シューマンの『ゲノフェーファ』


東京室内歌劇場の定期公演『ゲノフェーファ』2日目の舞台をみた。素晴らしい公演だった。上演に際して様々な制約がある中で、シューマンが作品で伝えたかったことは全て現れていたように思える。


会場


この21世紀の極東の地で会場は(ヨハネの黙示録のように表現するならば)シューマンの霊に満たされていた。


『夜』、中央に霊化したシューマン、フォンフロワド図書室


序曲冒頭の不協和音、第一幕の「私に命じられた役回りは、奥方の見守り役だったとは!」と歌うゴローの背後で不吉に響く、既にシューマンの世界である。


序曲


序曲が終わると、対サラセン戦役に出征する宮中伯の軍勢がミサを捧げる一方、舞台の隅でゲノフェーファが侍女と遊戯に興じる対照的な場面である。若く血気盛んなゴローは、本当なら参戦して活躍したい。けれども宮中伯たっての願いで妃を守護するため留まることになった(ここで冒頭の不協和音が出る)。若い騎士が主人の不在中に奥方の相手を勤める習慣はヴェネツィア貴族の間にはあった(塩野七生の「海の都の物語」のなかで紹介されている)。ヴェネツィアでは習慣として続いていても、武骨なゲルマンの騎士には向かなそうな習慣である。


宮中伯以下軍勢が舞台を去る演出も優れていた。会戦場所がヴイエ(カール・マルテルがサラセン軍を破った場所)であれば、ライン河を遡りシュトラスブルクを経由して行軍するから船を使う筈である。また、列を組んで行進して退場するよりは物語の雰囲気に合っている。


その後は、中世の人であれば「悪魔が入り込んだ」と言うだろうような展開、ゴローの中ではプシコマキア(魂の闘い)が始まり、一部始終を音楽は恐ろしいまでに表すが、常にゴローを見守る優しさがある。


第二幕、ドイツ人なら誰でも知っている童謡の二重唱、その単純なメロディーから抉り出される二人の心情。就寝前の祈りの歌ではまだゲノフェーファはその存在に覚醒していない。


第三幕、シュトラスブルクで戦傷を治療するため滞在中の宮中伯は何も知らない。


登場人物も見たかもしれない、シュトラスブルク、8世紀


この場面の鏡とその後に続く地獄の業火の演出も素晴らしかった。鏡に投影された音楽もゲーテの作品に描かれた優美さ(『ファウスト』のヘレナの場面や『メールヒェン』の百合姫と侍女たちの歌)の中で容赦なく進行する恐ろしい出来事。「芸術の天使は恐ろしい」(『ドゥイノの悲歌』)地獄の業火も、モワサックの業火そっくりだった。


第四幕、背景の茨は場面が森であることとキリストの受難のような試練を予告する。ここでシューマンは民話的なもの、人間心理、宗教的なものを統合しようとし、音楽もクライマックスになっていく。


ドイツ人なら誰でも知っているお話だから、台本に敢えて書かれていないものもある。この幕で演技のみの不思議な配役が登場していたのがそれである。古伝説では、森に追放されたゲノフェーファを鹿が助け、聖母と天使が顕現したと伝えている。森の精 Waldgeist のようにも見えたが鹿(森の象徴であり、ケルトの女神としてのゲノフェーファを守護する)と天使(キリスト教のもとで聖女を守護する)を合体した、ゲノフェーファを庇護する(というより見守る)まさにグリーンマンのような存在である。


天使と鹿、新旧の護り手


ジークフリート宮中伯(こちらは実在)が先代より引き継いだマリア・ラーハの修道院の入り口には、そのグリーンマンの彫刻がある。ザムソンマイスターの作とされ、聖堂と信者を見守る異教の名残を湛える天使的な存在で、ゲノフェーファ伝説の最初の記録がこの修道院で作成される直前に完成した。


グリーンマン(Waldgeist)、マリア・ラーハ(13世紀)


