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木菟


野生の梟を一度だけ見たことがある。

近所の田圃には毎年ホタルが飛び交うようなど田舎に住んでいたときで夜のことだった。道の向いの電柱に梟が一羽とまっていた。大きさは40センチくらい、しばらくじっとしていたけれど羽根をふわりと広げて飛んで行ってしまった。大きな体なのに全く音もたてず飛ぶのには驚いた。


ギリシア時代はアテネの鳥として梟は特権的な位置を占めていた。アテネが智慧の神としての面もあったので、梟も以後智慧のある鳥とされるようになった。


ギリシアの梟、グリプトテーク


梟はロマネスク時代の彫刻や写本にもときどき出てくる。


それを理解するには『動物寓意譚』を開きさえすればよい。われわれはそこで、夜しか飛ばない梟(nicticorax)は、光よりも闇を好むユダヤ人の象徴であることを知らされる。したがって、ユダヤ人がすべての人びとの軽蔑の対象であるのと同じように、梟はすべての鳥の愚弄の対象なのである。ここでの象徴的意味合いは明瞭である。

エミール・マール、田中仁彦他訳、ロマネスクの図像学9章(下巻157ページ)、1996年


『動物寓意譚』(Bestiarium)は12〜13世紀頃に成立した動物誌で、当時(著者が)入手できた様々な文献を参照して、動物の生態とキリスト教的寓意を記述している。直後にはアルベルトウス・マグヌスの『動物誌』やフリードリッヒ2世の『鷹狩論』など自然観察を重視した著作が出現し、当面はこの方向が主流となる。


『動物寓意譚』では2種類の梟が記載され(ここでは、MS. Bodley 764の英訳 Richard Barber, Bestiary, 1992をもとにしている)、一つは Owl (Noctua)*、もう一つは Screech owl (Bubo)**としている。


*ラテン語ではUlucus(m), Ulula(f), Noctua(m)

**『動物寓意譚』最初の英訳、T. H. Whiteの The book of beasts (1954) ではEagle owlと記載。


Owlの寓意的な意味は、ユダヤ人を象徴していると説明している。


Owl (Noctua), MS. Bodley 764, 73r


一方の Screech owl は、owl よりも大型で金切り声のような不快な鳴き声を出し、墓場に住んでいる。寓意的な解釈では罪を象徴し、他の鳥が Screech owl を見つけると、罪を許さないために猛烈な勢いで突いて攻撃をする、と説明している。


Screech owl (Bubo), MS. Bodley 764, 73v


柱頭彫刻でよく二羽の鳥がつつく場面を見かけたが、罪への攻撃が由来しているのかもしれない。




『動物寓意譚』の著者が参考にしたのはプリニウスの『博物誌』、イシドルスの『語源について』と共にギリシアで2世紀頃に成立した『フィシオロゴス』(Physiologus)も含まれている。『フィシオロゴス』では梟について、


フィシオログスはフクロウについて、それが真昼よりも夜を好むと語っている。わがイエス・キリストも、私たち、くらやみと死の陰に座していた私たちを愛された。

フィシオロゴス、ゼール、梶田昭訳、16ページ、1994年


このように『フィシオロゴス』と『動物寓意譚』で評価が逆転している。

ロマネスク時代の図像象徴体系の中ではこのように正反対の意味を持つことはよくあった(マルコの象徴ライオンも緩慢の象徴とされる)。


知人からロマネスク教会にありそうな梟(木菟)をヨーロッパに行く機会があったら探してくれ、と言われ、これまで見た中から拾い出してみた。知人によると、もともと梟のロマネスク彫刻はあまりないそうである。その中で最も有名なのは、オールネィの梟だと思う。


サン・ピエール教会南扉口ヴシュール、オールネィ


西扉口の彫刻は「ロマネスクで最もグロテスクな扉口」と言われ、中心のAgnus Deiから遠ざかるにつれて、混沌とした世界になっていく。梟はその最外周のヴシュール(ここは怪物や典礼を茶化す場面が彫られている)に怪物の中に混じっている。


タルモンのサント・ラドゴント教会では軒下のモディリオンの中に梟がいた。


モディリオン、サント・ラドゴンド教会、タルモン・シュル・ジロンド


軒下という位置にあるモディリオンも「罪」と関係する。


『動物寓意譚』では梟を大きさだけで区別して、木菟の耳(羽角)については何も記述していないが、彫刻では明らかに「耳」のある木菟がいる。今までにみたのは二つだけで数はとても少ない。一つはオーギュスタン美術館にあり、右下の説明書きにHibouと記されている。左右から鳥に突かれているのは、前掲のエミール・マールによれば「罪」の木菟を愚弄していることになる。


柱頭彫刻、オーギュスタン美術館


もう一つは、コマンジュの丘の上に建つ大聖堂の廻廊にある柱頭彫刻で裏山に住んでいそうな木菟が一羽で柱頭の一面を占めている。


柱頭彫刻、ノートル・ダム大聖堂廻廊、サン・ベルトラン・ド・コマンジュ


以上の梟や木菟にまつわるマイナスのイメージと違うシンボリズムがあるのではないかと思うのが、次の梟である。


Haupt apsis, Abtei Maria Laach


13世紀のイスラム風な天蓋 Baldacin の柱に少し隠れてしまっているが、アプシス中央の左右の柱頭に梟がいる。聖堂内(クリプトやアトリウムを除く)の柱頭彫刻は様式化された植物文様が多く、その他に鷲とこの梟がいるだけで、フランスの柱頭彫刻のような華やかさはない。アプシスの中心という重要な位置の梟は果たして「罪」になるのだろうか。


聖人の彫刻にボードレールの賢者のような梟に見える彫刻がある。共通しているのは頭でっかちな3頭身の丸っこさ。


Abbadia Sant Marti


まるで異国の神々のように、

ならんで座っている。瞑想中なのだ。


Saint Genis des Fontaines, fr.wikipedia



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