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作られるものと生まれるもの


『牧神の午後への前奏曲』の自筆譜はパリ国立図書館にあり、つい最近ファクシミリ版が出版された。少々高かったけれども、ルドンとも関係があるからと、購入した。



自筆譜表紙


自筆譜はかなり大判の五線紙を使用している。本のサイズは43×32cm。楽譜はそれより一回り小さく、オリジナルの判型までは再現していない。


見開き


冒頭部分


この機会に最近評判の高いインマゼールの演奏(CD)を聴いてみることにした。HMVのレビューを引用すると、


今のオーケストラでは、実は1900年前後の作曲家たちが念頭に置いていたのとはまったく違う音を出していることになるのです。それでは、音色表現の機微にとりわけ強いこだわりを見せ、全く斬新なオーケストラ語法を模索しつづけたドビュッシーはいったい、どんな響きを思い描いていたのか・・・。このことは、当時の楽器と演奏習慣を徹底的に調べ、かつ音楽性豊かに再現できる演奏団体なくしては、決してわからないことだったのです。


演奏にあたって、初演当時の楽器(オリジナルまたはコピー)と奏法を用いたのが特徴である。



演奏を聴くと、そこには音楽だけがある、というのが第一の印象だった。印象派的で楽譜の指示を正確かつニュアンス豊かに技術のあるオーケストラが再現した極めてレベルの高い演奏である。


しかし音楽だけがある一方、そこからは生きた牧神やニンフがいなくなってしまった。


対極にあるのが、チェリビダッケがミュンヘン・フィルを指揮した演奏である。ドビュッシー自身がこの作品について、次のように表現している。


カーヴした旋律線に溢れ、揺れ動く、揺りかごのような動きの音楽


この揺れ動きがインマゼールの指揮に感じられない。


チェリビダッケの指揮では、最初のフルートのソロから(録音されて再生された音楽であるにも関わらず)「生成する音」を体験でき、音楽のむこうに牧神やニンフがまさに「生きている」ことを確信できる。


牧神とニンフ、グリプトテーク


先日読んだ『出西窯』から、「つくりもの」と「生まれるもの」についての一節、


つくりものと生まれるものがあるんだ。古民藝、柳(宗悦)が喜ぶものというのは、みな生まれたものなのだ。

出西窯を指導した濱田庄司の言葉、100ページ


民藝だけでなく、芸術作品でも根本は同じであるように思える。インマーゼルの演奏は「つくりもの」、チェリビダッケの演奏は「生まれるもの」、この違いはとてつもなく大きい。



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