続く場面は『聖アントニウスの誘惑』なみの試練の場面、『魔笛』では二人で試練を受けることができたが、ゲノフェーファは一人で向かわなくてはならない。ケルトの隠修士のような厳しさである。最後に恩寵の徴が現れた。古伝説では処刑は免れたものの、数年間森の中で厳しい生活をしなければならない。修道制に発展する隠修制は原始キリスト教時代にまずエジプトの砂漠の中で始まったが、ケルトでは砂漠と同格ということで森が選ばれた。森は怪物が棲み何が起こるかわからない恐ろしい所とされていた。克服されるのは伐採が組織的になる12世紀以降である。


このオペラは台本に直接出てこない「森」(これがドイツでの上演だったら「森」について暗黙の了解がなされている)をどう表現するかで成否がわかれ、今回の公演ではそれに成功したと言える。


『ゲノフェーファ』はドイツロマン派唯一のメルヒェン・オペラである。ここでいう「メルヒェン」は、子供向けという名目で安易に作られたお話でも、フンパーディンクのオペラでもない。ゲーテの『メールヒェン』のなかに実現されたような魂の本質に関わることである。シューマンはゲーテがまだ生きていた時代に生まれ、ドイツロマン主義全盛の時代を生きた。読書家であったし詩人であった(墓碑銘には、Große Tondichterと刻まれている)からメルヒェンの本質を理解し、『ゲノフェーファ』のなかにその全てを注ぎ込んだ。


音楽と台本は、通俗的エンターテインメントとしての盛り上がりはない(たぶん物足りないという感想が出るかもしれないが、ヴァーグナーばりの盛り上がりをしてしまうと、物語を壊してしまい、良くて人間心理劇、悪くすると特番サスペンスドラマになってしまう)。


演出はとてもシンプルな舞台で人物の動きも少ないが、、演出家の意図に不明な点はなかった。ただし、意図とはかなり違った受け取り方をしている。


この上演をみて気がついたことがあった。これまで伝説の中に男性側の交代劇(ケルト→ゲルマン、旧石器→新石器)をみてきたが、オペラの冒頭の遊戯するゲノフェーファと終幕の森の精をみて、かつてのケルトの女神ゲノフェーファが神性を忘れ安穏の中(遊戯する)にいるが、試練の後キリスト教の聖女として再生する(かつての女神の属性だった森の精は最初のうち処刑されようとするゲノフェーファを庇護しようとするが、最後にゲノフェーファは十字架=新しい聖性を選ぶ)再生劇であり、それは存在を忘れ眠りの中にあるゲノフェーファが自身の存在に覚醒し自立する劇でもある。


音楽だけでなく劇の中にも重層的に様々な要素が組み込まれているので、演奏も演出も揃わないと成功しない。


オペラの中の宗教的感情を理解することも日本では難しい。幕開けのコラールと幕切れの賛歌は状況説明の単なる背景ではない。ヘルダーリンは中世の宗教を「荒々しくも偉大」と言い、カトリックに否定的だったゲーテもシュパイアー大聖堂を訪れ「真の信仰で建てられている」と感じたことはドイツロマン派にも受け継がれた。シューマンもオペラの中にこうした意味で宗教性を(お飾りではなく)織り込んだ。『ゲノフェーファ』がメルヒェンオペラとして人間心理だけでなく魂の変化を扱う以上、宗教は避けて通ることができない。『マイスタージンガー』もコラールで始まるが『ゲノフェーファ』のコラールの真剣さはその比ではない。作品全体がシューマンの生命を縮めるほどの入れ込みが感じられるが、この部分もそうである。


最後の場面でゲノフェーファが喜んでいないのは、心の底では許していないという解釈(演出家はそのように解釈したようである)もあるが次のように解釈した。

ゲノフェーファは試練を経て一段高い状態に成長した(ドイツ人の好む内面的発展)結果、エックハルトの解釈するマルタのように自分だけでなくも周りも見えるようになった。


その視点で周りをみると、夫ジークフリート伯は今回の事件で何の成長もなく、ゴローは試練を途中で放棄してしまった。この非常な現実に愕然としてしまったのではないかと思った。古ゲノフェーファ伝説では、ジークフリートと再会しても城には戻ることは拒否して、マリアの出現した十字架の元に留まり、そこで最期を迎える(その場所がフラウキルヒ)。


