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ハイスターバッハの怪談話


先日の「粗い石」に登場したハイスターバッハはボンから約7kmほどライン川を遡った対岸の少し登った谷中にある。


右下の青○がKloster Heisterbach、Google mapから


ここにシトー会(ドイツ語ではZisterzienser)がクレルヴォーの娘修道院を設立したのは1189年(最初は少し離れた場所、1193年に現在の場所へ移転)、シトー会としてはかなり遅いがドイツでは早いほうである。聖堂は1202年に起工、献堂は1237年であった(以上「ドイツ中世美術1」454ページから)。ラインラント地方がフランス領になり、修道院が世俗化されたときに聖堂は破壊され、現在はアプシス部分のみが廃墟としてのこっている。


Kloster、右に聖堂の廃墟


ハイスターバッハの聖堂


聖堂プラン、ドイツでは珍しい放射状祭室をもつ


聖堂が建てられていた頃、修練長(見習修練士の教育を任されていた)を勤めていたのがケルン出身のカエサリウス(1180頃〜1240)で、教育目的に『奇跡に関する対話』 Dialogus Miraculorum を執筆した(同じ時期にプリュム修道院からハイスターバッハに移ったカエサリウスとは別人)。


黒のトイフェル』の中でヤスパーも言及した『奇跡に関する対話』は746章の大著で、シトー会を越えて広く読まれた。意外なところで興味を持たれ、同名異人のカエサリウスの著作『プリュム修道院所領明細帳』と共に近代最初の校訂版を編集したのはライプニッツであった。


シトー会と縁の深いヘルマン・ヘッセもこの説話がとても気に入っていて、自らラテン語をドイツ語に翻訳している。ヘッセ訳を更に日本語に訳し、24編の説話を掲載した本が『ヘッセの中世説話集』(林部圭一訳、白水社、1994年)として出版されている。


全訳は出ていないが、ヘッセ訳の他に阿部謹也の『西洋中世の罪と罰 亡霊の社会史』(弘文堂、1989年)、杉崎泰一郎の『12世紀の修道院と社会』(原書房、1999年)、ル・ゴフの『煉獄の誕生』(渡辺香根夫/内田洋訳、法政大学出版会、1988年などに一部掲載されている。


このうち『奇跡に関する対話』最終巻(12巻)は「死者たちのうける報いについて」と題して31話の亡霊譚を収録し、ヘッセの説話集ではテューリンゲン方伯ルートヴィヒの幽霊に会った話がとりあげられている。


ルートヴィヒ方伯(3世)は1190年に十字軍へ参加し亡くなった。息子ヘルマン(1世、「芸術の保護者」、宮廷にはヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハ、ヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデが滞在し、「ヴァルトブルクの歌合戦が行われた)が方伯を継承、1217年に亡くなると弟のルートヴィヒが方伯(4世)となった。ルートヴィヒ4世は1221年にエリーザベトと結婚した。「聖女エリーザベト」であり、後に『タンホイザー』のヒロインのモデルとなった。


後の聖女と結婚したおかげで聖人に準ずる扱いを受けたが、カエサリウスによると、ルートヴィヒ4世は「じつに立派な人間味のある男だった、というか、ほかの暴君に比べれば少しはましというほうが当たっているかもしれない」。カエサリウスは奇跡を本気に信じていながら、冷静に人を見て判断している。


ルートヴィヒ4世があるとき「わが父君の魂に関して確かな事実を告げることができる者には、りっぱな家を進ぜよう」と布告を出した。ある貧しい騎士が布告を知り、魔術に通じた聖職者の兄を説得、悪魔を呼び出してルートヴィヒ3世から話を聞くよう頼んだ。悪魔は聖職者を地獄の門へ連れて行き、そこにあった穴の中にラッパを突っ込んで鳴らすとやがて硫黄の炎と共に方伯が現れた。


方伯は「むしろ生まれなけりゃよかったと思っている」と前世の所行を後悔していた。そして「もしも息子たちが、わしが不当にもわが物にした、これこれの教会のこれこれの所領を返したり、当の教会に遺贈したりすれば、わしの魂の苦しみも大いにやわらげられるのだが」と息子に伝えるよう頼んで、また穴の底に沈んで行った。


ルートヴィヒ4世は聖職者からこの話を伝えられたが教会の所領は返さなかった。聖職者はこの一件ですっかりやつれ、褒美も受けずにシトー会に入ってしまったという。


若い頃は歌に明け暮れたトルバドゥール、現世に飽きた曲芸師、聖職者として頂点に立ちながらもそれに疑問を感じて一修道士となった司教など、シトー会に入った理由は様々であるが、カエサリウスはシトー会に伝わる様々な奇跡に感激して入ったという。


悪魔の手におちた騎士、サント・フォワ修道院、コンク


ヨーロッパの幽霊は『ハムレット』でのように、生者にメッセージを伝えることを目的に出ることが多く、怨念を晴らすために出る日本の幽霊と違っている。


キリスト教の教義では幽霊が存在する余地はないが、根強い土俗信仰を根絶させるには至らなかったため、逆に教義から説明する必要が出た。その一つが煉獄であり、既にボニファティウスの書簡やヴァラフリート・ストラボの著作にも見られる。カエサリウスの著作は煉獄の概念が明確となった直後に書かれたもので、後のダンテに繋がっていくものである。



ヘッセは『奇跡についての対話』について、「この本は、本来ならわたしたちには退屈さの化けものと言えるでしょう。しかしそれが、まったく逆なのです。これは陽気なおしゃべり好きの口から出たもの、作り話の好きな孤独な人間がつくったもの、詩人の作品であり、動揺の激しかった一時代を写す鏡であり、同時に、ひとりの人柄の良い、純粋な人間を写す鏡なのです」と賛辞を惜しまない。『黄金伝説』が全訳されているのだから、『奇跡についての対話』も全訳が出てほしい。



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  • 2019.03.23 Saturday
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コメント
びるね様
『奇跡についての対話』1部―6部まで翻訳して、Scribdに公開しましたので、お暇なときにご覧になってください
  • konin
  • 2019/02/08 9:18 AM
konin様
はじめまして、コメントと素晴らしいお知らせありがとうございます。
読みたかったのにごく一部の翻訳しか出ていない作品だったので、とてもありがたいです。
早速読み始めています。
  • びるね
  • 2019/02/09 2:03 PM
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