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『魔弾の射手』でドイツ「国民オペラ」らしいと思ったのは、登場人物のなかに森林監督官という役職の配役があることだった。ヴェネツィア共和国に「海の監督官」があったのと同様で、森が生活の多くを占めている。

 

 

著者はアイフェルのヒュンメルという所で森林管理官として管理している。場所を調べてみると、ミュンスターアイフェルの南10kmにある村だった。

 

ミュンスターアイフェルの森

 

ヨーロッパの森はブナのイメージ、それとは別に針葉樹が出すテルペンについて興味深い。

 

針葉樹はテルペンを発散する。テウペンとは本来、病気や寄生虫から身を守るためにつくられる物質なのだが、その分子が待機に混ざると湿気と結びついて凝縮する。その結果、普通の陸地の雲よりも2倍ほど密な雲ができる。この雲には二つの利点があることが知られている。まず、雨が降りやすくなること。そして日光の5パーセントを反射すること。おかげで、その地域の気温が下がる。涼しくて湿っぽい−–針葉樹が好む環境のできあがりだ。この仕組みが地球温暖化のブレーキとなっている、という説もある。

ポンプとしての森

 

森の葉っぱの数くらい知らないことは多い。

 

アイフェルの森

 

樹木は葉っぱを虫にかじられると周囲に警報を伝える、という一文があった。ちょうど植物で同様の機構を可視化したという記事が出ていた(National Geographic 9月14日版)。


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2巻本

 


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蜜蜂と遠雷

いつもなら読むこともないジャンルで、受賞作(本屋大賞受賞というだけで読む気がなくなるのはなぜ?)、しかも今頃読んだのは、たまたま目の前にあったから。

 

人気作で、ネット上では大絶賛が多く、「音楽がきこえてくるよう」という感想も多い。本当?

 

 

登場人物たちは、いかにもきちんとキャラクター設定しました感が強い。作品のなかで山場の作り方や流れもマニュアル的。

 

「信じられないようなフォルテッシモ」でピアニッシモを聴かせる発想、「神様から愛された」のに、誰一人として神様に返そうとしない、そんな演奏をバッハやグールドが聴いたら怒りそう。「遠雷」が暗示する深さや深淵が全くない。

 

作者は「音楽を言葉で表現する」というテーマに挑戦したと(TV番組のインタビューで)語っているが、後半に進むにつれて音楽の記述が平凡になっていき、熱が入らなくなっている。コンクールだったら一次予選で敗退するレベル、この500ページの大作よりも短編の『ノヴェレ』や『青い花』のほうがずっと音楽そのものが感じられた。例えばこんな文章、

 

ショパンのバルカローレ ほとんどあらゆる状態と生き方がある至福な瞬間を持つものだ。……この至福な瞬間をショパンは舟歌のなかで見事に鳴り響かせたので、神々すらもそれを聴けば、長い夏の夜にゴンドラのなかに身を横たえたくなるであろう

漂泊者とその影 160

 

演奏中に宇宙を漂う場面は、ラッセンの絵(宇宙空間を泳ぐイルカ)を思い出した。異次元空間が出てくるのだからこの小説はライトノベルに分類される。実際にコンクールで優勝経験のある人が小説を書いたら、まるで違ったものになると思える。

 

架空の作品『春と修羅』、ヴァントゥイユのパロディ?

 

亡くなられた末吉先生がパリで審査員をつとめた音楽コンクールでの苦労を語られたことがあった。時差ぼけのまま、一日中同じ曲目で同じような演奏を聴かなければならないので眠くて仕方ないのに、眠ったら演奏者から「先生あのとき眠ってましたね」と一生言われるから眠れないのがとにかく辛いということだった。

 

超人的努力で聴き通した審査員も表彰したほうがよい。

 

『4分33秒』を課題曲にするのがいいかも。というより、作者の考えに最も近い作品に思える。


  ・・        ・

こちらはケージ、ページのごく一部。

 


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↑このタイトル気に入っている。

 


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ヘルムート・シュミットの『タイポグラフィ・トゥディ』、トゥディといっても刊行は40年近く前であるけれども、タイポグラフィの分野ではとても知られている。なにより古びていない。