宮中伯ジークフリートと妃ゲノフェーファと伝えられる石棺

フラウキルヒ、メンディッヒ(wikipedia.de)


ルドンのシューマンへのオマージュは『ゲノフェーファ』についても言える。


彼自身が高貴だった。その意味は、絶対に利己的でなく、自己を棄てた心の流露、強く充足した魂を持っていたということである。シューマンは、彼の果実を与えた。林檎の樹が林檎を与えるように、自己本位の思いもなく、悔いもなく、彼の心と思想、彼の作品と彼の一生を、他人の苦しみを自分のものにする人々と同じように、与えた。それこそ最高の恩寵であり、深い天才の性格のしるしである

「私自身に」、1915年の手記


劇中登場人物の、最も悪い者にさえシューマンは悪く描き出すことなく優しく包み込んでいるように思える。それはシューマン自身の高貴さからくる。


今回の公演で一つだけ小さな不満があったのは、終幕の鐘である。録音された鐘の音を流したようであるが、これは是非ともマリア・ラーハ修道院聖堂の鐘にするべきであった。ゲノフェーファ伝説ゆかりの土地の、最初に伝説を記録した修道院の鐘だからこれ以上ふさわしいものはないし、100年かけて揃えた12個の鐘(教会でカリヨンを除けばこれだけの鐘を揃えているところは少ない)のハーモニーは本当に素晴らしいから。


マリア・ラーハの鐘


ニーチェがマイスタージンガー前奏曲にシュッツ以来のドイツ音楽の伝統を聴き取ったように、『ゲノフェーファ』が数千年に及ぶヨーロッパ文化の上に成り立っていることを聴き取らないと、わけの分からない体験で終わってしまう。そうなったら実に残念。


そして、ゲノフェーファが神の手に委ねたように、作品に委ねること。


『ライン』初演日に


これまでの『ゲノフェーファ』関連に記事

 もっと深く

 ゲノフェーファ伝説の古層

 ゲノフェーファの登場人物:ヒドゥルフス

 再び『ゲノフェーファ

 シューマンのオペラ


もっと深く


アイフェルにケルト人が定住し、アイフェルーフンスリュック文化圏を築く遥か以前ー


これまで書いてきたように、12923年前にラーハ湖が噴火した。氷河期末期で旧石器時代、噴火前の地層からは石器などが出土している。噴火による溶岩流や火山灰の堆積で湖周辺から生命の痕跡が消えた。


それから数千年かけて植物相が復活した。

火山灰はミネラル分に富んでいたので、いったん植物が根付くとやがて鬱蒼とした森になり、動物が住み着き、人も定住した。既に新石器時代に入っている。


ラーハ湖を囲む森


検証困難であるが「ゲノフェーファ伝説」はラーハ湖噴火の記憶をとどめているのではないかと思う。


 ゴロー=噴火前の滅んだ旧石器社会

 ゲノフェーファ=火山(大地母には誕生と破壊の二面性がある)

 ジークフリート=噴火後に定住した新石器社会


数千年前の記憶が今日まで伝えられることは可能であるのか?

南チロルのラーチェスという村にある聖母教会(またしても聖母)の祭壇に使われていた天板が5000年前のメンヒルであったことが20世紀末に発見された。考古学者たちはこの教会で、キリスト教の姿を借りながらメンヒルがつい最近に至る5000年間信仰され続けていたと考えている。


Unsere Liebe Frau auf dem Bühel, Laces


祭壇から発見されたメンヒル


この地方からはいくつもメンヒル(石柱のご神体)が発見され、それらは線刻が施された彫像メンヒルという珍しいものであった。


『ニーベルンゲンの指輪』大火災とラインの氾濫というカタストロフで終わる。ラーハ湖も噴火の後火山灰がライン川を塞き止め、下流に大洪水を引き起こした。


アイフェルのすぐ外にあるボンの墓地に、ゲノフェーファ伝説の地を見守るかのようにシューマンが眠る。


シューマンの墓碑、ボン


南チロルでは物質として、アイフェルでは伝承として伝えられたのかもしれない。


創造の根源


高度の秘密をあまりばらしたくないですな。

女神たちは気高く孤高の境涯におわしまして、

その辺りには座もなければ、まして時間もありません。

女神たちについて語るのさえ厄介なこと。

それは、母たちなんですよ!

