっと後の祭壇画で薄毛のキリストの絵を見たことを思い出しました。

更に調べてみると、古代末期のカタコンベやコプト写本などに短髪で描かれた例があるようです。

モザイクは昨年末に初歩の講習を受け、ラヴェンナの制作方法がとても特殊だということを知りました。たぶん、修復はないように思いました。
  • びるね
  • 2019/01/03 11:42 PM
びるね様 
朝コメントおくらせていただきましたが、送り失敗したようですので、改めて送らせていただきます。前のが入っていましたら、これはお捨てください。コメント欄のykクリックで〈旅路はるか、ボローニャの旅 8日目ー3〉に飛ぶとおもうのですが。
念のためキリスト像拡大写真を加えました。長髪が肩に垂れているのではなく、衣の縁どり線にみえないでしょうか?
この旅の時、びるね様が以前触れられていた 水を飲む二羽の鳥 のモザイク買い求めました。
  • yk
  • 2019/01/04 5:20 PM
すみません。やっぱり見れませんでした。
  • びるね
  • 2019/01/04 7:53 PM
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