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龍安寺石庭の謎

龍安寺石庭の謎(明石散人、講談社文庫、1996年)


龍安寺の石庭は作庭者、成立時期、作庭思想などが全て謎で、古くから解明の試みがされている。本書は推理小説仕立で解明を試みている。



先に結論をいうと、著者の文献批判的考察は批判歴史学の手法に近く素晴らしい結論を出しているが、こうした内容に不可欠なフィールド調査が十分でないため、石庭の配置については説得力に欠けている。


龍安寺に関する記録は、一次資料(例えば作庭者による設計図や設計概念を伝える文書)が全くといっていいほどなく、同時代人の記録がほとんどであり、それらを信憑性を考慮に入れながら丹念に比較検証し、多くは納得できる結論を導いている。


著者の仮説は龍安寺開祖義天の墓と石庭の石が(概念上の)南北軸に一致し、他の石がそれに直交して春分や秋分点に一致して配置されているというものである(次の図、ここでは方丈から見た状態なので南北を逆にしている)。


石の配置図(著者の仮説)


ここで著者の仮説の検証をGoogle mapの航空写真を使って行うが、人工衛星と位置データベースを使って作成しているので精度は高い(国土地理院の空中写真と一致する)。幸い京都地区は有名な観光地のため高解像度の航空写真を見ることができる。


本書で使っている地図は『龍安寺』という解説書で実測と記載されている。


全体図(164ページ)



著者は庭が正確に南面(ここでは南北軸に一致すること)するのはおかしいとしているが、航空写真を見ると石庭だけでなく伽藍全体が南面していないがわかる。また実測図では禎子内親王稜が正確に南面しているが、航空写真から東に傾いていることがわかる。ここでの軸は、


現在の庭が正確に南面しているとするなら、この石段の向きはおかしいでしょう。僕はね、天皇陵とこの石段の傾きこそが南北を表していると思いますよ。もっとも完全に憶測ですけどね。(167ページ)


もっとも著者は、このずれについて大きな問題でないとする。


文献に掲載されている方位なんてどうでも良いんです。例え僕の推理が間違っていたとしても、それは(細川)勝元が方位を正しく認識していなかったことの証明になるでしょう。でもね僕は勝元はきっと間違えなかったと思いますよ。(166ページ)


どうでも良いとする理由は、現在の石庭は当初の石庭よりも東に傾いていると考えているからで、絶対方位を使用せずに仮説検証を進める(その方針は問題ない)。従ってこれ以降、相対方位(天皇陵と勅使門石段を南北軸とする)を使っている。


龍安寺境内(Google航空写真)


そこで、勅使門の石段と同じく線を引いてみる。


勅使門に通じる石段の角度と同じくらいに引いてみてください(Aa)




線を引いてみると勅使門の石段は南北軸に対して4.0°傾いていることがわかる。しかし天皇陵は更に東に16°傾いている。石庭のほうはは方丈側の縁を基準にすると5.1°傾き、石段とも天皇陵のどれにも直交せず一致しないことになる。


次に線Aaと直交する線Ddを引くが、著者の主張するようには3群の石を通らないのである。


4.0°傾いた直交軸と石の配置(カタカナ記号は本書で使っているもの)


しかもAaを北方向に延長しても、義天の墓に重ならない。仮に石キと義天の墓を結ぶ線を中心にすると、南北軸から20.0°(Aa軸から16.0°)ずれ、石ウ、石エ、石群シソタ、石群クコは通らなくなってしまう。東西線は石を避けているし、建築のどれにも合わない。


南北軸の傾きを20°にした場合(石ウ・エは線上にあるが他は乗らない)


「実測図」をもとにした配置図もよく見ると、線Aaとオの位置で直交する水平線は石の中心を通らず微妙にずれている(次図)。誤差といってしまえばそれまでだけれども、ケプラーが惑星の軌道の仮説を立てたとき、天動説でも数度の誤差で説明できるところまでいくモデルをつくった。当時の測定精度なら十分許容される誤差であるが、ケプラーはそれを捨てて天動説を採用した、という例もある。室町時代に正確な測量が実現できたかについてはそれが可能だったとしている。正確な方位が確定可能だったならば、このずれも起こらないのではないかと思える。


本書に掲載された石の配置と書院、季節の関係



古い建築、特に創建後改築など変遷を経た場合フィールド調査は不可欠であるが、著者は


何よりも自分の推理を優先させますからね(166ページ)


という態度で一貫しているため、位置に関する考察では以上のような矛盾が起こるように思える。


季節の方位により(ここでは)石の配置を決定する方法は、西洋ではストーンヘンジでも実行され、中世の教会でも取り入れられている。このとき重要なのは太陽光線の方向と影であり、この石庭でも特定の日時にどう見えるか興味があるが、本書ばかりでなくどの本でも触れていない。


結局謎は謎のままとどまる。


本書を読んだ感想を載せているweblogはいくつもあるけれど、このあたりの疑問を呈しているものはない。せっかく本書が定説を疑うことによって現れる事実の実例を示しているのに、そこから学んでない。


小説仕立てにしたのは中途半端、『薔薇の名前』と違って映画になっても面白くないように思える。




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  • 2019.06.28 Friday
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コメント
本日、学校では京都への修学旅行に向けての集会。子ども達が調べてきた資料の中に、石庭で有名な龍安寺がありました。15個の岩があるのに、どこから見てみても14個しか見えない不思議な石庭。なぜこんなつくりなのか?15個の岩の意味は?諸説あるそうですが・・・。
これ、「国生み神話の島々」を表しているのではないか、とふと思い当たりました。
つまり、大八島の国(淡路島・四国・隠岐の島・九州・壱岐・対馬・佐渡島・本州)、小六島(吉備児島・小豆島・大島・女島・知訶島・両児島)と、最初に創った「オノゴロ島」です。これで、あわせて15島です。
しかし、神話には記載されているのに、場所がはっきりしない、「オノゴロ島」は、まさに存在しているのかどうなのかわからない島。古事記には15島と書いてあるのに、どう調べても14島しか判らない。
このことを、この石庭が表現しているのではないかと思ったのですが、どうでしょうか?
淤能碁呂太郎様
コメントありがとうございます。
この記事を書く時に様々な説を読みましたが、古事記と関連させたものはなかったと思います。

神社のなかにお寺がある(その逆も)時代だったので、発想の大元に古事記があった可能性はありかもしれません。

そうなると、どのように禅と結びついていくのか、また違った展開になりそうです。
  • びるね
  • 2018/11/04 11:21 PM
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