ファウスト第2部、山下肇訳


おれが行ってきたところは

おれが昔からいたところで、

そこへおれはまたいずれ帰っていくのだ、

世界の夜という広い国だ。

トリスタンとイゾルデ第3幕、高木卓訳


ボードレールを経由して、ルドンは「母たちの国」を描いた。


時おり、<芸術>への私の大いなる愛を知るそいつは、

世にもなまめかしい女の姿を借りて現れ、

偽善者めく、もっともらしい口実を見つけては、

私の唇を破廉恥な媚薬に慣れさせる。

破壊、阿部良雄訳


悪の華プレート?

Les Fleurs du Mal, Plate VI, par Odilon Redon (1890).


ここまで降りていくことは容易なことではない。


道なんてありゃしない!前人未到の、

いや足の踏み入れようもない、願っても届きようもない、

しょせんは悲願でしかない道でさ、あんた覚悟はありますかい?

錠前でも、閂でも、あくわけのものじゃない、

孤独、また孤独に、ただもう追いまわされるばかり。

あんたにはそもそもわかってますかい、荒れ地だの孤独ってことが?

ファウスト第2部


その先はメフィストによれば「形象から解き放たれた絶対の国」が待っている。


ゲノフェーファ伝説の古層


各国語で「ゲノフェーファ」は様々である。

 ドイツ語:Genoveva

 ラテン語:Genovefa, Genoveffa

 フランス語:Geneviève(パリの守護聖人と同じ)

 ウェールズ語:Guinevere(アーサー王妃と同じ)

 スロヴァキア語:Genofefa


ゲノフェーファ Genoveva、ゴロー Golo という名前は共にケルト由来である。一方、ジークフリート Siegfried はゲルマン系の名前である*。名前の由来から推測されるように、「ゲノフェーファ物語」は一連の史実よりも起源は古いのではないかという考えが出てくる。実際、Clas Myrddin の Theses on celtic religion (2006)によると、「ゲノフェーファ物語」は典型的なケルト由来であるという。


*同じ名前の英雄が主人公の『ニーベルンゲンの歌』は、5世紀頃の民族大移動時代に成立した(石川栄作、ジークフリート伝説、講談社学術文庫)。


ゲノフェーファ物語が伝わるのは東アイフェルのラーハ湖南側を中心とする地域で、周辺にはゲノフェーファにまつわる様々な地名が残っている(→再びゲノフェーファ)。


Genovevabrunnen(ゲノフェーファの泉):森に追放されたゲノフェーファはこの泉の水で救われ、子供に洗礼を施した伝説がある。

Genovevaburg(ゲノフェーファの城):マイエンにあり13世紀に遡る。ゲノフェーファとジークフリートの城との伝承がある。

Golokreuz(ゴローの十字架):ゴローが四頭の牛で四つ裂きの刑に処せられた場所との伝承がある。

Fraukirch(聖母教会):ゲノフェーファが祈り、マリアが出現した場所との伝承がある。


フラウキルヒ(聖母教会)が鍵となる。この教会はメンディッヒから東に3キロ、畑の中にぽつんと位置する小さな教会で、現在の建物は13世紀初頭、単身廊バシリカ建築である。


畑の中に島のような、木々に囲まれたフラウキルヒ(Osteifelのサイトから)


メンディッヒのフラウキルヒ(wikipedia)


この外観から何がわかるか。特徴的なのは装飾的な上の三つの窓である。末期ドイツロマネスクに特徴的な形態で、同時期に建てられたボン大聖堂などに同じ形態の窓がある。


ボン大聖堂身廊の窓


ザンクト・クィリン教会、ノイス


ザンクト・ゲレオン教会、ケルン


窓装飾や外壁(装飾を兼ねたピア、緻密な石組)からみて高度な技術が用いられ、おそらくはライン宮中伯直属の建築家グループが関わっていたのではないかと思われる。帝国内の教会(ドイツ王に属するもの)の建築や補修も宮中伯の役職に含まれていた。