 

その中に先日の Fünf Quadraten auf Abenteuer も出ていて、古典的な作品とされている。本文の紹介には、

 

旅をする5ツの正方形。

5ツのシセロのサイズの黒い正方形が32枚の白紙上を旅行する。

リズミカルな明暗度とバランスの探索から映像的楽しさが生まれている。

 

同書にはジョン・ケージの作品が2ページ掲載されている。マラルメが「偶然を排して」いるのに、ケージは「全くの偶然」で、正反対なのにどこか似ているのがとてもおもしろい。これはきっと偶然ではない気がする。

 

下ページには数十個のドットがあるけ画像が小さくてわからない


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偶然見つけた最後の一冊。

 

 

芸術言語の対局にあるのが情報言語で、そこでは単なる記号としてふるまうに過ぎない。その記号でしかなかった■が、デザインひとつで生きたものとなり、芸術言語になりうる。

 

 

クルト・ハウエルトの教え子だったヘルムート・シュミットが2017年に再版を刊行した。

シュミットはポカリスエットのデザインで知られるが、今年の7月に惜しくも亡くなられた。


オルガン

少し前に取り寄せ注文したバルバストルのオルガン作品集が届いた。

フランスのオルガン作品というと、バロックの時代ならクープランのオルガンミサがあり、20世紀に入るとセヴラックも作曲していて、ドイツとは違った伝統にある。もしかしたら19世紀後半からは、ドイツよりもフランスのほうが活発だったかもしれない。

 

 

 

今の季節にあわない『ノエル』は、冒頭の『プレリュードとフーガ』からバッハとは違う文化を感じる。

 

この作品集のもう一つの特徴は、演奏に使用しているサン・フェリックス教会のオルガンにある。セヴラックが生まれた村の、オルガニストだった母親と共に親しく聴き弾いたオルガンは革命直前に完成した。バルバストルと同じ時期でしかもセヴラックの原体験といってもいいオルガンの音を聴けるだけでも貴重なCDである。

 

 

 

田舎の教会にしては立派な、といっても教会自体が田舎にしては立派で、オルガンは身廊側西壁のギャラリー階いっぱいを占めている。階下の通路を上がったところに演奏台があり、セヴラックとビニェスが連弾している写真も残っている。

 

 

 

教会を訪れたのは10年ほど前でセヴラック協会初のツアーのときだった。村の西端にある教会に入り見学していると、オルガンに話題がいき、管理人が許可したので同行された末吉保雄先生が弾くことになった。

 

前にマルムーティエのジルバーマン・オルガンで音を出すという経験をしていたので、しっかりした音を出すのは意外と難しいことは知っていた。それだけに突然ふられてしまって大丈夫なのかなと少し心配もあったが、末吉先生の演奏は何の不安もない、前からこのオルガンを弾いていると思えてしまう演奏だった。

 

バルバストルのCDで記事を書こうと思っていた矢先、末吉先生が亡くなられたと連絡を頂いた。

 

ご冥福をお祈り致します。

 

 

 


北南

北南の風が吹いているようだな、ヴォツェック。

はい。大尉殿、北南の風です。

 

アルプスの北と南で、吹く風は違うらしい。

 

びよー

 

そよそよ

 


みつけた図録

ほどよい暑さの吉祥寺に行き、開業12年目になる古書店で町田市立国際版画美術館の『版画とボードレール』展(1994年)の図録をみつけた。10年前に亡くなられた気谷誠さんの企画による。

 

 

 

今では滅多にないハードカバーの図録、デザインも素晴らしい。バブルが弾けたものの余力がまだあった当時、図録も手間暇をかけた造本と内容のものが多かった。

 

 

 

当時の展示はみなかったけれども、このときルドン、ロダン、ルオーの『悪の華』が展示されていた。この3作品は「他のどの挿絵の追随をゆるさない三大『悪の華』」なのだという。また、2005年に汐留で開催されたルオー展で再度展示され、そのときにはみることができた。

 

ルドンの『悪の華』は1890年版。


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