フラウキルヒがここまで重要視されたのはその由来による。発掘調査により、13世紀以前の遺構が確認され、前身は8世紀頃、ケルトの聖地だった所に建てられた*東アイフェル最古の教会であることが判明している。この教会でも聖性が継承されているのである。


*場所は全く違うが、シャルトルの大聖堂もケルトの聖地に建てられている。


このあたり一帯がケルトの重要な文化圏であったことは様々な証拠から明らかで、コープレンツ近郊にはストーン・ヘンジのようなドルメンと思われる遺跡(ゴローリングと名付けられた)があり、マリア・ラーハの修道院もケルトの墓地だった場所に建てられている。


また、ゲノフェーファ伝説では鹿がゲノフェーファに代わって子供にミルクを与え、食べ物を持ってきたことになっているが、鹿(角のある動物→ケルヌーノスにつながる)はケルトの聖獣であった。動物と聖人の密接な関わりはケルト系聖人譚(聖コルンバヌス、聖ガルス、聖ピルミニウスなど)の特徴であり、頻繁に登場する。


ゲノフェーファと鹿、森の動物、モーリッツ・フォン・シュヴィント、19世紀


鹿の浮彫、スターヴ教会、ウルネス、12世紀


Clas Myrddin によると、ゲノフェーファの子供はシュメルツライヒ(Schmerzenreich, 苦痛に満ちた)と言うが、これはケルト語のPryderiをそのまま訳したものである(更にPryderiが訛りPercevalとなり、パルシファルの母親の名前Herzleideにも反映されているという)。


ケルト系のゲノフェーファとゴローに対するゲルマン系のジークフリートは、ゴローがケルト王権の象徴であり、ジークフリートがゲルマン新王権の象徴であるのかもしれない。ゲノフェーファはケルトの大地母 Magna Mater であり、「ゲノフェーファ物語」は大地母に反抗した旧ケルト王権と、大地母に味方した(勢力を持った)新ゲルマン王権の交替劇の様相を帯びてくる。


シューマンが選んだ物語は人類史(物質的なものでなく精神的な歴史)で限りなく繰り返された交代劇の類型の一つであり、心理のさらに奥底まで達した芸術家の直感がそれに気がついていたのかもしれない。

19世紀という時代に気がつくことは可能であったか?一部の天才たち、例えばゲーテの「母たち」(ファウスト)、ヴァーグナーの「夜の国」(トリスタン)のように、気がついていたことは確かである。



ゲノフェーファの登場人物:ヒドゥルフス


『ゲノフェーファ』舞台で、トリーア司教 Bischof von Trier として登場する。

ちょっと調べてみてトリーア歴代司教リストの中にはないので、不思議に思い更に調べてみると、700年頃に亡くなった Heilige Hidulfus にいきあたった。


Heilige Hidulfus, Joseph Ritter von Führich


役職には Chorbischof in Trierとなっている。「司教」にはBischofとErzbischof以外ないと思っていたので(他に移動司教というのがあるが)、初めて見る単語だった。「農村司教」というものらしい。wikipedia(de)によると、都市司教(司教座は都市に置かれた)に対する位置付けで、トリーアとバイエルンの農村司教がよく知られているとのことである。ヒドゥルフスもその両地域に関わっていた。


Heiligeがついていることからわかるように、列聖されるほどの功績があったようである。この時期のトリーア司教(まだErzbischofではない)には列聖された人はいないようなので、ゲノフェーファ物語にも登場するのかもしれない。


別ヴァージョンではヒルドゥルフスではなく、「ドイツの使徒」、マインツ司教だったボニファティウス(ウィンフリート、672? - 754)になっていることもある。


ボニファティウス(マインツ)


殉教したときに手にしていた聖書 (Codex Ragyndrudis, wikipedia)

これで剣を防いだという伝承がある


再び『ゲノフェーファ』


前にシューマンが完成・上演できた唯一のオペラ『ゲノフェーファ』について書いたが(記事)、その後基になった伝説についていろいろなことがわかってきた。


シューマンの『ゲノフェーファ』は2011年2月にオペラ形式で上演される。演奏会形式では2006年に奏楽堂で初演されていたが舞台では日本初演になる(チケットをゲットできた)。


東京室内歌劇場 42期第129回定期公演《ゲノフェーファ》



「ゲノフェーファ」伝説

プルーストの『失われた時を求めて』の冒頭に近い部分で、眠れぬマルセル坊やが気を紛らすため幻灯を上映してもらう場面がある。上映されたのはかわいそうなジュネヴィエーヴ(ゲノフェーファのフランス語読み)とゴローの物語であった。小説ではジュネヴィエーヴはゲルマント一族の遠い祖先にあたるとしている(『ローエングリン』のヒロイン、エルザもオットー朝時代のブラバント公の娘だったから、ヴァーグナーとシューマンは同じ一族をヒロインにしたことになる)。


Le temps retrouvé (France, 2001)、幻灯は2分6秒から登場


「ゲノフェーファ」伝説はドイツのアイフェル地方に起源を持ち、ヨーロッパ中に流布した伝説である。グリム兄弟の『ドイツの物語』にも収録されている(Nr. 538、なぜか日本語には訳されていない)。


wikipedia(フランス版)によるとフランス語での初出は1472年、L'innocence reconnue ou Vie de Sainte Geneviève de Brabant で、ラテン語からの翻訳であるという。


Genevieve de Brabant, by John Chares, 1856


一方、wikipedia(ドイツ版)には、生没年は730? - 750?、ブラバント公(Herzog)の娘で宮中伯ジークフリートの妃という記述がある。初出は14世紀初頭のマリア・ラーハ修道院*での記録である。wikipediaには書かれていないが、より正確には修道院の南10kmに位置するフラウキルヒェ(聖母教会)の1325年の免罪符に記載されたゲノフェーファ伝説がマリア・ラーハのスクリプトゥムで筆写された。


*修道院の正式な名称はKloster Sankt Mariae ad Lacum、ハインリヒ2世はブリュッセル近郊のアフリジェム修道院傘下として1093年に設立された。フランス革命時の世俗化のあと復興し現在はベネディクト会として活動する。


先日の「宝石になった魂」の舞台、ラーハ湖(Laacher See)の東側に湖へ突出した半島のような山アルテブルク Alteburg がある。直訳すると「古い城」となるこの場所に初代ライン宮中伯*(Pfalzgraf bei Rhein)ハインリヒ2世は宮廷をおいた。その名残がラーハ湖南部一帯の Pellenz (=Palatine:宮廷)という地名に残っている。


*宮中伯はドイツ王/皇帝の居城や教会の管理、裁判の代理などを管轄する官職で、諸候を監視する役目もあった。ライン宮中伯はロートリンゲン宮中伯(ブラバントも含まれていた)の勢力縮小に伴って設置された。各地に置かれた宮中伯は勢力の喪失や吸収などにより消滅し、ライン宮中伯のみが残った。その後プファルツ選帝候となって存続した。


ラーハ湖周辺のゲノフェーファ伝説に関連する場所、アウインの採掘場所も一致する


ハインリヒ2世は一族の墓所として対岸のケルト時代から続く墓地に修道院を設立した。当初は聖ニコラウスに捧げられていたが(修道院内にあるザンクト・ニコラウス礼拝堂にその痕跡がある)、聖母マリアに捧げられた。ハインリヒ2世は子供がなく、養子のバレンシュタット伯ジークフリートが後を継ぎ、2代目ライン宮中伯となる。ジークフリートは第1回十字軍に参加し、エルサレムで没する。


時代が下がって13世紀になり、バイエルン公ルートヴィヒ2世がライン宮中伯となった。ルートヴィヒ2世の時代に一つの重要な事件が起こる。宮中伯妃マリー(ブラバント公の娘!)を不倫の疑いで斬首し、後になって無実だったと判明したのである。後悔した宮中伯はバイエルンに修道院を設立した。


伝説はいずれも、宮中伯ジークフリートが戦役のため長期不在になる点で共通しているが、ヴァージョンによって時期が異なる。シューマンが台本に用いた版では宮宰カール・マルテルの治世となっていて、この時代の対イスラム戦役が背景となっている。史実の上で相当するのはウマイヤ朝イスラムがピレネー以北に攻め込んだ事件で、732年10月の「ポアチエの戦い」の時期*と思われる。

別ヴァージョンではエルサレムへの十字軍戦役に替わり、実在のライン宮中伯ジークフリートの参戦が下敷きになっている。


*このときのゲノフェーファの年齢は12歳前後、若すぎるように思われるかもしれないがカール大帝の妃ヒルデガルトも13歳で結婚している。


表面的には、これらの史実(宮中伯、ブラバント公の娘、ジークフリート、十字軍、不倫と無実)から「ゲノフェーファ伝説」(Genoveva Sage)が生まれたことになる。


シューマンは歴史的事実にはあまり関心がなかった。第一幕のセットについて、右手にジークフリートの城、左手に「ゴシック風」大聖堂を指示している。


シューマンのオペラ


今年はシューマン生誕200年!

Portrait de Robert Schumann, 1865

ルドンのデッサン


 「今年はクラシック音楽がブームになる」という記事があった。

「他業界も巻きこむ"ショパン・イヤー”」、「“五輪”、“のだめ”とヒット・トピック続く」と紹介しているが、もっとも重要なことが出てこない。マーラー生誕150年ではなく、今年はシューマン生誕200年である。2006年の没後150年はモーツァルト生誕250年と重なって全く話題にもならなかった。今年もショパンの影に隠れてしまいそうである。


シューマンの音楽は音楽そのものと内面性の点でショパンより上にあると思う。実際、ショパンの才能を認め(「諸君、脱帽したまえ」のエピソードは有名)、『謝肉祭』ではショパン以上にショパンらしい音楽を作曲している。ドビュッシーは自作をショパンとシューマンの間に位置づけた。


そんな中で以前から情報があったシューマン唯一のオペラ『ゲノフェーファ』の東京室内歌劇場公演がいよいよ具体化しているようで、つい最近キャスティングオーディションの募集が公式サイトに出ていた。


『ゲノフェーファ』はゲノフェーファ伝説 Genoveva Sage をもとにティエックとヘッベルを経由してシューマンがリブレットを書いた。


アーノンクールが指揮した『ゲノフェーファ』全曲CD


初演のプログラム(CDのブックレットから)


伝説はいくつかのヴァージョンがあるうえ、フランスの守護聖人ジュヌヴィエーヴ(ゲノフェーファのフランス語読み)と混同(意図的なところもある)されたりして錯綜している。大半は「ブラバント宮中伯妃ゲノフェーファ」であるが、別ヴァージョンにライン宮中伯妃として登場する物語があり、オペラでの背景や登場人物に影響している。


オペラ『ゲノフェーファ』のストーリー

オペラでは時代設定は宮宰カール・マルテルの治世(−741年)、フランク王の命により今まさに出征しようとしているジークフリートの宮廷が舞台である。

ゲノフェーファは宮中伯ジークフリートの若妻で夫との別れに悲しみ、家来のゴロー(『ペレアス』でも損な役回りであった)に後事を託す。ゴローはゲノフェーファに主君を裏切ることを知りつつも妃に愛を告白、しかし拒絶される。間に陰謀が入った結果、ジークフリートは妃の不貞を信じて追放してしまう。荒れ地に放置されたゲノフェーファにゴローはなおも言い寄るが拒まれ、従僕に殺すよう命じる。従僕が躊躇しゲノフェーファが失神したところへ、真実を知ったジークフリートが駆け寄りゲノフェーファを助け起こして許しを請う。

試練を乗り越えた二人は宮廷に戻り、トリーア大司教から祝福を受け幕となる。


ブラバントにはこの約200年後、ローエングリンがスヘルデ川に上陸することになる。


ラインラントのゲノフェーファ伝説

ラインラント版の伝説では、ライン宮中伯妃として、また聖人としてゲノフェーファは登場する。


宮中伯妃ゲノフェーファ

Charies Willing, Genevieve of Brabant, 1879.


ラインラントの伝説では、ラインラント宮中伯ジークフリートが十字軍として聖地へ出征し、不在の間にゴローが言い寄り拒絶するがジークフリートの誤解でラーハの森へ、出征中に生まれた幼子と共に追放される。

森の中を彷徨い途方にくれるゲノフェーファ母子は隠者や動物たちに助けられ、泉の近くにある洞窟で暮らす(動物に助けられたり、「水」が関わることからケルト系伝説が根底にあったと思われる)。


隠者が泉の水で幼子を洗礼する


数年たって幼児が子供になった頃、森へ狩りに来たジークフリート(とうに死んでいたと思っていた)は菩提樹の元に座り元気で美しい母子を見つけ、同時に誤解も解けて3人で宮廷に帰還する。ゴローは処刑されて首を城門に晒されたとも、懺悔して救われたとも伝えられる。


森に追放されたゲノフェーファと幼子、ルートヴィヒ・リヒター


史実

1085年、エッツォ家のハインリヒ2世がライン宮中伯(同時にラーハ伯)と最初に呼ばれた。それまではロートリンゲン宮中伯の管轄であった。ロートリンゲンはブラバント地方も含んでいる。司教区はトリーア大司教の管轄、マインツにも近いので文化的には双方の影響がある。宮中伯ハインリヒ2世はアンデルナッハ西のラーハ湖東岸にある城塞を本拠地とした。現在アルテブルクと呼ばれる高台である。その南側一帯をPellenzと呼んでいるが、宮中伯の宮廷Palatineがあった名残である。


Pellenz


ハインリヒ2世が亡くなってエッツォ家の直系が断絶すると、義理の息子であったジークフリート・フォン・ブラバントが宮中伯を継承し、引き続き同地にとどまった(1095〜1113年)。

ハインリヒ2世は湖を隔てて対向する位置(湖西岸)に自らの墓所として1093年に修道院を設立、ブラバントにあるアフリジェム修道会に委ねた。アフリジェムは当時有名な音楽理論家ヨハネス・アフリジェンシスがいた修道会である。修道院聖堂が建設を開始、ハインリヒ2世の没後は妃が引き継ぎ、その後はジークフリートが引き継いだ。その間に修道院はクリュニー傘下となり建設が加速された。聖堂が完成したのは13世紀に入ってからである。


Alteburgのあたりからみる修道院聖堂


第2代ライン宮中伯ジークフリートが伝説に出てくる宮中伯のモデルとなったようであるが時代はかなり隔たっている(オペラでは8世紀、実際のジークフリート宮中伯は11世紀末)。ラーハ湖南側にはゲノフェーファ伝説ゆかりの場所が地名としていくつか残っている。先のAlteburg、Pellenzに加えて、PellenzとMendigの間にはGenovevabrunnenn「ゲノフェーファの泉」、ゲノフェーファが聖母に加護を願ったというフラウキルヒ、Kurftの十字路には「ゴロークロイツ」がかつて建っていた(現在はフラウキルヒにある)。また、MayenにはGenovevaburgがある。


ラーハ湖南側



トリーア大司教の私有教会であったフラウキルヒ(聖母教会)は、1764年にマリア・ラーハ修道院の所有となり、1804年の同修道院世俗化まで続いた。


マリア・ラーハの修道院聖堂


ゲノフェーファの奇跡?

以前書いたようにアイフェル地方は天然炭酸水が豊富に湧出し、古くから飲料水として愛飲されている。

イギリスで刊行されていたOtago Witness1886年9月3日号に興味深い記事が掲載されていた。"Legend of St. Genoveva"という記事で、「ゲノフェーファの泉」にまつわる伝説(前述)を紹介している。その中で、「なぜゲノフェーファ母子ともども、森の中で暮らしていたというのに健康で美しさを維持できたのか?、それは炭酸を含む泉の天然水のおかげであった。現在(1886年)それはGenovevabrunnenという銘柄で知られたミネラルウォーターである」と記述されていた。


ゲロルシュタイナーを輸入販売しているサッポロビールさん、ぜひ東京室内歌劇場で上演される『ゲノフェーファ』のスポンサーになりましょう。



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